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2017年12月13日11:23

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教会関係の更に続き・旧友たちへのメールから

  若死にした人をもう一人思い出せた。伊藤まつさんの所に行っていた人でもあった。大学職員の女性。やはり、酒が大好き。伊藤まつさんの昇天した年の12月に、急性脳腫瘍、35歳で天国。ウィスキーも多く飲んだ。勿論、酒が脳腫瘍の原因だとは断定できないが、因果関係はないのか。考えてしまう。
  昨日述べた例と併せて、4人。内、一人は20歳で他界。女性である。その教派は高校卒で飲むのが当たり前の習慣。とにかく、僕は教派のごく一部しか見ていないが、一コミニティで4人の早死例を見聞きしたのは、医学の発達した現代では異常な事だと言わざるを得ない。おかしいと今は思う。
  その教派のある人が「イエスは取税人など、差別されている人たちと一緒に酒を飲んだ。一緒に飲むと仲良くなり、差別も消える。だから、我々は身障者や部落関係、ハンセン氏病関係、韓国系の人たちとも一緒に飲み、差別を消している」と。内、イエスのその行為は徹底的に歴史検証しなければ、目的が明らかにならない。後年の僕は、そのような例えは簡単に使ってはいけないという考え方になった。聞いた当時はよく判らなかった。また、確かに、飲むと差別の事も互いに意識し合わなくなる。でも、それは酔って人事不省に陥っているためであり、それで差別が消えるわけではない。差別が気が付かなくなるだけ。酒で差別が消えた試しはないわけだし。後年思うと、イエス引用も、差別の件も、酒を飲む口実にしか感じられないが。
  その教派には、差別・格差容認の教派体質を強く批判する人たちもいる。僕もそのような会合にも出た。でも、その会合でも、タダ酒が振る舞われた。牧師たちからの差し入れの。皆ありがたく飲んでいたが、タダ酒の因縁については誰も気が付かなかった。牧師たちも気が付いていなかったのではないかね。買えば高い高級酒をお茶以上に皆がぶ飲みしていた。結果的には批判した人たちもそのような体質を認めていた事になる。「タダほど、怖いものはない」という言葉もあるが、特に「タダ酒」は恐ろしいと思う。その教会から離れて30年近くして、僕も以上に気が付いたわけである。因みに、僕はウィスキーが嫌いだから、その教派では余り飲まず、自費でビールを飲んだ覚えもある。ウィスキーが好きならば、人生も変わっていたかもしれない。すでに体壊して、生きてはいないだろう。その教派から抜ける事もなく、タダ酒を飲み続け。ウィスキーが嫌いで良かったし、単に嗜好の問題とも思えないわけである。資本主義矛盾やアイヌ、琉球差別にも関わる、非常に難しい問題に通じていたようだ。マルクスの指摘した通り、搾取される人たちは悲惨だが、搾取する側はもっと悲惨ではないのかと。しかも、寂しさという形で悲惨さは現れているのに、気が付かない。そこが一番困った点ではないのかと。大きな社会勉強ができたから、僕はその教会に行って良かった。

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