試合開始の1時間前の7時半。神宮球場はすでに開門しておりネット裏はすでに7割の入り、あのラガーさんもいつもの場所に陣取っている。
早稲田実の登場で多くの観客が集まると予想された今日の第1試合だが、意外なことに静岡高校の応援団が早実を凌駕した。
1878年創立の静岡高校は早実よりずっと古い歴史を持ち、甲子園でも優勝経験がある。東大をはじめとする有名大学に多くに人材を送り込んできた旧制中学からの名門はもちろん東京にも多くのOBがいるはずだ。
母校の校歌を世代を超えてみんなで歌う。それをわざわざ甲子園まで行かなくとも東京の神宮でやるのだ。よく考えてみればそれだけの理由でこれだけの観客が集まったとしてもなんの疑問もない。
むしろ早実のOBがここに集まる理由よりはずっと大きな意味があるように思う。
試合開始前の校歌斉唱では応援団、ブラスバンドのリードのもとに大声で歌い上げた。手拍子は応援団席だけではなく内野席からネット裏まで広がった。
早実はブラバンはいなかったが、こちらも多くの生徒やOBが「都のいぬゐ早稲田なる・・・」と歌い上げた。ただ、清宮君目当ての一般のにわか早実ファンは校歌までは歌えない。静高とはそこが少し違ったが・・・
先攻は静高。
静高の応援は伝統的に慶應のコピーを多数使っていて甲子園でもお馴染みだ。ダッシュ慶應だけじゃない。疾風や突撃のテーマ、パトリオットマーチまでやる本格派だ。そして相手は早稲田。いやがおうにも盛り上がる。
そして、静高は初回、さっそく疾風の応援に乗って、2死無走者から3連打で1点を先制する。いずれも芯でとらえた鋭い打球だった。
その裏、早実の攻撃、静高の先発はサウスポーエースの池谷君、早実の清宮君が5打席5三振を食らった日大三の桜井君の投球を参考にするかもしれないという期待もあったかもしれない。
しかし、池谷君の立ち上がりは残念ながら最悪だった。1死から四球でランナーを出すと、清宮君に1・2塁間を破る強烈な打球の安打を浴びて1・2塁。そのあと野村君に投じたボールはインコース低めを狙ったものだったが、打者がジャンプしてもよけきれず鈍い音がした。死球・・・・
そのままうずくまる野村君・・・・場内が静まり帰り、静高は伝令を送った。
しかし、次の小西君にも死球、押し出しとなった。池谷君に動揺があったのだろう。
2回には先頭に安打を浴びたが何とか無失点。だが、3回は死球、四球、送りバント、安打で1点、犠飛でさらに1点を追加された。
3回までで被安打は3だったが与四死球が5を数えた。そのうち3が死球である。
しかし、静高が4回に同点に追いつく。安打と犠打で作ったチャンスに藤田君、森君が連打で2点を返したのだ。
その後、静高の池谷君は一気に立ち直る。
4回は2三振を奪って3者凡退、5回は先頭の清宮君を1塁のファウルフライに打ち取ると、野村君には、くさいボールで勝負し粘られて最後は四球となったが、2死後牽制で刺した。6回は先頭を内野安打で出したが継続を断った。
これは拮抗した試合になると予感させた7回裏、早実はあっさりと2死・・・
そして清宮君を打席に迎える。外野は深く守りバッテリーを除く内野陣も3塁手以外は芝生のある所に守備位置を取っている。
この超深い守備位置に清宮君はそれを上回る打球を放つ。ライナーで右翼手頭上へ・・・
ボクは打球の角度から本塁打にはならないと思ったが、静高の右翼手小柳君はファインプレーを見せる。フェンス際に下がった直後にそれを判断したのだろう。すぐにクッションボール処理のためのポジションを取った。フェンスから跳ね返ったボールをすぐに内野に返す。誰もが長打だと思った打球だが、清宮君は1塁ストップ。
だが、その後ワイルドピッチで清宮君は一気に2塁から3塁を陥れる。カウントを悪くした野村君に対しては敬遠気味の四球を与え、勝負は小西君。
彼の放った大飛球はセンター頭上を襲う。当然深く守っていた中堅手はバックスクリーンの左へ下がりこちらを向いた。風はセンターからホームに吹いている。追いついた。しかし・・・ボールは彼の横に落ちた。
追いついていた。風か、慣れない球場か・・・・
3塁打となってスコアは5−3となった。静高は9回にランナーを出したが力尽きた。
静高関係者は休日の朝早くから応援に駆け付けたものの残念な結果となった。だが、打撃力では静高は勝っていた。池谷君の投球はある程度通用した。
この試合では敗れたが、静高OBは来年3月末の有給休暇を取る準備をしたほうがいいだろう。
池谷投手がこの冬を超したら、どれだけの投手になっているのか、ボクはそれが楽しみだ。
2,016年11月12日 第47回明治神宮野球大会高校の部 準々決勝(於 明治神宮野球場)
静岡
100 200 000 = 3
102 000 20x = 5
早稲田実
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