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2017年09月17日16:36

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大国主神社

9時45分にきしべの里を発ち、大国主神社へ向かって歩く。
貴志川左岸にある陽向山に鎮座、通称と呼ばれ、古くは14箇村の産土大神、『続風土記』によれば八十神等の危難から逃れ、五十猛命のもとえ赴こうとした。
大国主命が当地を訪れたことを由緒として、祀ったに始まるという。
又『旧舊記』によると嵯峨天皇が神のお告げによって、弘仁9(818)年当神社を御造営になり畏くも遥々行幸あそばされて、境内に白槇をお手植えになったと伝えられている。
淳和天皇の天長3(826)年の夏、大旱あって諸国庶民は困苦に悩める由、天聴に達し、天皇は当神社に御勅使差遣あって御勅祭を行わせられたが、霊験あらたかにして忽ち、豪雨沛然として至り万民を御救い下さった奇瑞あって以来、一層崇敬も深くなり、社領300石を賜るに至った。
其の後、御鳥羽上皇も熊野行幸の御砌御鳳輦を此所に寄されたとも伝えられている。
又、建久の頃源頼朝も深く尊信あって社殿再建の下知あり同6(1195)年御造営なったと『東鑑』に記されている。
神田の寄進などあった事が今も、当地方の字名に留めている。
昔その祭祀の盛だった事がよく知られているが戦国時代になって々兵燹に罹り社殿も記録も悉く烏有に帰し詳しい由緒も沿革もたずぬる由なく、神社の規模も亦漸く小さくなって今日に及んでいる。
御鳥羽上皇のお歌「ふたまたや 又二股の川中に しるしの鳥帽子われは立ておく」
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