あと幾つ大晦日を迎えることが、出来るだろう。
ふと思う年の暮れ。
どれだけの人に助けられて来たのだろう。
昨日の夕方携帯に電話が鳴った。
何十年も前のお得意様だった人からだ。
実家の山を管理していて、バーベキュー施設を持ち、毎日何百人も利用しているとか。
僕が元気にしているか、会いたいとか、幾つも山があるから好きに使っていいとか、一緒に余生を送りたいとかの内容でした。
私よりかなり、年上ですが、よく人生の悩みを聞いていただけで、とても感謝され、
よく山の御殿に招かれた。
頼まれて掛軸を書いたりしたので、川のイケスで飼っているヤマメなどをどっさりくれた。
ありがたいお話は今でもあります。
新しい会社を立ち上げた。
重役で迎えたいからとか、私は何故か歳上の社長さん達に好かれるのです。
社長さん達に書を教えに回っていたこともあるから。
書には人柄が現れるからと、禅の心を随分説いたりしていましたから。
ありがたいお言葉ですが、丁重にお断りしています。
10年も20年も経って、突然思い出して、調べて電話してきてくれる事に深く感謝しています。
とても魅力的な条件のお話しですが、今の私はやはり良寛さんみたいになっている。
地位や身分や金銭にはもう用はない。
今日生きていける
米(五合)と薪(たきぎ)になる枯れ葉があればいい。
いつからか、良寛さんの生きざまに似てきているのかも知れません。
昔から、子どもに自作の童話や紙芝居を聞かせて、
生きる喜びを
伝えて行けたら
と願っていました。
今ではお年寄りも入って来ましたが。
そして、ある時に紫雲(しうん)がやって来て、お迎えが来ると信じています。
夕方の空を見るたびに、まだお迎えは来ないなと考えています。
修行が足りないと紫雲は来ないのかも知れません。
今日の夜も良寛さんの番組を観たいと思います。
合掌
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