mixiユーザー(id:3696995)

2013年04月17日23:14

126 view

1985年4月17日

今から28年前の1985年、御巣鷹山の日航機事故として記憶される年であるが、阪神タイガースが唯一の日本一となった年としても忘れられない年である。
そして今日4月17日は「バックスクリーン三連発」として球史に残る衝撃の試合があった日なのである。
ホームの甲子園球場での宿敵ジャイアンツ戦、1-3の劣勢で迎えた7回の裏にそれは起こった。マウンドにはタイガースに滅法強い槇原がいた。
ランナーを二人置いて、3番バースが逆転のホームランをバックスクリーンに放つ。続く4番掛布がバックスクリーンやや左寄りに放り込む。さらに5番岡田がバックスクリーン中段まで運んだ。
この衝撃は今でも記憶に新しい。タイガースが優勝するか、世界が終わるか、どちらかが起こると思った。遡ること1964年以来タイガースの優勝はない。つまり、タイガースの優勝と世界の終わりとは同等レベルの一大事だったのだ。
広い甲子園で最も飛距離が必要なバックスクリーン、それをクリーンアップの3人が連続で叩き込む。三者連続ホームランというのはしばしば起こるが、これほど珍しい条件が揃ったことはない。
タイガース・ファンが狂喜乱舞したことは言うまでもない。まさにその年の優勝を象徴するような強烈なゲームだったのだが、終わってみれば6-5の辛勝という、著しい打高投低のチームらしいものだった。

気の毒だったのはマウンド上の槇原だが、その一月後には佐野に代打満塁ホームランを打たれ、さらに真弓にも2ランを浴びるという散々な目に遭っている。
数年後には新庄に敬遠球をサヨナラ打されるという珍事を起こし、名うての虎キラーの癖に、妙なネタにも事欠かないというタイガース・ファンにとっては敵ながら憎めないピッチャーだった。
もっとも彼は現在のところ最後に完全試合を達成したピッチャーなんだけどね。

さて、この年のタイガースは打って打って打ち勝つスタイルで、初めて打力で優勝したチームとまで言われた。
なにしろ3割30本(打率3割超えで本塁打30本超えという強打者のひとつの物差し)という選手が4人もいたのだ。1番真弓、3番バース、4番掛布、5番岡田、である。
破壊力抜群のクリーンアップもさることながら、相手にとっては真弓が脅威だったことだろう。これだけ強打者の1番がいたらそりゃあ強いよ。普通ならクリーンアップだもんな。
この年バースは三冠王に輝いた。タイガース史上のみならず日本球界史上最強の助っ人であろう。謙虚な性格の彼は「後ろに掛布がいたからだ」と言っている。そう、掛布と岡田が控えていては、ピッチャーはバースと勝負せざるをえないのだ。やはりこれだけ強力で強烈なクリーンアップはそうそうないだろう。
しかも、打撃成績自体はこの4人に及ばぬとはいえ、滅法勝負強い佐野が6番に控えているのだ。「佐野ならなんとかしてくれる」「佐野でダメなら仕方がない」ファンにそう思われるほど信頼されていた選手だった。この数年前の春に川崎球場のフェンスにぶつかり頭蓋骨骨折と脳挫傷という生命さえ危ぶまれる大怪我を負いながら、その年のシーズン終了時には復帰してホームランも打ったという根性の男でもある。ほかのチームなら間違いなくクリーンアップである。
今思い出しても震えがくるようなメンツだ。
あと、忘れてはいけないのが名ショートの平田。その華麗で堅実な守備で貢献したのはもちろんのこと、この年は打撃も調子がよく、おそらく生涯最高の成績だったのではないかと思う。

よくジャイアンツが「四番打者ばかり揃えた」という言われ方をすることがあるが、それだけでは機能しないのが野球のおもしろいところ。
確かにこの年のタイガースにはクリーンアップ・クラスが5人いた。しかし、真弓は選球眼もよく俊足で、1番バッターの条件は揃っていた。佐野は勝負強さと意外性で6番が合っていた。先のバースの言葉からわかるように、ミスター・タイガースとしての掛布の存在感も大きく、やはり彼がどっしりと4番に据わっていたのが核になっていたのだなあと思う。

打力で黄金時代を築くかに思えたタイガースだったが、栄光はこの年だけで終わってしまった。
これら強打者たちが揃ってベストの状態で闘える年がなかったのだ。
だからこその奇跡であり、語り草となっているのだろう。

日本シリーズの初戦を西武球場に観に行った。
池田が完封し、バースが3ランを打った試合である。
結果4勝2敗で初の日本一に輝くのだが、私はその瞬間を見ていない。
マカオから香港に向かう洋上で「タイガース日本一」のニュースを聞いた。

そして、21年ぶりの優勝を果たしたタイガースは次の優勝まで18年待たせることになる。

生まれたときからタイガース・ファン。
江夏と田淵の黄金のバッテリーに胸をときめかせ、藤田平のバッティングフォームを真似した少年時代。
スター選手の放出と度重なるお家騒動に何度「こんな球団はイヤだ」と思ったことか。
常勝ジャイアンツを密かに妬ましく思い、ジャイアンツ戦しかTV放送されない悔しさを味わった。東京ではタイガース・ファンはマイノリティだったのだ。
野球はよく観に行ったが、神宮球場の三塁側でヤクルト戦を観ることが多かった。当時の後楽園球場で観たことはほとんどない。
最近は野球に対する関心がめっきり薄れてしまったのだが、それでも試合の結果は気になる。勝ち負けに一喜一憂することはなくなってしまったが、今年の出だしはまずまずのようだ。
優勝しろなどとは言わないが、終盤まで楽しませてもらえたら、と思っている。
0 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2013年04月>
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930