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2016年07月13日09:47

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西郷隆盛の言の葉

「光を巡らずとも、葵は陽に向かう」(西郷隆盛)

 これは西郷隆盛の「獄中感有り」という詩の一部分である。隆盛は島津斉彬の抜擢人事で低い身分ながら、能力を評価され、要職に就いていた。が、斉彬が「病死」し、後を継いだ久光とは意見が合わず、とうとう隆盛は徳之島に流罪となってしまう。この当時の流刑は審判を下した人の匙加減みたいなところがあったから、下手したら、一生出られない可能性もあった。

 しかし隆盛はその不遇を嘆かなかった。天命を恨まず、寧ろ自分が活かされていることを幸せに思った。京都にいたら、同志と共に殺されていたかもしれない。

 この天命を恨まない、この姿勢こそ逆境の時は大切である。いつか順境が来ることを信じて、機会を窺う。この不遇は天の配慮であると思い、恨まず、動揺しない。

 現代に生きる我々もそうだろう。

 物理的に働くにくい環境であれば、上司や先輩に相談して、変えてもらうのは良いと思う。しかし人間関係上は、居心地の良さを職場に求めるべきではない。人間味あふれる上司でも、先輩でも、同僚でも、一緒に働けてよかったと思えるのは、非情だが、高い評価を貰った人だけだ。しかもその評価は往々にして、形式的には実力主義だのなんだの言っても、その人の主観、感情、或いは運だったりするのが現状だ。

 人は自分のことを低く見ている人間と一緒に居ることを居心地が好いなどと思えるほど、人格者ではない。実際100人が100人、良い職場だ、などと考えているところなど殆ど無い。

 残念だが、組織の中には、言葉が悪いが、良い思いをしている人と、そうでない人が必ず居る。ならば、居心地の良さなど求めないで、目の前にある仕事をしっかり取り組み、時節を待とう。それこそ「陽にあたらずとも、葵の花は陽の方向に向けて咲こうとする」の喩えのように。

 運やチャンスを掴める人ほど、そのことをよく分かっているものだ。

 最後までお読み頂き、ありがとうございました。


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