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2013年05月11日23:14

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繭月通り物語・序 其の三・まよいが

 永禄三年初夏、俺が使えた大殿は京に上洛を目指す4万5000全軍に乱捕りを命じられた。

 乱捕り、と言うのは武士や敵軍属さない物達、敵の領地の農民や商家を、自由に奪い、自由に犯し、自由に殺せ、という主命である。戦の減った今の時分には乱捕りの経験どころか、話も聞いた事が無い青侍が随分多いことだろう。
 実は大殿は、戦乱の世で家中法度を作り真っ先に家中を挙げて乱捕りを禁じたお方であった。
 乱捕りは実の所、占領した領地をやせ細らせて住民を減らし、一揆の火種になるだけで勝ってもそれほど得をする命令では無い。
 しかも枷を外された武士たちは飛蝗の様に米も、酒も、女も、住人の命も喰らい尽くす。あまりに刹那的であり持続的な補給にはならない。当時、学の無い足軽頭だった俺にも解る明快な理屈だ。

 しかし今回はどうも大きく事情が違ったらしい。
 まず4万5000という、その時日本で考えられる最大の軍勢を率いていた事、
 大殿は本拠地である駿河を若殿に既に家督相続しており、背後から攻められる可能性が一切無かった事、
 更に上洛への緒戦を済ませた夕時であり、戦果も丸根、鷲津、中嶋という三つの砦を朝比奈、松平の侍大将達が落とし、更に名のある首も10人近く討ち取っていた。
 既に大殿が入城される大高城も完全制圧し、兵糧を運び込んでいた。

 そういった磐石な体勢と、京までのこれからの長旅を見据えて、自ら定めた法度を、全軍の士気高揚の為だけに破ったのである。


 俺は中嶋砦の総攻めに参加したものの、大将首も取れず、足軽隊の幾人かの部下を窮鼠となった敵軍に殺され、戦勝と乱捕りの空気には酔えず、独り意気消沈していた。
 足軽衆達は近隣の農家の村を襲い、その騒乱や女、子供の叫び声、時折仲間通しの喧嘩や酒宴の声もしていたが、そのいずれも昼の戦いに疲れた俺の気分を更に蝕むだけで、俺はその脚で喧騒の現場から遠ざかり、人気の無い場所を探して彷徨っていた。

 暫く歩くと、夕闇を雨雲が隠し、さらに小雨が降り始めていた。
 人の身体は環境の変化に敏感だ、僅かに足がぬかるみ始めただけで、一気に昼の戦の疲れと、部下を失った事で飯を殆ど食べなかった事を思い出し、全身が重くなり、戦の友である腰の太刀もまるで自分の歩きを邪魔する意思を持ったものの様に感じられた。
 幸い、乱捕りの喧騒と人を避ける為に小高い丘に登っていたので、俺はそこから輜重隊か、あるいは襲われてない集落か野営の部隊を探して、飯と寝る場所を分けて貰おうと周囲を見渡した・・・・
 すると、俺が登っていた丘の更に上、街道を進んだ先に、幾つもの提灯とかがり火が焚かれた、楼閣か櫓のような建物があるのが見て取れた。かがり火に照らされて馬が何頭か表に繋いであるのが見て取れる、既に友軍の先客が居て、もう中は荒らされた後かもしれないが・・・・
 まあいい、今は空腹と疲れが俺の陰鬱に打ち勝っていた、俺は迷い無く街道沿いの楼閣に足を運んだ。


 近づいてみると、建物は2階建てで駿府や小田原の旅籠を更に立派に大きくしたような造りであった。かがり火も多く、雨にぬれても消えぬようにちゃんと雨避けもついている。
 表に繋いである軍馬は、やはり駿河軍のものとわかる家紋と旗印が付いていた。侍大将か旗本か、それくらいの人物が4,5人は中にいるはずである。
 屋敷の中からは酒宴の喧騒が聞こえてきたが、それは乱捕りの様な恐怖や断末魔の混じった喧騒ではなく、宴会のそれである。何やら猿楽か風流のような、唱と楽器の音も聞こえる
 緒戦の大勝の直後、荒ぶった武士達の群れる中にあって、流れる奇妙なこの酒宴の音色を聞きながら屋敷の敷居を跨いだ。

