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2018年02月18日17:44

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吉野水分神社5

吉野水分神社
別称 子守宮
創立年代は不詳ですが一千年前の延喜式神名帳にすでに大月次 新嘗に案上官幣に預る旧社にて大和四処水分の第一として記され 吉野八大神祠の一社で俗に子守大明神と申されます
水分とは「水配」の意味で水を程よく田畑に配分する神様で毎年四月 三日に五穀豊穣を祈る御田植祭が盛大に行われ、その神事は吉野町の 無形文化財として指定されています
当社が子守の神になった事については「水配」が「みくまり」「みこもり」 「こもり」と転訛して子供を護る神 子供を授ける神になったと言われています
棟につないだ珍しい建築様式で水分造と申されます 現在の建築は 豊臣秀吉が文禄三年に吉野山へ花見に来られた時、当神社に祈願して 秀頼が授かりそのお礼として慶長三年に再建の工を起された後、秀頼が 父秀吉の遺志をつぎ建部内匠頭光重を奉行として慶長九年 九月に完成されたもので華麗かつ精巧を極めた桃山時代の代表 的神社建造物として建物全部が国の重要文化財として指定 されています
神社の宝物としては重文の釣燈籠 神輿 湯釜等秀頼寄進 の銘のあるものが社殿に置かれています
御祭神の玉依姫命の御神像は日本第一の美女神像といわれ 国宝に指定されています
国学の泰斗として有名な本居宣長はこの子守の社の申し子 として名高く宣長の著である菅笠日記にそのことがよく書かれています
今も子供を授ける神 子供を護る神 安産の守護神として世間の 信仰をあつめ全国各地よりの参詣が絶えません
宣長翁が当社へお礼参りの折に詠まれた歌に
みくまりの 神の誓ひの なかしせば これのあが身は 生れこめやも
ちちははの昔想へば 袖ぬれぬ みくまり山に 雨はふらねど
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