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2014年11月24日21:03

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いざ、文学フリマ!

 3連休最後の日。鎌倉駅は観光客でごった返し状態だった。
 本日は「文学フリマ」へ行くため東京流通センターへ。王道は浜松町からモノレールに乗る経路だが、神奈川県民としてはいったん通り越して戻るルートになるので、京急平和島から歩いて行くことにした。
 平和島駅で下車したら、連休の賑わいもなければ、働く人たちも当然いるわけもないので、閑散としている。空は今にも雨が落ちてきそうな鈍色で、さびれた街の印象を形容する言葉が浮かびそうで浮かばない。海方向に向かって歩いていたら、ラーメン店が3軒、まるで並ぶようにあったが、客の姿はまばらだった。
 2カ月前の9月にこのイベントが開催されることを知って、楽しみに待っていた。期待感というよりむしろ安堵感に近い気持ちだ。
 こんな邪悪な世の中で信じられる世界は、ちっぽけな個に還って文学でもやってみるか、というジャンルの人たちだけ(笑)。
 しかし、遠いなぁ。10分ほど歩いていて、本当に会場まで辿りつけるのだろうか、と一抹の不安を覚える。街路樹が色づいて、舗道に落ち葉が散乱している。あまりきれいな光景ではなかった。稲葉真弓さんの短編で東京湾岸の街で一人暮らしをする女が主人公の話があったが、シングル女性の孤独感と閉塞感を演出するにはぴったりの雰囲気だ、とあらためて思った。
 会場の入り口近くでようやく人心地がつく。何百人単位の人たちがいて、空気が暖かく感じられた。
 中に入ると、目眩がするほど多くのブースがあって、これをすべて回るとすれば最低でも2時間か3時間はかかる、と覚悟した。
 が、表現者たちと、表現を読みたい人たちの熱気が直で伝わって来る雰囲気が心地いい。回り切れるんだろうか、という不安は消えて、この同人誌は手に取ってみたい、立ち読みしてもいいか、買う価値と意味がありそうなどなど、いろんな感情が湧いてくる。書店でも似たような出会いはある。しかしこういう会場だと、書き手と買い手が遙かに近いため、興味や好感といった感情はよりリアルになる。
 小一時間くらいの時点でそろそろ休憩しようか、というところで、目を引くポップがあった。「横浜大学サークル」という文字が目に入った。
 そばに立っていた男に「こんな大学、実際あるのか?」と訊ねたら、「いえ、横浜国大と横浜市大などの合同で出しました」と答えた。
「なんだ、後輩じゃないか。いまどき、同人誌を出すとは酔狂だな。オレは70年代にやっぱ『国大文学』という同人誌をやっていたので、笑い出したい心境だ」と言ったら、びっくりしたような顔になった。オレは70年代に人殺しをした、と言ったわけではないので、そんなに驚かなくでもいい。
 10分ほど立ち話をしたあと、「名刺を渡しておく。明日になったら捨てていい」と名刺を取り出したら、彼も「僕のも捨てていいから交換しておきます」と言って名刺をくれた。近ごろの学生はどういう意識と希望で生きているのかまったく知らないが、話せばわかり合える気もする。
 合同雑誌『港未来』(しょうもないタイトルだ)、国大文芸サークル「伽藍堂」誌『金木犀』(凡庸なタイトルだ)の2冊を買って、「じゃあな」と軽く手を挙げて去った。なにが「じゃあな」だ。後輩だと思うと、ついハードボイルドになっちゃった。
 ちょっと進んでは立ち止まり、雑誌や本を手にしたり、買ったり、憤ったり、フリーズしたり。
 憤ったのは、東大生の文芸サークルでも同人誌を出していたのだが、そこに「三四郎の後輩です」「朝日新聞で紹介されました」という2つのコピーをでかでかと書いたポップを出していて、つい「この権威主義どもめ!」と思っただけである。
 信州大の学生君たちも同人活動をしていた。
 プラカードを見た瞬間凍り付いたような気になって、「地震の被害、大きかったみたいだね?」と学生に声をかけたら、真面目そうな男子が「僕は松本なので揺れはあまり感じられませんでしたが、長野市から向こうは想像以上の災害でした」と答えた。信州大って個人的に慶応大の100倍くらい好きな大学なので、彼の受け答えが好ましく思えた。
 結局、3時間、会場にいた。カバンにぎりぎり入るくらいの「おとな買い」をしてしまった(写真はその一部)。社会的にはただのゴミ屑だが、私にあっては人間を信じるただひとつの手がかりだ(笑)。しかし、斜め読みをするだけで数週間くらいかかりそうだな。
 来年もまた行きたいイベントだ。
 
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