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2014年12月15日01:42

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誰も何も悪いことしてなくても

僕が勉強において秀でるしかない子であることは僕が生まれ立ての赤ちゃんだった頃から母にとって一目瞭然だったにもかかわらず、母は僕に勉強させようと働きかけなかったばかりでなく、逆に僕が勉強したらやめさせようとした。

小学校に入るまでに僕に母が教え聞かせておくべきだったことは、「お前もいつか大人になれば社会に出る。社会に出るための下準備として学校があって、学校とは勉強するところだ。勉強しなかったら将来大人になったときに社会の底辺でもがき苦しむことになる。そればかりでなく、それ以前に、小学校で勉強しなかったら荒れた中学や高校で悲惨な目に遭う。」ということと、「勉強というのは本腰入れて取り組めば面白いものなんだ。」ということ。

それを教わらなかったために、EQが低い人ほどIQを発達させる方向に走るから勉強する子より勉強しない子たちのほうが魅力的に映る、という事実関係に薄々気付いていた僕は、魅力的に映る集団のほうへの帰属欲求のために、小学校六年間、一切勉強しなかった。

授業中は先生の話を聞かず、空想に耽っていて(もっと正確に言えば呆け老人のようにボーッとして何も考えないでいて)、唯一体育の授業のときだけ一生懸命やった。

僕が小学校六年間、徹底的に勉強を忌避したのには、もっといろいろわけがあった。

そのわけを、以下につらつら述べる。

兄の後に生まれてきた僕は、兄より年下であるために腕力において劣るというばかりでなく、生まれつき兄より気が弱かったこともあって、兄弟間の力関係は一方的なものになった。

そして母も、僕に似て気が弱かったために、兄の圧力に負けて兄に独占されっ放しで、母は兄と僕に平等に発言権を与えるという采配ができず、僕に発言の機会はなかった。

つまり、家庭内の会話の輪はいつも兄と母のみで構成されていて、僕は生まれ落ちたときから会話の輪の外に置き去りにされていた。

さらに悪いことに、母はいつも兄しか相手にせず常に僕を無視していたので、僕はそんな母から関心を撤回せざるを得なくて、母と兄の会話を聞くこともせず、上の空になって、ただただ空想していた(もっと正確に言えば呆け老人のようにボーッとして何も考えないでいた)。

つまり、学校教育で勉強を教わることができなかった以前に、家庭教育の段階で言語を教わることすらできていなかったのだ(言語なしに概念的思考はできないのでボーッとして何も考えないでいた僕は小学校低学年の頃にはもう呆けジジイとクラスメイトたちからあだ名されていた)。

そして空想(もっと正確に言えば早発性痴呆状態)の只中で、大いなる勘違いを膨らませていくことになった。

勉強しないことがカッコイイことなんだという勘違いだ。

実際、兄は内弁慶で、学校では、勉強はできたけど、いじめられっ子タイプだった。

こういうふうに説明してくればもう、家庭内では兄に抑圧されていた僕が、兄を反面教師と見なして兄と正反対の方向に行こうとしたのも、心情的にはうなずけると思う。

小平邦彦という世界的に有名な日本人数学者は、「小学校のときに算数を勉強しなかったら、中学以降にいくら数学を勉強してもできるようにならない。」というようなことを言っているのだけど、僕はまさにそのパターンに嵌っていくことになった。

というのは、家庭内で喋り慣れてないから学校へ行っても誰ともコミュニケーションが成り立たないというコミュニケーション欲求不満のかたまりだった僕が、中学入学と同時に欲求不満を勉強に打ち込むエネルギーに変えて、猛勉強し出したのだけど、数学という苦手を克服するために滅茶苦茶勉強したにもかかわらず、数学以外の科目はちょっとやればすぐできたけど、数学だけはいくらやってもできるようにならなかったから、高校は文系コースに進学した。

まともな家庭環境のもとに生まれて来さえすれば科学者として大成功できるくらいの資質は多分持って生まれて来たのであろう僕が、理系コースを断念せざるをえなかったわけだ。

事程左様に、母は母親として失格だったのだけど、親になる資格のない人間は子供を産むべきでないという机上の空論は論外として、現実には、母も、母の兄(つまり僕の伯父)によって、酷い目に遭わされてきたことを、根に持ったまま屈折した大人になった、という経緯があって、母は僕の伯父譲りの個性を個性として認めることを、僕を産んでから53才で夭逝するまで、できなかった。

そして、僕が中学生になって伯父ばりに闘争心の塊となって猛勉強したら、母はこれを内心快く思わなかったらしくやめさせようとして妨害したことがあった。

たとえば、高校受験が終わった時に、「もう高校生なんだから中学生の時の教科書も参考書もノートも要らないから全部捨てなさい」と口実付けて、基礎を振り返るおさらいをできなくさせることによって、高校入学と同時に挫折させたり、母は僕を散々な目に遭わせてきたけど、これも伯父に対する復讐として、理解できる。

伯父は、四人きょうだいの第一子で、第二子だった母をして言わしむれば、「私が物心付いた頃にはしつけに関して親も口出しできないほど強い権力を振るっていた結果として四人きょうだい全員が強制的に東大に入らされた」。

伯父は「人間は弱肉強食の生物界の一種にすぎないのだから強者だけが生き残り弱者どもは滅べ」という考え方の持ち主で、母は「人間はみんな弱いのだからいたわり合って生きていこう」という考え方の持ち主。

他人たちを蹴落として学歴社会競争社会を勝ち抜いていくことを至上とする伯父の美学に対するアンチテーゼが母の美学。
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