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2017年07月08日04:34

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夏休みが始まる前に 1

湖に囲まれた町Lychen、普段は静かだが夏休みになるとザクセン地方からバカンス客がどっと押し寄せる。これはどうも東独時代からの伝統?らしい。なので静かな町を楽しもうと思い立ち、天気の良い平日、仕事をサボって昼から出発。中央駅から電車で40分のFürstenbergで降りて、ここから自転車。本日は何故かロードバイク。ダートには入らないつもりで出発したが、、
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駅は大きすぎもせず小さすぎもせず、なかなか良い雰囲気なんだが、この10年以上手入れもされず荒れていたのを誰か個人が買い取ったらしい。ドイツ鉄道は駅建物物件を多数売り出していて、結構人気がある。住宅にしたりレストランなどにしたりと用途は様々だが、ここは住居兼店舗になるらしい。買ったのは建築家だとか、、やっぱり。

駅前通りには1920年代と思われる建物が多い。
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これは多分小さな工場の入り口だったと思われるが、何となく富士山形?両脇の走らはどことなく中国・オリエント風?ネットで検索しても何の情報も出てこないので判りませんが。
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郵便局の建物。郵便局も不動産物件を多数売りに出している。小さな町や村にあった郵便局は大抵既に閉められてしまっているので不要な物件が多いのだ。こういうのはネットで切手が買えるから問題無いと思うかもしれないが、実は大変不便。でも、近いうちに「え、郵便局なんて在ったんですか?」みたいな事になるかもしれない。

町の由来は漁村らしい。なにしろ周り中湖ですから。湖畔に近い部分が昔からの村の雰囲気を残している。
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バロック時代の城館もあるが、建築としては余り良くない。長く廃墟になっていたが、ホテルとして再利用されるらしい。城館と湖の間の公園・庭園は悪くない。
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産業立地が始まり、鉄道が通り、駅の方へ向かって町は伸びて行く。大きな教会は19世紀中頃の建築。ブロイセンらしい古典主義風建築だがなかなかきれい。
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そして駅の反対側、森の中には瀟洒な住宅がたてられるようになる。これが19世紀末頃。戦後、東西再統一というプロセスはどこも同じだが、壁が開いてから町の産業は聚落、しかし戦前から観光地として夏は栄えたのが復活。ベルリンから1時間弱という利点もあり、夏は多くのバカンス客で賑わうようになった。
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この湖の対岸には戦中に女性と子供の強制収容所が作られ、隣接のジーメンス等の工場で強制労働を強いられていた。ユダヤ人だけではなく、社会主義者、キリスト教信者の反戦運動家なども多かった。末期には各地の収容所からも死の行進で連行された。

今ここは展示施設になっていて、ヨーロッパ各地から学生等が見学に来る(中高生に見せる事もプログラムの一部になっている)。

労働楝
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管理楝(現在は展示楝。もし来る事があれば是非見学を薦めます。)
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高級将校の住宅楝
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監督者(女性)住居楝(ここはユースホステルになっていて宿泊出来る。内装は勿論改装済み)
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湖畔には火葬場も残っている。きれいな景色を見ながら双方何を考えながら生きていたのだろうか、、ソヴィエト軍に開放された記念として戦車がディスプレイされている。
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ここを走るといつも色々と考えさせられる。広大な土地は戦後ソヴィエト軍のベースとして使用されていた。本気で見ようとしたら丸一日かかる。

舗装された自転車道を通り次の村Himmerlpfortへと向かう。
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