もしも、まず静止空間という容器があってついでその中に物体という内容が入っているのならば、絶対静止している空間から観測される絶対運動している物体があることになるけど、物体の体積を空間と呼んでいるにすぎないので、運動は相対運動である、という考え
大学生の頃に、ワープロが普及し出したから、買った。ワープロで言葉を打ち出して、画面上の言葉を見て、それに触発されて、次の言葉が思い浮かぶ、というふうに、言葉を次々と紡ぎ出せた。たとえば「バラは美しい」と画面上に打ち出してから、挿入機能を使っ
無意識の論理は矛盾を許容する論理なので、覚醒中は矛盾を許容しない論理が支配している意識によって無意識は抑圧されて心の奥底に潜在しているけど、睡眠中は無意識に対する抑圧者である意識が失われることによって無意識が夢として顕在化してくる。夢の中の
国語辞典を調べ出せば、言葉の意味の説明に使われている言葉の意味も言葉で説明されている、というふうに、キリがないことから、分かるように、言語とは、記号の組み合わせをメタレベルの記号に置き換えるということの繰り返しによって作られる記号体系のこと
物と心の関係についての哲学的な議論があるのだけど、物と心と、どちらのほうが根源的な存在か、という問いに対する答えの一つとして、唯物論という議論がある。唯物論とは、物のほうが根源的な存在で、心のほうは脳という物が生み出した派生的な存在にすぎな
三重苦のヘレン・ケラーが言語を獲得した劇的瞬間についてのサリヴァン先生の有名な報告がある。それによればサリヴァン先生が、まず朝食前に水道水で顔を洗ったヘレン・ケラーの手のひらにwaterという指文字を綴って、ついで朝食後に井戸水を汲んだコップを
世の中すべて「お金」だ、と言う人もいるけど、僕はそうは思わない。「健康」がすべてにおいて大前提だ、と言う人もいるし、人それぞれだと僕は思う。現に、「お金」がなくて苦しんでいるわけでもなく、「健康」を害して苦しんでいるわけでもない、僕でも、そ
「すべての芸術は音楽に憧れる」と言われる通り、絵画は、分からない人は分からない、というふうに、音楽以外の芸術は、人を選ぶけど、音楽だけは、万人共通の心の琴線に直に触れる力のある普遍的言語である、と僕は思う。そこで、音楽という一例を通じて、芸
発達心理学によれば、コミュニケーションの手段だった外言が内言化すると思考の道具になる、というのが、言葉の系統発生順乃至個体発生順である、という意味で、思考とは、本来、自分自身とのコミュニケーション、言い換えれば、自己内対話である。すなわち、
人間は、未知に怯える動物である。死ぬのが怖いのも、死んだらどうなるかが分からないからだ。普段は目前に迫っていないから実感が沸かなくて怖くないだけで、いざ死のうとしたら怖くて死ねないのも、死が我が身に引き起こるどういう事態であるかが分からない
統合失調症の原因論として「脆弱性-ストレス」理論がある。メンタルの脆さという素因と、ストレスをもたらす環境因が、相俟って、統合失調症が発症するのだ、と、精神医学では、考えられている。つまり、統合失調症になるとは、当人の限界を超えるストレスを
分裂病のフィルター理論とは、分裂病をフィルターの破れとして説明する理論である。健常者が、外界からの刺激のうちの必要でない物をカットするフィルターが破れていないことによって必要な物だけを見ることができるのに対して、分裂病患者はそういう選択的不
母は気が弱く、兄は独占欲が強かった。だから、兄の嫉妬が凄すぎて母は僕に話し掛けることすらできない、という状態は、僕が生まれ落ちたときからずっとだったと思われる。つまり、僕は、普通の人間のように、赤子のときに言葉のシャワーを浴びたこともなく、
現在目の前にある刺激に対して心を介在させることなく体が直接反応を返す動物の反応様式を本能と呼ぶのだけど、人間だけは、人間以外の動物と違って、心の中に過去と未来の方向へ向かう長い時間的な幅を開いていて、長い目で見れば得策であるような行動のほう
理性をかなぐり捨てて感情を噴出させることを発狂と表現するように、感情的になってヒステリーを起こしている女性の話が滅茶苦茶になるのは、狂人が支離滅裂な喋り方をするのと同じことで、狂気への一時的な移行である。だから、狂人の見る幻覚は、健常者にお
チンパンジーが「台」に乗って「棒」で高い所にある「バナナ」を叩き落とすという課題を遂行できるのは、「台」「棒」「バナナ」が一目で見渡せる所にある場合に限る、ということから分かるように、人間以外の動物は、現在目の前にないものを考えに入れて行動
中学生の酒鬼薔薇聖斗が小学生の男の子の首を切断した際に射精したことについて、犯罪心理学者が「性欲と攻撃性は相互乗り入れの関係にあって、性欲が抑えられると攻撃性に形を変えるという関係があると同時に、攻撃性が形を変えたものが性欲であるという逆関
最近、友達の元彼女が長い鬱のトンネルを抜けて社会復帰して今順調に働いているという知らせを受けた。挫折を乗り越えて立ち上がって再び歩き出したその人を、強い人だ、と思った次第だけど。でも何度躓いても、裏切られても、災いが一挙に降りかかってこよう
フロイトの深層心理学のような抑圧理論は、仏教でも、説かれていて、欲求は満たされなければ攻撃性という形に変わる、というふうに、意識下へ抑圧された欲求は消滅するのでなく姿を変えて意識上へ回帰する、と説かれている。あるいは、禁煙に成功した人が反動
発達心理学によれば、赤子は、まず言葉を口に出して言いながらでなければ考えられない段階を踏み、ついで言葉を言わなくてもそれを念頭に思い浮かべながらならば考えられる段階を経て、しかるのち言葉をわざわざ思い浮かべなくても考えられる段階に至る。この
感情と感性は違う。感情も感性も感じるものだけど、感情の赴くままに振る舞えば現実不適応を起こしてしまうのに対して、感性は知性と一体となっていることによって現実を感知するセンサーとして適応に役立つからだ。たとえば、アメーバに、感情はなく、感性だ
生まれ落ちてからずっと、家族全員からコミュニケーション拒絶されてきて、発言権をほとんど与えられたことがなかった僕は、幼稚園や学校に行っても、家庭内で喋り慣れてないから重度の口下手で、話し掛けられても受け答えができず、誰ともコミュニケーション
周囲の手厚い庇護を必要とする、か弱い存在として、生まれてくる、赤子は、大なり小なり、自我の脆弱性の問題を抱えている。だから、自分の感じていることに共感を示してくれる他者がいなければ自分の感覚を信じられずそれを意識下へ却下してしまう。「あなた