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2018年09月14日17:32

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部室で暮らしていた

大学の時にマンドリンクラブに所属していた。
1,2年の頃は学部の子と交流があったが、専門課程に入ると会うことが減り、部室に入り浸るようになった。

登校するとまず部室に行き、コーヒーを飲んで休憩。時間がきたら授業に向かう。終わったら戻ってくる。
部室は小さな部屋で、昔のパンフや楽譜の棚、カセットテープやレコードの棚、連合会の会報、写真、部誌の棚などに囲まれ、真ん中にダイニングテーブルがどんと置かれていた。
下級生はほとんど部室には寄り付かない。練習場所にはもっと広い部屋を借りていて、楽器も別の倉庫にあった。
それで、だいたいわたし一人でくつろぐことができた。そこにあるカセットを聴いたり、楽譜を片っ端から弾いてみたり、たまに録音したり、古い資料を読んだりしていた。

創部が70年代である。古い写真のファッションや髪型や、部誌に書かれた内容が時代を感じさせて面白かった。昔は他の大学と新歓合同ハイキングなどやっていたらしい。当時のノートには、その時何着て行こうかとか、キャアキャア言っている風な文章が書いてあったりする。
ステージ衣装を決める際、「1000円以上出して買うより作った方が割安」みたいなことが書いてあって、そういう時代なのね、と思った。わたしの時も型紙などを持って、洋裁やってる人のところにもっていって、採寸からやってもらった。

時折、同級生がやってきて一緒に楽譜をみたり、つぎの曲の相談をしたりした。それは普通に楽しい。共通項のない人との世間話は苦手だが、同じ目的のある仲間だから良い。お昼ならお弁当もそこで食べた。

新しい部誌ノートを作って、くだらない話を書いていた。「やんちゃんが耳元でしゃべっているみたい〜」といわれていた。その当時もしブログやツイッターがあったら間違いなくハマっていただろうな。
カンカンの中に新製品のお菓子を入れて置いたりもしていた。

このクラブもわたしが卒業して3年後くらいに廃部になってしまった。かつては60人を超える大所帯の頃もあった。わたしの入った頃には既に弱小部だったのだ。それを盛り返すことができなかった。
しばらくは部室もそのままで、わたしは卒業生ながらこっそり行って過ごすこともあった。そのうち美術部の倉庫になった。
そこにある資料を引き取って管理させてもらう動きもあり、大学に掛け合ってみたが、学校の備品なので外に出すことはできません、と言われてしまった。

数年前、大学のブログで、マンドリンクラブの資料が発見されたという記事が載っていた。…コロンブスに発見されたアメリカ先住民のような気分である(もっともコロンブスは、そこはインドだと信じていたようだが)。
あまりちゃんと管理されているような気がしない。どうにかできないものかと思っている。
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