嘗ては電話、今はスマートフォン。しかし文明の利器は進歩しても、不可解な現象はあるようだ。
この話はさゆりさん(仮名)という女性からお聞きした話である。
さゆりさんには泰彦さん(仮名)という彼氏がいた。親しくなり、その日は独り暮らしをしているオートロックの彼の賃貸マンションに泊まることになった。外食からそのマンションに帰り、22時近くまで楽しいひと時を過ごした2人は就寝することになった。
23時半。
さゆりさんが目を覚ますと、彼がいない。
ダイニングのテーブルには、書き置きがあった。
会社に忘れ物をしたので、取りに行って来る。多分0時には戻れると思う。お腹が空いたら、適当に何でも食べてくれ。 泰彦
という内容だった。
まあ、後30分もすれば帰って来るはずだから、それまでテレビでも見て起きていようか、そう思ってテレビをつけた。
それから10分もしないうちにメールが来た。差出人は彼だった。
早速さゆりさんはメールを開くと、
「ま っ て て。」
というわずかな文字だった。さゆりさんはヘンだと思った。彼はメールをする時はいつも長文なのだ。今どき珍しい漢字だらけのメールなのである。それが平仮名で、端的に・・・。
さゆりさんは満員電車に捕まったのかな、と思った。考えてみれば終電間際に満員電車などあり得ないのだが、そう勝手に想像し、気にしなかった。
すると更に5分ほどして、またメール。またしても彼が差出人だ。
今度も矢張り平仮名のメールのみ。
「き た よ」
ん?とさゆりさんは思った。この部屋はオートロックではないか。自分で入って来れば良い。なぜわざわざこんなメールを寄越すのか。気持ち悪い。しかし差出人を再度確認すると、紛れも無く、泰彦さん。ここでも泰彦さんは鍵を忘れたから、と想像したので、メールをする。
「ヤス(彼をさゆりさんはこう呼んでいた)。鍵を忘れたの?」
今度は間髪を入れずに返事が・・・。
「あ け て」
開けて欲しければ、自分の家の部屋ボタンを押せば良いではないか。なぜこんなことをするのか。更に先ほどからのメール、よくよく見ると、わざわざひと文字ひと文字の間にスペースまでご丁寧に入れている。それが一層不気味さを増し、さゆりさんは
「この人、ヤスじゃない!」
と直感。顔が蒼ざめた。
またメール。
「あ け て。」
ひょっとして、変質者がこの下にいるのではないか。さゆりさんはそう想像した。絶対に開けちゃいけない。開けてはならない。ああ・・・ヤス、早く帰って来てよ、とそう思った。
ピンポ〜ン。
チャイムが鳴った。ノブがガチャガチャと音を立てている。さゆりさんは得体の知れない人物が住民と一緒に入って来た、そう思い、慌ててドアに駆け寄り、ドアノブをしっかり掴み、開けさせまいと抑えつけた。
しかし、相手の方が力はとても強くて、所詮女性の腕では歯が立たず、開いてしまった。
何とドアの向こうには泰彦さんがちゃんと立っているではないか。
「もう・・・何だよ。さゆり。いるならば、開けてくれても良いのに。」
さゆりさんは安堵のため息が出た。
「さっきから変なメールをあなたが寄越すから怖かったのよ。」
「えっ・・・何もメールはしていないよ。」
「そんなバカな。じゃあ後でわたしのスマホの受信履歴を見てくれる?」
不思議なことに、スマホの画面には件のメールの履歴は全く残っていなかった。さゆりさんは狐につままれた思いだったという。
「そう言えば、僕が建物に入る近くにヘンな姿勢でしゃがんでいる女の人がいたなあ。」
さゆりさんはその人に間違いない、と思った。以後、彼女は泰彦さんのマンションには行かなくなったという。
しかしさゆりさんのメールアドレスを階下で待ち伏せしていた女がどうやって知ったのか。泰彦さんと思しき者のメールだけがなぜ忽然と消滅してしまったか。こればかりは全く分からない。不思議なものである。機械だから色々と説明がつくだろうと思われる半面、機械だからこそ、どんな反応を示すか分からない、ともいえるのかもしれない。時代が変わっても、通信機器は時折奇怪な反応を示すことがあるらしい。
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