 玄関の正面に居たのは、小奇麗な紫の小袖を着た、12〜14歳かと思われる髪上げしていないカムロ(女御に仕え身の回りの世話をする女子)であった。
 カムロは立ったまま俺を見て、何もいわずに黙っていたので、俺の方から話しかけた、
「飯と肴、それと寝る場所を所望する、銭なら幾ばくか払える。」
 カムロは何事かを少し考え、そして俺についてくるように、と黙って目配せした。
 俺はわらじと足袋を脱ぎ、そのままカムロの後を付いて行った。

 案内されたのは、既に酒宴の場となった大広間であった。
 まず酒と白粉の匂いに混じって、焚かれた香の薫りが漂っているのが感じられた。
 正面に舞台があつらえてあり、白拍子が踊り、囃し手が笛や太鼓で演奏している、全て若い年頃の女であった。
 座敷には我が軍の武将、侍大将、足軽達がおり、身分が高い者にはそれぞれ女が付いて酌をしたり、あるいは刀も帯も脇に置いて、既に女に枝垂れかかっているものも居た。
 情けなく枝垂れかかっていたのは、俺も見知った顔で中嶋砦攻めでも一緒だった久野元宗だった。奴は敵の侍大将の千秋四郎の首を取った今日の一番手柄だ。隣に従弟の久野宗経も居て、同じ女の黒髪を無心に撫で付けていた。
 他にも歴戦の武将が多かった、田原城攻めの松井宗信、花倉の乱で真っ先に大殿に味方した由比正信、安城合戦の大将だった蒲原氏徳・・・・
 おっと、舞台の上に興に乗った老侍が駆け上がり、舞いながら白拍子にちょっかいをかけ始めた・・・・これはこれは、先鋒の大将の井伊信濃様か。

 俺はこの屋敷が、傀儡女か白拍子の屋敷だと直ぐに理解した。
 大半は定住せずに各地を彷徨い、今様や舞い、あるいは自分の春を売る事を生業とする者達で、一部は山中やこのような人里離れた場所に集落を持ってたり定住するものもいるらしい。
 カムロは俺に再び目配せをし、用意されてる卓に座れと促した。
 卓は人数が余るほど用意されて、酒が準備されているが、飯は見当たらなかった。
 それに俺は自分より出世した武将達の醜態や淫らな薫りにも嫌気が差していたので、カムロに対し再び告げた、
「酒と女は要らない、飯と肴と寝る場所だけ、頼みたいんだが」
 カムロは再び何事か考えると、俺に付いて来る様に、無言で促した。


 次に案内されたのは座頭部屋だった。
 座頭部屋―つまり、壁のどの面も外壁に面しておらず、屋敷の中央近くにある部屋の事だ。
 既に膳が一つ用意されていた、川魚の塩焼きと芋の入った味噌汁、それと白い飯。
 膳は雅な下り物の漆器で、このような田舎の食材を乗せるのは何やら勿体無い代物であったのだが、飯を盛っていた木椀だけは、漆を塗っていない、木から削りだしただけの素朴な椀を使っていた。
 白湯を淹れた茶碗も明らかに唐高麗の、この世の物と思われぬ曜変天目であったのだが、その時の俺はそのような名品を愛でるよりも、食欲の方が大きく勝っていた。

 俺は脇にまだ控えているカムロの目も気にせずに目の前にある飯を平らげると、そのままその場に横になって、深い眠りに落ちていた。


 音――雨の音、それは小雨から既に豪雨に変わった強い雨音。
 そして俺は滴り落ちる水滴によって眠りからまた現実に呼び戻されたのだった。
 座頭部屋でも聞こえる大雨の音、これでは立派な屋敷でも一つや二つ雨漏りもあるか・・・・いや待て、ここは一階だ。よほど上階が水浸しにならなければ、ここまで雨漏りしてこないのではないか?
 俺は滴った液体を確認した、それは行灯の明かりでもそれとわかる非常に見知った液体、人間の血に間違いなかった。
 部屋に行灯は灯っている、膳は既に綺麗に片付けられている、太刀は・・・・やはり何者かに既に持ち去られていた。
 俺は意を決して、部屋の行灯を片手に屋敷の中を自分の太刀を探しに歩き回る事にした。

 既に一階は閑散としていた。
 大部屋は既に片付けられもぬけの空に、他の部屋も探してみたが、男も女も、人の気配は何一つ感じられなかった。
 屋敷に辿り着いたのが夕暮れと雨雲の闇の中だったんで屋敷の大きさを把握してなかったが、
部屋数も多く、無闇やたらにだだっ広い所も、俺独りが屋敷に取り残されたような感覚を強めていたと思う。

