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2015年06月25日09:55

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人生意気に感ず「知事選の重要さ。3・11国会事故政調。高木仁三郎のこと」

人生意気に感ず「知事選の重要さ。3・11国会事故政調。高木仁三郎のこと」
◇知事選の最大の課題は投票率。支援県議団でOB会をつくり知恵を出すことになった。23日結成会議が開かれた。「一騎打ち」を全面に出したのでは、人々は、「決まっている」からと考え投票所へ行かないだろう。群馬の難題を克服するために県民の心を結集するという大義を訴えるべきだ。火山、巨大地震、ウィルス、薬物などの大災害が近づいている。それにも関わらず群馬県は「安全神話」に胡坐をかいている。知事選を県民と行政が目を覚ます契機にしたい。
◇私たちを包む不安と混乱は、あの「3・11」から始まった。教訓として活かすべきことが多いのに、早くも風化しつつある。その象徴が「安全神話」。
 私は改めて「国会事故調査委員会」の報告を読んだ。「原発事故は人災だった」という悲壮な訴えを新たな怒りで受け止めた。この感情を社会一般が共有することこそ今求められている。
◇報告書の次の部分は衝撃的だ。「想定出来たはずの事故が何故起きたか、その根源は政官財の『おごりと慢心』にあり、日本の原発はいわば無防備のまま『3・11』の日を迎えることになった」と指摘し、その一例として次の事実を指摘する。
「平成18年には福島第一原発の敷地の高さを超える津波が来た場合に電源喪失に至ること、土木学会の評価を上回る津波が到来した場合、海水ポンプが機能喪失し、炉心損傷に至る危険があることは、保安院と東電の間で認識が共有されていた。保安院は、東電が対応を先延ばしにしていることを承知していたが明確な指示を行わなかった」
 この電源喪失について私は、事故以前に亡くなった前橋高校出身の科学者高木仁三郎氏の指摘を読んでいた。いわば予言ともなった民間の学者に耳を傾けなかったところにも「おごりと慢心」があったのではないか。
◇高木さんは2000年、がんで亡くなった。死の直前、最後のメッセージを世に送った。その中で原子力時代は末期症状にあるが楽観できないのは、原子力最後の日を迎える前に巨大な事故や不正が原子力の世界を襲う危険だと指摘している。およそ10年後その通りになった。
◇年金情報流出とその後の不手際も官の緊張感と使命感の欠如の現われ。金城鉄壁も蟻の一穴から崩れる。今も蟻に食い荒らされているのか。(読者に感謝)

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