「人は気兼ねなく自分自身に戻れるちょっとした隠れ家を持つ必要がある。1人きりになって初めて真の自由を知るからだ。」(モンテーニュ)
人生で最高の瞬間は時として1人きりの時に経験することがある。勿論再新再生を図るために長く隠遁生活を続けるまでもない。短時間の「ひきこもり」で十分だろう。
とはいえ今の時代、人間関係が希薄になっているとは言いながら、現実には仕事上のアポイント、買い物の時間は優先的に扱われるものだ。ここで
「1人きりの時間だから、私は行けない」
などと言うと失礼な奴とか自己中心的とか、変な奴と見做されがちだ。下手したら仕事が回って来ない可能性すらある。この点、大自然は聡明だ。山火事で草木が焼失しても、蘇るものだ。我々は再新再生を人生に適用するのが上手くないようだ。我々はどうしてもしなければならない上に急いでいることについては一生懸命になる。しかし何れはしなければならないかもしれないが、急ぐ必要はない事については後回しにしがちだ。それを積み重ねるうちにストレスに負けてしまう自分に気づくことが多い。
モンテーニュは隠れ家と言ったが、田舎町に廃屋を買い取り、そこで休日は暮らす、そんな暮らしで無くても勿論構わないと思う。去年の晩秋のこと、山梨の小淵沢から長野の小諸まで、小海線に乗ってみた。普段若い女性達の間で人気のある清里も、長野県を越えると車窓は一変してくる。荒れた山々、休耕といえば聞こえが良いが、放置された耕地、そして新築時は立派だった廃屋・・・。
以前DASH村という番組
があった。場所は明かしていないが、日本の辺鄙な土地で、廃屋を買い取り、職人から手ほどきを受け、自力でリフォームし、食事は限りなく自給自足の暮らしに挑戦する番組である。或る程度DIYが出来る人達であれば、廃屋を見て「俺にも出来るかも」と思っても不思議ではない。廃屋から出た資材をネットオークションで商売するのも悪くない。人口流出が著しい田舎町としては、本来排他的だったはずだが、今ではよそ者もウエルカムにならざるを得ない。
勿論、そこまで出来る人は、そう多くないだろう。多くの人は家族もいる。簡単に住所を移せない。
そこで日々のハードスケジュールを和らげるちょっとした息抜きでも良いかもしれない。モンテーニュ以外にも、息抜きを定期的にしてきた偉人は居る。
同じフランスのビクトル・ユーゴーは亡命先の海岸でよく石ころを投げていたという。
近所に住む女の子が偉大な作家のユーゴーと知ってやってきた。
「ユーゴーさん、どうしてこんなところで石を投げているの?」
ユーゴーは
「石ではないよ、お嬢ちゃん。私は自分を哀れむ気持ちを海に投げ入れているのだよ。」
と答えたという。
以前もこのコーナーで出てきたヘンリー・ディヴィッド・ソローは早朝の散歩を日課にしていたという。
他人から見て、そんなに高尚なもので無くても良い。幼稚な、バカバカしいものでも勿論構わない。経済アナリストの森永卓郎氏はミニカーの収集が趣味で、今では博物館を作れるほどの数になったという。リチャード・クー氏はよく息抜きにプラモデルを作っていると聞いた。元米国駐日大使のジョセフ・ナイ氏は孫と日本のアニメ・「ポケットモンスター」を見るのが息抜きだと云う。
時として人は自分を取り巻く状況から逃げ込む場所は作っておきたいものである。
最後までご覧頂き、ありがとうございました。
関連の言の葉
「ゆったりとした時間の感覚、それ自体が一種の財産である。」(ボニー・フリードマン)
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