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2015年05月30日22:27

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町屋で開かれた小さな演奏会

 日記のコメントを書いていた。床が揺れたかと思ったら、しだいに家がゆさゆさと揺れ始めた。部屋の隅っこでラズリは顎を床に付けるように、腹ばいでうとうとしていたのだが、揺れが強くなった時点で、すくっと起き上がり、私のほうをしばし見た。大丈夫だ、と目で合図を送ったら、ふたたび寝る姿勢に戻った。あまり役に立ちそうな犬じゃない。
 朝10時半、家を出て東京・町屋駅前にある「ムーブ町屋ムーブホール」に向かうべく、電車に乗った。「第17回TIAA全日本作曲家コンクール入賞者披露演奏会」を聴きに行く目的だ。高村光太郎関連で知り合った作曲家からご案内と招待状を早々にもらった上に、別のかたとも一緒におお聴きしましょうと約束をしたので、四の五の言わずに行くべきイベントになった。こういう強制、いまのウツな私にはとても好都合かも。誰かに引っ張り出されないと、ますます自閉してしまうから。
 千代田線町屋駅。改札口から地上に出たら、都電のステーションがある。しばし考える。この駅、初めてかもしれない。パンフレットに載っている地図を見て顔を上げたら、大判焼き屋があった。買い食いしたくなった。
 大判焼きのお店から徒歩20秒の先に、ホールのあるムーブ町屋があった。受付を済ませてにホールに入ったら、鎌倉の友人とばったり出くわす。なんでまたこんな所に? というのはお互いそう思ったことだろう。あまりに意外な遭遇だったが、これはこれで面白い。世間は狭いものだ。
 演奏会の最初が知り合いの作曲による歌唱曲だった。パンフレットにはピアニスト名が「未定」とあったこともあって、バリトンの男性に意識が行ったままピアノの演奏が始まった。わずか数秒も経たないうちに、ピアニストの技量なのか会場の音響効果なのか、あまりの音の豊穣さに度肝を抜かれる。往々にして私はよく言えば無頓着、悪く言うとテキトーな性格なので、心構えが雑だ。
 ピアニストの演奏が秀逸なのか、知人の作曲家の譜が優れているのか、ホールがいいのか。15分にわたって「すごい」「気持ちいい」「素敵」と幼稚園児のようにあんぐり聴くばかりだった。
 演奏会がいったん休憩に入った時を見計らって、作曲家のもとへ駆け寄り、ピアニスト名を尋ねた。倉本洋子さんと教えてもらった。
 演奏曲がすべて終わった段階で、倉本さんのピアノが素晴らしい、ということがよくわかった。彼女の指にかかると、ピアノがピアノの音でなくなる。川の水が下流に向かってあるときはおとなしく、あるときは大きな飛沫を何百と集め、音が立体的な水のように溢れてくるように思えた。
 小説の一コマを想う。
 軽井沢にある友人の別荘に私がいる(仮定)。
 友人と昼どき、庭でフランスパンとコーヒーという簡単なランチをとっていたら、隣のご夫妻が通りかかって友人に「よかったら今晩、ホームコンサートを開くので、いらっしゃい」と誘いかけた。友人は私がうなずくのを見てから「では少しおじゃまいたしましょう」と応じる。
 夜、ぼくらが隣の別荘にうかがってまもなく、隅に座っていた老婦人がゆっくりとピアノに向かい、緩慢な動作で座った。
 男性物のVネックを羽織っているようなその婦人は小声で「シューベルト、ピアノソナタ18番」とつぶやき、軽く息を吐いてしばし黙りこんだ。
 少し間があってから、演奏が始まった。ホームコンサート、カジュアルなファッションの婦人、頼りなさげな曲目紹介。 
 が、わずか20分の間に、打ちのめされたといっても過言ではないほどにぼくは感動した。
 そして、のちにわかることなのだが、このピアノ演奏を聴いたことがぼくにとってエポックメーキングになった……。こんなシーンだ。

 演奏会のあと知人と30分ほどコーヒータイムを過ごしてから、町屋駅をあとにした。
 意外なほどに楽しい一日になった。

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