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2012年01月08日19:16

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大晦日の取り違え

ダイエーでお稲荷さんだけのパックではさびしいので「助六寿司」を買いました。
家に帰り着き、ヨメのハナマルの出来のオセチ用の煮物を突っついて、ホンマもんのビイルをぐいっとやれば、そこはかとなく大晦日の気分がして来ました。
お稲荷さんとかんぴょう巻きをつまみ、太巻きを食べようとして、何で「助六寿司」っていうのかなあ…なんてふと考えてしまいました。
見た目もお稲荷さんと大小の巻物の切り口がお見合いみたいに華やかで、助六といえば歌舞伎だから、歌舞伎見物の幕間に食べてたのかもなあ…。
せっかくだからと調べてみたら―
【助六寿司の語源・由来】
助六寿司の「助六」は、歌舞伎十八番のひとつ「助六所縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)」の通称で、主人公の名前でもある「助六」に由来する。
助六の愛人は吉原の花魁で、その名を「揚巻(あげまき)」という。
「揚巻」の「揚」を油揚げの「いなり寿司」、「巻き」を海苔で巻いた「巻き寿司」になぞらえ、この二つを詰め合わせたものを「助六寿司」と呼ぶようになった。
なあるほどねえ、昔の人のネーミングは粋だね。
なんて感心して、テレビをつけたら、見たことのあるドラマのシーンが。
あれ?
「ゲゲゲの女房」じゃん!
総集編で、ずいぶん懐かしくもあり得した気分になりました。
ヨメに訊いたら、去年(2010)の朝ドラだって。
そっか、もっと前のような気がしてならないけどなあ。
今年一年が長かったからかなあ。

三十代までは大晦日の夜には厳粛な気持ちになり、反省は勿論、明年への希望を熱く抱いたりしたもんでしたが、四十代、五十代と歳を経るに従い、ため息まじりの、区切りのつかない大晦日の夜を過ごすようになってしまいました。
ようやく六十代になった今は、少しばかりの高揚感と安堵感に包まれるようにはなりましたが、薄手のカーテンをめくるようにあっさりと元旦を迎えてしまうのが物足りなく思われます。
でも、明日になればおじいちゃんが亡くなって空いた元旦の席に、息子のお嫁さんが座るんだから、幸せと思わないとバチがあたります。

昨年に引き続き、年越し蕎麦を頼んである「手繰りや玄治」さんで遅いお昼をしようとお店をのぞいたら大繁盛です。
石の上にも三年、っていうけど、2007年の12月19日に開店して以来、我慢して努力して工夫して、実直に石臼で蕎麦を挽き続けて、ようやく去年あたりから繁盛店になりました。
食べログのヤラセとは無縁のお店です(笑)
鴨南蛮と鴨せいろを福島の大好きなお酒“天明”一本のみで美味しく頂きました。
お客さんが次々に来て待ってますから長っ尻は禁物です。
年越し蕎麦を受け取って次は西武新宿線で田無まで行き、中華料理「墨花居」でオセチを引き取る番です。
初めてお嫁さんと元旦の宴を囲むので、オセチのお重を、やっぱり初めて買うことにしたんです。
12000円のが期限内に申し込んだので9800円になり、4人で食べられそうな量ですから一人前2500円。
贅沢だけど、お嫁さんが喜んでくれて、晴れやかなお正月気分になれれば良いんじゃないかな。

久米川の駅のベンチに座り電車を待ってる間に、つい我慢ができなくって、立派な紙箱のなかのお蕎麦を見たら、ン?
なんか太いんです。
ヨメが“大晦日で忙しいから太く切ったのかもよ”なんてバカなことをいうんで“こりゃ、ウドンだって”
お店に電話して、一時間ほどしたらまた行きますから、取り替えてくれるようにってヨメに連絡させました。
ウドンを大晦日に食べたくて予約したお客さんが困ってしまいますもんね。
ゆきうささんみたいにウドン好きな人かもね。
あ、うわさの年明けウドンかあ!

オセチを引き取って、また「玄治」さんまで来たら、入り口に“本日 お蕎麦は売り切れました”の貼り紙が。
まだ3時過ぎですよ。
驚きです。
ヨメに持って行かせたら、お蕎麦とお詫びの印とかの野菜天ぷらのパックまでくれました。
ホクホクして帰りました。
は、佳い大晦日です。
Asai(^o^)/

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