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2015年11月19日09:49

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斎藤一人の言の葉(11月19日)

「人は『当たり前』で不幸になっている」(斎藤一人、実業家、銀座まるかん社長)

 

病院の待合室に置かれていた彼の著書の中で、見逃せない言の葉だったので、患者の分際で筆記用具を乞い、書き留めたのだった。どうも書物との出会いだけはとても恵まれているといつも感じている。富貴や情事はまるっきり縁がないようで、感心を持とうとすると、大概、失敗ばかりしてきた。しかし生まれつき、精神的に深く満たされる幸せだけは追求して良いことになっているのかもしれない。

 直近の国勢調査では、貯金が全くない人たちが全世帯の30%、年収370万円未満の人たちが5000万人近くも居るのだ。でも日本で餓死する人というのはそういないのではないか。しかし街ゆく人の表情は冴えない。なぜか。

 何でも当たり前のように感じているからではないか。言われてみれば我々は家から一歩出れば、いつ車に轢かれるか分かったものではない。何しろ自転車に乗っている時ですら平気の平左でスマートホンをこねくり回している奴がいるのだ。そんな人がハンドルを握っている。まさに「・・・に刃物」我々が何時轢き殺されてもおかしくはないだろう。

 でも、我々はそれが確かに当たり前だと思っている。

 それは冷静に考えれば当たり前ではない。

 新聞を見れば誰それどこそこいつ、いつか、犯罪の記事が躍らない日はない。誰かが自殺したり、殺されたり、誘拐されたり・・・。

 本来そういう凶事に巻き込まれない事は奇跡なのだ。我々はその事実に感謝の気持ちを忘れている。生きることが詰まらなく感じたら、その理由を偶には追及してみるのも良いだろう。大抵は、当たり前だった事は、当たり前ではない事に気づくはずである。

 最後までお読み頂き、ありがとうございました。

 電球関連の言の葉


 「不幸な家族は欠乏で不幸になっているのではなく、過剰で不幸になっているのだ」
(トルストイ)

 「及ばざるは、過ぎたるに優れり」(徳川家康)

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