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2015年11月13日15:12

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北条氏康の言の葉・その2(11月13日)   

「大将は部下を選ぶ。されどまた部下も大将を選ぶ時がある。」(北条氏康、
関東の戦国武将)

 
 氏康は戦国時代の幕を開けた北条早雲の孫、3代目の当主で名将として名高い。特に人の心を行動やセンスから読み取るのが得意だった。それは子どもの時からどうもそのようだった。実際、鉄砲の音に驚き、足軽たちに嘲笑され、
恥辱のあまり自害しようとしたことがある。

 それを守役が

 「何事においても機敏な証拠にございます。何とぞ自害は思い留まってくださいませ。」

 と引き止めた。守役の言う通り、氏康は人の気持ちを察して読むのが巧みだった。その性質は戦場でもいかんなく発揮された。敵の心理を衝いた戦いで、大きな戦いでは一度も負けたことが無く、上杉軍7万をわずか7千人で河越にて奇襲攻撃で打ち破り、南関東の領有を確実なものにした。さしもの戦国の名将・武田信玄も上杉謙信も氏康の籠る小田原城を攻め落とすことが出来なかった。

 これは息子・氏政に言い聞かせた言の葉だった。

 ところが氏政にはそんな性質がまるで見られない。氏政が朝食で汁飯に掛ける量を一回で見極めることが出来なかったことを見て氏康は嘆いている。

 「ああ、何と言うことだ。汁飯の汁の量も分からないとは・・・わしの死後、関八州を守りきることすらおぼつかないのではないか。」

 と。不幸にして彼の危惧は的中し、実質氏政の代で小田原北条氏は終焉となるのである。

 とはいえ氏康、なかなか当時のトップとしては珍しく物分かりが良いと思う。

 これが徳川時代になると

 「大将が大将らしくなくても、部下は忠節を尽くせ。」

 となり、一方的な忠節を強要された。

 尤も徳川幕府は家康死後、将軍が無能であっても政治が成り立つようなシステムでなければならなかったのである。実務的な権限は老中に任されてしまった。

 さて現代はどうだろうか。

 少なくとも戦後からバブル崩壊までは江戸時代に近いのではないか。

 「クビにはしない。だから社長が社長らしくなくても、上司らしくなくても、部下は忠節を尽くせ。」

 というところか。確かに1980年代後半のバブル経済の時代は失業率が極端に低かったが、好景気だったからだけではなく、こんな忠誠心をどの企業も要求していたからである。


 しかし今は会社の寿命自体が短くなっている。創業30年を越える企業はわずか5%程度でしかなく、半分は創業5年以内に廃業するのが日本の会社だという。経済評論家は日本の会社は収益性が低いと批判しがちだが、大企業ですら高収益を望めないほど競争が厳しいのが日本の会社だと見るべきである。

 この状態ではリストラ、倒産は勤労者の身で在り続ける限り最早「加入儀礼」のようなもの。ならば今こそ、働く側はこの氏康の言う勤労意識にチェンジしても良いのではないか。

 戦国時代は実力主義の社会だった。しかしそれでもなお人の下で働く側は

 「いかにして自分の働きに応じてちゃんと食べさせてくれるか」

 ということがとても大切になってくる。言い換えると生活保障能力があるかどうかである。

 あの実力主義の戦国の世の武士たちですら生活保障能力があるかどうか、厳しく上司、社長をそれぞれ自分なりに精査していた。幸いにして(?)我々はリストラ、倒産したからといって、命を奪われる訳ではない。ならば尚のこと、使われる立場の人たちも当時の人たちと同じくらい厳しさを持って会社の経営者を見つめていいと思う。

 世間では「ブラック企業」という言葉を聞く。

 もし生活保障能力がその会社に全くないならば、自己責任で職を変えるのは当然と勤労意識をチェンジした方が良いと思う。

 最後までお読み頂き、ありがとうございました。


 電球北条氏康の言の葉・その1はこちら左斜め下

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