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2017年06月17日17:42

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まさかの人生

今週はフラ、気功、空手。。。と初めて全て参加できた!

今こういうことに興味を持っている自分、まさかの人生。。。(すいません。長文です)

3人きょうだいの長女、しかも実家では初孫として、実母のお陰でいつも明るく何不自由ない楽しい6人家族の元で育ててもらった。
でもある意味特殊な環境だった。いろんな世界の人達を身近で見てきた。
6人きょうだいの末っ子の母も特殊だった。娘の私が言うのもなんだが、若い頃から色々なことを悟っている人で、苦労もあったのに私達きょうだいには一切見せず、また他の家庭ではしないような躾、教えをくれた。
世の中の陰陽を子どもの頃から身近で観てきた気もする。
だが、両親がとても仲が良く、父も母もいつも真摯な生き方を私達きょうだいに見せてくれていたから、社会に失望もせず、いつも夢や目標も持っていられた。かと言って良い部分だけを見てきたわけではないから社会の厳しさ、人間の裏表、人間というもの、世の中というもの。。。みたいなものも心得ていた気がする。

幼稚園から高校までエスカレータ式の女子校だったから、大学は絶対に男女共学に行く!と思って志望校の一つに入学。
中学3年の時に初めて友達とロスアンゼルスの郊外にホームステイに行き、その時の経験が忘れられず、大学時代はバイトで溜めたお金は休み毎にイギリスやシカゴのホームステイ代に充てた。
海外の語学学校で出逢った各国の友達の影響で、大学卒業後はデスクワークではなく、海外に行け、しかもとにかく色々な人との出逢いに楽しみを覚えていたから、人様のお世話ができる仕事に就きたいと思い、航空会社の客室乗務員か旅行会社の添乗員の仕事を志望。
でもバブルが崩壊し、まず一番大手の航空会社が新卒採用をしないと発表。
でも諦められず、弟の留学先のニューヨークに長期行ってしまっていた母にも相談せず、とにかくできることをやって体重も5キロ位減った。
第一志望の航空会社に大学4年の夏にご縁を頂き、卒業単位も取り終えていて、卒論のない法学部だったため、10月1日の内定式を終えたらバイトして溜めていたお金で念願のスペインへ4カ月の短期留学。
その間、沢木耕太郎さんの「深夜特急」に憧れて、ヨーロッパの全ての国に一歩ずつでも訪ねようと、1か月間は鉄道パスでリュック一つで一人旅。
勿論心配させるから親には内緒で。。。

卒業後は成田空港配属になり、初めて親元を離れて千葉の寮暮らし。
でも、13歳の時に母を通して出逢った食養(マクロビオティックス)の考えから、会社には申し訳ないけれど、受かっても3年で辞めようと思っていて、実際入社してみて、素晴らしい多才で今まで自分の周りにはいなかった個性的な同期達に恵まれ一生の親友達は得たけれど、万年時差ボケ、電磁波の中での仕事、不規則な食生活にやはり。。。と思い、3年半でパーサー試験の前に退社。

その後、3年半の不規則な生活で乱れた体を整えようと、大森英桜先生のお弟子さんの一人の国清先生の半断食に参加。
そこで、子どもの頃から母に聞いていた雲の上のような存在だった英桜先生に初めてお会いし、母から聞いていた食養ではなく、自分で食養を学びたいと思って大森英桜先生の講座に参加。娘が生まれた後大森一慧先生のお料理教室にも通った。

航空会社を辞めた後は、社員教育の講師の仕事をし、大手の会社の新入社員の教育等をさせて頂く一方、父の仕事のひとつのレストランを手伝ったりもしていた。
娘を産んだ後もすぐに講師の仕事に復帰し、他の仕事と違い、年齢を重ねれば重ねるほど評価が高くなるこの講師の仕事を一生していこうと覚悟を決めて努力もしていた。

30歳までには絶対に子どもを産む!子どもはマクロビオティックスで育てる!子どもは3人産む!と子どもの頃から想い描いていた通り、30歳になる1週間前に娘を出産。
18歳で動物性を食べるのは止めたものの、それまでゆるゆるだったのに娘を妊娠してからストイックな私のマクロビオティック生活が始まった^^;

子どもは無計画の中3人授かり、気が付くと「一生の仕事に」と思っていた講師の仕事ではなく、マクロビオティックスで得た想い通りでどんどん愉快になっていく人生を周囲と分かち合いたい、子ども達が成長した時の社会の為にこのマクロビオティックスを次世代に繋げていきたいという思いが強くなり、長男が1歳の時に東京の自宅でマクロビオティックスを伝えるためのラ・コシナ・デ・ミナカをスタートした。

3人目の次男が産まれた後に夫が、山梨に越して田舎で子ども達を育ててくれ、と言い出した。東京で生まれ育ち、家族も友達も東京の私には想像もつかなかったこと。
でも数か月悩んだ後、自分の生き方はマクロビオティックスであり、子ども達を育てるのは東京ではないと思って山梨の八ヶ岳の麓に移住。
そこからは母の協力もあって東京でのクラスと山梨との行ったり来たりの生活。

娘が小学校6年生になった時に、自分は商社にいても海外転勤は多分ない仕事だし、家族で行くことは無理だから、娘が中学になる時に母子4人でアメリカに行ってくれとまたもや夫に言われ、自分のマクロビオティックスのクラスも10年やっていて、東京にも山梨にもいらしてくれている生徒さん達がいてご迷惑をかけることになるし、何より家族がバラバラになるのに不安を感じ一年悩んだ。
最後はそろそろ決断しないとVisaだってすぐに取れるか分からないし、子ども達の進学に支障が出ると夫に言われ、一週間断食と瞑想をし、ハワイ島に行くことを決断した。

3年近く、ハワイ島、カリフォルニアに住み、様々な人達と出逢い、子ども達と4人であちこち旅もし、色々な経験をした。
何よりもまさか自分が40歳過ぎてアメリカのカレッジで学生をすることになるとは思いもしなかった。

ハワイ島では家の近くまで溶岩が流れてきたり、ハリケーンの後10日近く水も電気も止まり、子ども達とサバイバル生活をしたこともあった。

そして、3年近くのアメリカ生活から戻るとオーガニックコンビニを目指したマナマハロがオープンされ、今日はひまわり市場で天然かき氷がオープン。
今夜の友人宅でのポットラック映画会ように作ったお料理を、ひまわり市場のマナマハロにも差し入れ。

子ども産むまでは自分で想ってきたように人生が進んでいた気がするが、マクロビオティックスに漬かり始めてからは天の思し召すまま。。。
空手と同じで丹田の、芯の力は変わらず入れたまま、周りの力は抜いて。。。。
何があるか分からなくて面白い人生。
大変なことも笑いある経験に変わっていく。
全て宇宙に委ねつつも、勿論、常に夢は持ち続けていますが。。。
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