自信作といえば一昨年の釧路湿原と去年の岩木山だが選ばれなかった。選ばれない理由の説明はなかったが自然と納得出来た。
若い頃は前田真三さんの写真なんかも好きだった。今では何とも思わない。ただ綺麗なだけだ。
アンセル・アダムスの写真は今でも好きだが、お弟子さんの写真には虫酸が走った。アンセルは写真家としては優れていたけど教師としては優れていなかったのだろう。忠実なコピー作品に過ぎなかった。
白レンズにハマる野鳥写真家集団と同様に、ただ綺麗な風景写真を撮る集団も存在する。ここには明確な方法論がある。画面は大きければ大きい程良い、4x5(シノゴ)8x10(バイテン)、高価な機材であるばかりかフィルム代も高価だ。じゃあ金持ちにしか良い写真は撮れないのか?ピンぼけ禁止、技術的には高度だ。だが、技術と機材さえあれば撮れるのなら人間でなくても撮れる。
誰かみたいな写真が撮りたい訳ではない、俺にしか撮れない写真が撮りたい。尤もアートも写真も模倣するのは簡単だ。つまり誰も撮った事のない写真が撮りたい。
ロバート・メープルソープも出逢った時は衝撃だったけど、最近、銀座の写真展で観たら感動はなかった。
最近読んだ本にキャンバスをカッターナイフで切り裂いただけの作品が億単位の値段がついているという。同じ作品を作っても値はつかない。既成の概念を打ち破った作品だから値がつくのだ。
ワークショップの看板に「未だ見ぬ写真」とある。そんな写真が撮りたくて参加した。
ちなみにmixiの看板写真は
「これなんか良い写真だ。バイクが無かったらね!」
と言われつつ選ばれた写真。
それと、もう1つ。私は写真でもアートでも他人の作品には幾らでも辛辣な評価を下せるのに、自分の作品に対しては甘いなあwと。
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