 ―上か―
 一階の探索が終わり、俺は二階への緩やかに曲がった階段を登り始めた。
 と、
 異変は階段を登って直ぐに把握できた、階段が血で湿っていて、さらにそれを複数の人間が踏みつけて足跡が出来ているのだ。
 血の理由もそれから直ぐに判明した、
 男の死体が、半裸で首を無くした男の死体が、邪魔にならないように階段の壁際に寄せられており、そこから血が滴っていたのである。
 それは誰の遺体かは直ぐに判別できなかったが、間違いなく先刻に広間で酒宴に耽っていた、足軽か旗本の遺体に相違なかった。服はだらしなく腰帯が解かれており、血と死臭に混じって、かすかに男女の情事の匂いと広間で嗅いだ香の匂いが漂っているようだった。

 死体に気を取られて居た為気付くのが遅れたが、階段の上から何人かの女御が俺の方を見下ろしていた。まず連中の武装を確認したが、刀や槍といった武器の類は女御の手元には見当たらなかった。
 その顔は確かに広間で侍大将達に酌をしていた女御達であったが、口元の紅は血の色のように更に深みを増し、瞳の奥には隠しきれない興奮が、静かに炎を燃やしてるようだった。
「こちらに」
 女御の一人が俺に向かって確かにそういった、いや、既に俺は何処か気が触れていて、幻聴を聴いたのかもしれない。しかし女御達は俺を一瞥した後に二階の奥へと歩き去って行った。
 俺は慌てて彼女らの後を追っていった。


 二階の廊下には行灯が灯り、そこには深紅の廊下――侍達の死体が転がり、床も壁もその血で染められた廊下を隅々まで照らしていた。
 男達の死体にはまだ首が残ってるものもあり、それはどれも取るに足らぬ雑兵の物であるらしかった。
 階段を上がってすぐの壁に座るように寄りかかっていた遺体は、首が無かったが筋骨隆々としていて、過去の戦場で受けてきた数々の傷があり、 先の砦攻めで一番手柄を立てた久野元宗の胴体に間違いなかった。全裸で女と交わっていた痕跡もあり、更に胸を小刀で一突きにされた傷も残っていた。

 俺は先を行く女御達の後を付いて行ったが、廊下の様子以外にも襖から二階の部屋の様子も見る事が可能だった。
 そこはやはり行灯が灯り血と男達の死体の山だったが、時折、生きた男の上にまだ女御達が乗り掛かってる様子が垣間見られた。
 そしてその中で老将の井伊信濃守の上に乗りかかって居たのが、あの踊っていた白拍子だ。
 老将の身体は、自分の意思と関係ないかの様に、白拍子の動きと一緒にうねっていた。しかし彼の意識と知覚力ははっきりしているらしい。老将の両目が周囲の同胞の無残な姿を見て、少し未来の自分の運命を悟り、絶望の色に染まっていた。そして廊下を歩く俺にも気付き、懇願するような眼差しを俺に向ける・・・・

 おそらく侍大将や足軽達は、酒や香に何かしびれ薬か媚薬でも入れられたのだろう、何も抵抗できずに陵辱され殺されているのだ。
 俺とて恐らく逃げる術は全くない。屋敷に入った時からこの女御らの結界の内、女御らは傀儡女や単なる白拍子ではなく、男を誘惑し精気と魂を喰らう美しい羅刹女の類だったのだ。
 そして俺も、酒や香は嗜まなかったが、食事に何か変な薬を入れられていたのだろう。仲間や部将達が殺されていく様子を見ても、逃げる感情も恐れる感情も、更に先の無い自分の運命に、何の哀れみの感情も浮かんで来なかったのだから・・・・・


