僕は無類のメロン好きである。
“ メロン好き ”ということでは、オウム真理教の尊師・麻原彰晃が、つとに有名であったが、僕は、その尊師のさらに上を行くメロン好きであるとの自負がある。
・・・そんな僕が、まだ27〜28歳だった頃の話である。
たまたま歩いて通りかかった中野駅近くの八百屋の店先でマスクメロンが並べられているのが目に入ったのだ。思わずその八百屋に足を踏み入れた僕は、木箱入りのマスクメロンに見惚れながら幾つかのメロンを手のひらで軽く撫でるように触れてしまった。マスクメロンは見た目だけではその鮮度の判断が効かず、表皮部分が柔らかくブヨブヨになりかけていないか? そのことを確認したくなるものなのだ。・・・まぁ、あくまでこれは僕の私見であるのだが。
そんな僕の行動が、よほど気に触ったのだろうか? お店の主人が僕にこう言った。
「買う気がないのなら、触らないでくれ。売り物なんだから」
言われた僕は、少々面喰らった。メロンを軽く撫でていたくらいで、そんなことを言われたのは初めてのことだったからだ。
当時、マスクメロンの1玉あたりの価格は8,000円前後。これほど高価な果物もなかなかない。比較的安価な西瓜ですら軽く叩いてたりして、どの玉を買うか考えるというのに、見た目だけでマスクメロンを買うのは、とても勇気がいるというか、リスキーに過ぎることなのだ。前述のように、せめて軽く表皮を撫でながら、その鮮度を推し量るぐらいのことは許されて当然だ、と僕は思っていた。
僕は、その居丈高な物言いの八百屋の店主のほうに振り返り、声を掛けた。
「ここにあるマスクメロンをすべて、1玉ずつ、木箱に入ったままラッピングしてくれますか? 全部いただきます」
「えっ!?」途端に素っ頓狂な声を上げた八百屋の主人。驚いたように目を見開いたまま僕を見つめている。
その日、八百屋に並べられたマスクメロンは12玉だったが、値段には多少ばらつきがあり、一等高価のもので8,000円、安いものでも5,000円の値が付いていた。12玉すべてを買い上げれば、〆て70,000円ほどの金額になるはずだった。
僕のほうを見て固まったままの主人に、僕はこう訊ねた。
「支払いは、もちろんカードでいいですよね?」
僕は財布から、当時まだ持っている人も珍しかったAMEXのカードを取り出して、おもむろに主人の前に差し出した。
「ああ、ウチはカード扱ってないんで」と慌てたように主人が声を上げる。
「えっ、なんで? 顧客単価が数百円から、せいぜい二、三千円の商いが普通の八百屋で、わざわざ7万円の現金を持ってマスクメロン買いに来てくれ、ってことなの?」僕は、半ば呆れ気味に、そう尋ねた。
「いや、いや。そういうことではなくて・・・」
次第に、八百屋の主人が狼狽し始めるのが分かった。
「とにかく、僕はこのメロンを全部買いたい、と言っているんです。買う気があるんですよ」
「いや〜ぁ、そう言われても、ウチではカードはちょっと」と、八百屋の主人の声が蚊の鳴くように小さくなり、何を言っているのか聞き取りづらい。
そんな主人に、僕ははっきりと、こう告げた。
「僕はメロンを買う気があった。しかし、あなたは、最初から売る気がなかった。少なくとも売るための備えががなかった。そういうことですか?」
「・・・すいません。勘弁してください」最後に主人はうなだれたまま、そう言うのがやっとだった。
「もう、いいです。」
僕は、そのひと言だけ言い残して、八百屋をあとにした。
八百屋の前の歩道を駅に向かって歩き出すと、しばらくして、ぱらぱらと小雨が降り出した。真黒な雨雲に覆われ始めた空を見上げながら「自分がやる気もないのに、偉そうなことを言いやがって」そう、僕はひとりごちりながら、仕方なく今度は傘を探しに、別の商店街のほうへと駆け出した。
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