言葉は抽象的な思考を可能にする。
たとえば机という言葉は、「現在目の前にある私の部屋の机」「昨日家具屋で見た机」「学校の教室のクラスメイトの机」などなど、机と呼ばれる具体的な一つ一つのうちのどれにも還元されることがないけれどどれをもおのれの局面として具備している抽象概念だ。
人間以外の動物が生きている具体的な環境の上に、抽象概念の組み合わせの体系としての世界を上書きして、それに適応するという仕方で生きているのが人間だ。
チンパンジーが「台」に乗って「棒」で「バナナ」を叩き落とすという課題をクリアできるのは、「台」「棒」「バナナ」が一目で見渡せるところにある場合に限るのだけど、そうでない場合も人間ならば「台」「棒」「バナナ」という抽象概念を組み合わせて課題をクリアできる。
チンパンジーはたとえ「台」「棒」「バナナ」を一目で見渡せる場合であっても、台の上にもう一匹のチンパンジーが座っている場合は、どかせて課題をクリアするということができない。
それはチンパンジーに抽象概念が形成されてないために、「座るための台」と「棒でバナナを叩き落とすための踏み台」を同じ一つの「台」の異なった局面として捉えられないからだ。
統合失調症の症状の一つとして「抽象的思考の困難」が挙げられるのは、親が子とのコミュニケーションを拒絶していたために子が言語習得可能な臨界期である少年時代までに言語に習熟する機会が極端に少なかったからだろうと考えられる(狼に育てられた少女が発見されて人間界に取り戻されて言語を教わったけれど、手遅れで、死ぬまで習得できなかった、という例がある。)。
思考を積み重ねてステップアップしていくことを学習と呼ぶとすれば、統合失調症患者に学習能力がないことも説明できる。
人間は最初は一面的な物の見方をしていて、現実の多様な局面を見ていくうちに、段々多面的な物の見方ができるようになっていく、というのが学習だ。
ところが、統合失調症患者は、今まで見ていた現実の一面と異なる一面を目の当たりにすると、統合されて認識が多面体を成すようになるのでなく、ショックを受けてそれまでの現実認識を覆してしまう。
このように、具体的次元の上に抽象的次元が上乗せされていないというふうに、このように心が平板化していて立体的構造を成さないところに統合失調症の本質があると言える。
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