mixiユーザー(id:6486105)

2018年07月18日21:01

350 view

三浦半島の付け根から先端まで

 鎌倉市が三浦半島に属するかどうか判然としないが、白地図を見る限り私が住んでいる町は半島の付け根にあたる。
 昨日、三浦半島の先端にある三浦市までクルマで行った。今春湘南国際村から三浦市に引っ越した友人宅を訪ねるためだ。房総半島や伊豆半島と較べれば小さい半島だが、たとえば稲葉真弓さんが書かれた21世紀で最も美しい小説『半島にて』の舞台は志摩半島で、志摩に較べたら三浦半島はその何倍、否、何十倍も面積が広い。半島は横浜市南部と鎌倉、逗子、葉山町、横須賀、三浦市全域が含まれる。
 午後2時着の約束だ。外気温は35度近くありそうだった。
 出発前、小さなステンレス製タンブラーに熱い紅茶を入れる。センター・コンソールには缶コーヒーやペットボトルなどが1個置ける小物入れがあって、タンブラーのサイズもほぼぴったりだ。暑い日は車内で冷房を効かせるので、ホットコーヒーか紅茶がいい。
 三浦市までは単純なコースだ。海沿いの134号線をひたすら南下すればいい。海と空が視界の一部に入る片道一車線の国道。途中、有名なヨットハーバーがいくつかあり、安藤広重が富士を描いたスポットがあり、思い出したようにちょっと有名なレストランやカフェがあり、先っぽに行くにつれて三浦大根やキャベツやスイカ農家の畑が増えてくる。事実、この時期は道路沿いにテントを張ってスイカを売る生産者直売所がいくつか見られる。
 逗子駅前、葉山の御用邸あたりで少しの渋滞があったものの、カーナビが示す時間ぴったりの52分で友人夫妻の住むマンション前に着いた。ちょうどいい距離のドライブだ。途中一回だけ、紅茶を口に含んだ。
 1年半ぶりなので話が弾んだ。
 彼は運転に長けているのだが、引っ越しを期にクルマを捨てた、と言う。私にはそれが衝撃的で、彼のようなひとでも70歳を1年か2年過ぎたら運転が覚束なくなるのか、と。それなら私は69歳が運転卒業年齢だ。(先月買った)フォルクスワーゲンのup!が人生最後のクルマだと自分にも周囲にも吹聴しているのだが、これでいよいよ確定的になった。
 話は尽きなかったが、3時間を少し回ったところで辞した。あまりに長っ尻は申し訳ないし、他方、どうしても寄って行きたいところがあった。
 亡くなった友人のカメラマンが三浦市の最西端にある墓地で眠っている。太平洋が果てしなく広がり、富士山が見え、太陽の日沒が水平線の上で見える墓地だ。
 墓地に着いた。管理事務棟とお墓の手前100メートルのところにある門は閉じられている。腕時計を見たら5時半だった。
 ここで初めて、こういう管理的な墓地にお参り可能時間というのがあることに気づいた。道路にクルマを駐めて、門か塀を乗り越える、ということすら出来なさそうな厳重さで、施設は閉まっていた。
 私は寺住まいで墓地は24時間自由に出入り出来る。うちの周りにもお寺はいくつもあって、たいていの墓地はいつでもお参りすることが可能だ。実際、夜の墓地というのは慣れると存外、平穏な風景で、心落ち着く場である。悩みは一時的に忘れて場の爽やかさが感じられ、事実心なしか空気もひんやりとしている。
 彼のお墓から今、赤々と染まった太陽の光と海を見たらさぞかしきれいだろう。
 墓参できなかったことよりもむしろ、夕焼けを見られないことに落胆した。
 iPhoneでチェックしたら、9時開店の16時半閉店だった。
 後ろ髪を引かれる思いで墓地を後にした。
 真正面の空が夕陽に染まっている。途中、家と家の間からまるで月かと思えるような太陽が見えて、後続車がなければ停まりたいくらいに不可思議な太陽だった。
 時間が時間なのか少し道路は混んでいた。鎌倉に着く手前で日沒になった。
 墓参りこそできなかったが、いいドライブができた。

 今日、カメラマンの奥様に暑中見舞いを出した。
 午前中、数万枚はあろうかというカメラマンの遺作写真の中から500枚くらい、夏に撮った写真を中心に見てみた。その中から一枚を選んで厚手のはがき用紙に印刷し、表面に手書きで昨日の一件と友人を偲ぶ思いを書いた。
 次回はついでじゃなくてお墓参りのためだけに、三浦半島の先端までドライブしよう。
3 3

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2018年07月>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    

最近の日記