「お入り下さい」
 俺を案内した女御が、観音開きの扉の前で止まった。
 ここまで奥に来ると男の死体も無く、壁や扉が血で汚されている様子も全く伺えなかった。
 女御達が扉の前に控え、ゆっくり扉が開けられた、そこには――
 女御達が左右に控え、その奥にカムロ、俺が屋敷に辿り着いてから、座頭部屋まで案内したあのカムロ、が一段高い高座に座っていた。
「私は繭月と申すものです、貴方も前に来られてくつろぎなさい。」
 繭月と名乗ったカムロが俺に向かってそう言った。
 俺は腹を決めて部屋の中へと進み、準備された座に腰を下ろして、言った
「未通女(おぼこ)がこの館の主とは恐れ入った、あんたらが俺らの刀や具足、馬が目当てなのか、名のある首を織田軍に売るのが目的なのかは知らないが、どうせ俺を料理するなら”なます”じゃなくもっと食指の動く美味い物にして貰いたいものだ。」
 俺は芝居がかった口調で、今出来る精一杯の口上と皮肉を言ったつもりだったが、どうも女御たちには皮肉が単なる冗談と取られたらしい、左右からクスクスという忍び笑いが聞こえ、館の主の、繭月も口元に微笑を浮かべていた。
 繭月が再び口を開いた、
「私は貴方の命をタダで獲ろうとは思っておりません、この館には一つの決まり事があります。それさえちゃんと果たしていただければ、貴方の命はおろか、貴方の所望する我々の持ち物一つを差し上げる決まりになっています。」
「では死んだ男達は役目に失敗したのか?」
「左様です。」
 感情が完全に死んでた俺の脳味噌に、再び血流が巡り感情が甦ってくるのが解った。
「よし、役目を言ってくれ。」
 俺は間髪要れずそう申し出た。
 繭月がポンポン、と手を2つ叩くと、周囲の女御達が何やら椀の乗った膳を俺の前に次々に並べ始めた。
 5つずつ椀が乗った膳が全部で25、全部で125の椀が準備され、そこで繭月がこう言った、
「この中で唯一、それを持っていれば米が常に溢れ、生涯食うに困らない椀があるのです。平将門を打ち破った俵籐太もその椀を家に持ち帰ってから、それまでの罪人の身から手柄と冠位を授かり、将門公を打ち破るまでになったと言われます。その宝の椀をここから探し出すのが、貴方が命を永らえる為の役目となります。」

 俺は椀を一つ一つ調べていった、陶器、漆椀、唐高麗の椀、中には無垢の金や銀で作られた碗もあった。しかし俺は無学では無いにしても、俵籐太の選んだ椀の話など、過去の一度も聞いた事が無く、それとわかる特徴も何一つ知らないのだ。
 俺は迷いに迷ったが、ふと、視野の隅に写る一つの椀に、俺はなにか引っかかりを感じた。
 そして俺はその椀を取った―――


 それから数刻の後、俺は磨かれた太刀と具足を身に付け、屋敷の馬で一番毛並みの良い物に飛び乗った。
 俺の後ろには、役目を見事にこなして俺が得られる正当な報酬が積まれていた。
「ちゃんと落ちないで、つかまっていろよ。」
 俺は後ろに向かってそう言って、馬を進ませた。屋敷の方では数人の女御と白拍子達が見送りでこちらに向かって手を振っている。

 俺は屋敷で得た宝物に向かって話しかけた。
「東で良いんだな?」
「はい、昨夜の内に、貴方の御大将は討ち取られておいでです。松平隊と朝比奈隊は早朝から撤兵を始めるでしょう。」
「わかった、松平殿に合流しよう。」
 4万5000の兵力が4000に満たない織田に討ち取られた――
 それは俺からしてみれば何一つ疑問を挟む余地の無い事だった。既に先鋒の中核や戦場を知り尽くした老将、歴戦の猛将達は、繭月の館で皆が果てていたのだ。
 後の世に言う、桶狭間の戦いである。


 馬を走らせていると、背中から声が掛かった、
「何故、俵籐太の椀・・・・名をケセネ櫃と言いますが、それが解ったのですか?」
 俺は答えた、
「全ては記号であり象徴だ。俺もお前も、館の女御も白拍子も死んでいった侍も。だから俺は必ず、自分が一度屋敷で眼にした何か、その記号が示す何かに答えが有る事をあの場で知っていたんだよ。」
 偉そうにそう言ってはみたものの、
 俺は単に、自分が所望した飯が入っていた質素な木椀、それを125の椀の中に見つけ出したので、それを選んだのだ。
「そうですか・・・・でも貴方で良かった。」
 俺が屋敷から選んで来た、朝日に映える紫の小袖を羽織ったその宝物は、少し恥ずかしそうに俺の背中に顔を埋めて、そう一言呟いた。


by 拓也 ◆mOrYeBoQbw
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