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2014年11月09日23:24

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ちびまる子ちゃん『対決!大野くんと杉山くん』の巻

昭和33年の春に台東区の柳北小学校から、真東の、今でなら20分そこそこでいける隅田川のむこうの墨田区の二葉小学校に転校しました。

今までが無くなってうれしいようなかなしいような、でも基本的には明るく新しい家に引っ越したんでした。

学校も4年生になったばかりでまだクラスのヒエラルキーが定まってなかったからか、ずいぶん大きな転校生が入ってきたって遠巻きにみられてたようなお客さん扱いで、ジャンケンの掛け声の違いなんて子供文化の根っこにかかわるような問題にびっくりしながら、無事に夏休みまですごしたように思います。

ところが、夏休みが終わって教室に集まったら急に身体が大きくなった男の子がいて、ドッジボールをやってもゴムまりの野球をやっても、もう体育ぜんぶがカッコよくてハンサムだし、いっきにクラスのスターみたいな存在になりました。
ひとりで大野くんと杉山くんをやってましたうまい!

小学校の目立つ存在の子って、それまでは台東区の柳北小学校で、足が悪くて器具をつけてるメザキくんって子しか知らなくて、突然、たぶん他のこのまねをしてからかってしまったんだろうけど、ムキニなって追いかけられて、彼の補助器具のガっシャンガっシャンて追いかけてくる音が、もう怖くて怖くて、夢にまでみたって経験しかなかったから、なんともまぶしくて、あっけにとられ、しまいにはあまりの天衣無縫ぶりに、なんてヤナやつなんだろうって思いました(笑)。

そして5年生になるにつれて、女子が大きくなってきて、おまけに担任の先生がホンワカとして家庭的そのものの、将来は良妻賢母間違いないようなおなご先生でしたから、もうクラスは女子の独擅場となりました。

しかし、良妻賢母的なホンワカおなご先生が結婚したとか妊娠したとか、男子にはわけのわからない騒動がありまして、自習ばかりになりうれしいなあ〜なんて喜んでたら、背は高いしきりっとした、若くて独身としか今は思えないような九州男児の男先生に変わりまして、頼もしいような怖いような、でも男子の瞳に火が点いたのは確かでした。

負けず嫌いで、高跳びでもなんでもみんなと張り合って、クラスの文集「ありんこ」なんて忘れられないガリ版の本までも作れるように一緒に立ち上げてくれて、おかげでクラスのみんなは、ずいぶん大人になれたとおもいます。

一足早く大人になりつつある彼女たち女子をまぶしげにみながらもちゃんと訓導し、おろかな男子もけっして見下さないで、子供たちと佳く対峙し続けてくれたと思います。

修学旅行の日光でのクラスの集合写真、小学6年生なんですけど、みんないっちょまえの顔つきをしております。

そしてある日の朝、男先生がひとりひとりの顔をみてー

「今日はこれで授業をやめて、僕はあるところまで行きます。
いつか、君たちが大きくなったら、きっとわかってくれると思いますから、元気に行ってきます!」
って云いました。
うん、95%くらい、復元できたかもハート達(複数ハート)

ぼくらが小学6年生だった、1960年の6月半ばのある朝でした。

しかし、その後、男先生が戻って来てくれて、何かを語ってくれたって記憶はありません。

普段どおりの授業が続いたんでしょうか?

担任の先生が変わったって記憶はなく、でもどこか落ち着かないまま卒業したんだって思います。
一度だけ、成人になった記念だったのか、クラス会があったんですが、もうおつきあいとてなく、確かめようがないのが誠に残念です。


それから情けなくもボクは坊主頭にされて中学に、それも男子校に入って世間から隔絶された生活に入ってしまいましたから、そう、少年は青年になれず、ただただ長い冬眠に入り、母親に呆れられるくらい「チロリン村とくるみの木」を見続たのでした。

8年後に、バトンタッチされたように思いつめて、20歳の火ぶたを切ったのは結果論ですが、先輩にしろ先生にしろ、「大野くんと杉山くん」みたいにどこまでもポジテブな存在で、なおネガティブな翳のあるひとが大好きで、もう、その後はまる子みたいに苦労ばかり(笑)

この歳になると本ばかりで、なかなか大野くんと杉山くんに出会えないんですが、7日の夜に若手のコントを生でみて、その初々しさに愉快に笑いました。

ちょいと、「ちびまる子ちゃん」って油断できない回があるんで録画しながら夕飯を作るんでおます。
うん、今日も身に成りそうな御馳走になりもしたわーい(嬉しい顔)


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