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2011年06月05日20:52

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粟島にて

 朝9時、iPadで朝曰新聞DIGTALを読んでいたら、妙な広告があった。
「思い立ったらすぐに旅しよう」
 クリックしたら日本全図が表示され、現在地を示すように指示される。関東→神奈川→鎌倉と絞ってタップしたら、どこに行きたいか訊いてきた。
 ふたたび日本全図に戻って、日本海を方面を見ていたら粟島という離島が目に入ったので、島をタップした。
 なんと私は10時8分鎌倉発の横須賀線に乗り込んでいたのだった。
 東京駅には11時すぎに着き、新潟行きの上越新幹線とき319号に乗り、さらに新潟で白新線に乗り換えて村上駅に着いたのが14時58分。粟島へ渡る高速船あすかの出航まで30分くらい時間があったので、目についた喫茶店「カフェ美奈子」に入って、コーヒーとトーストを注文した。
「お客さん、あまり見かけない顔ね」と40過ぎと思しき美奈子さんから声を掛けられたので、「いやだなぁ、先月も来たじゃない。その時もコーヒーとトーストを頼んだよ」と答えた。もちろん、口から出任せである。が、美奈子さんは「ああ、そうだったわね、歳とったら忘れっぽっくなってイヤになるわ」と口元に手をあてて笑ったのだった。
 出て来たトーストにイチゴがまるまる入ったジャムが添えられていたので、「あれっ、イチゴジャムなんて付いてたかしら?」と話の接ぎ穂で口を開くと、「先週、私が作ったのよ。だからお客さんのお口に合うかどうか……」と答える。
 なんだかテキトーなことをくっちゃべっている自分自身がイヤになってきたが、口を突いて出た言葉は「どうして私がいちばん好きな食べ物がイチゴジャムだ、って知ってたん? あ、前回、オレ、言ったっけ?」というペテン師さながらの台詞だった。
 さて、出航の時間が迫ってきたので、高速船乗り場に行った。3690円也、
 高速船あすかはまさに出ようとしているところだったので、はしけまで走った。
 と、その時、驚愕の光景に出くわした
 私の後に続いて美奈子さんも走っていたのだ。

「えっ、ええええっ、どうして船に?」
 咳き込みながらこれだけを言うと、美奈子さんも息荒くしながら「お客さんこそなんで粟島なんかに用事があるんですか? 非常用消火器なんてあんな小さな島で売れても1個か2個ですよ」と言う。そうだ、私は非常用消火器のセールスマンという自己紹介をしていたのだった。
 船に乗ってわかったことだが、美奈子さんは粟島で民宿を経営していて、カフェ美奈子は長女がやっているとのことだった。
 まだ泊まるところを決めてないのならうちに来ない? サービスするわよ、と言うので、非常用消火器の営業マンという別人格を与えられた私は、つい本性剥き出しになって「サービスがいいのなら決めちゃったりして」とエロ顔で応えた。
 鎌倉では夏に近い気温と空だったが、長袖Tシャツと薄手のブルゾンでは寒いくらいだった。舳先には何羽ものカモメがまるで船と伴走しているように飛びまわっている。たぶん私と同様、暇なだけなんだろう。
 あっという間、といっても実際は55分なのだが、船は内浦港に着いた。
「うちは釜谷なの、ここからクルマで15分くらい。一緒に行くわよ。そもそもそれ以外に行き方ないけど、ははは」と美奈子さんは笑う。
 それがさっき言ってたサービス? 私は自分でもびっくりするようなジョークを口にする。
 思えば、今朝、iPadで朝曰新聞デジタルを見ていたはず。なのに、なんで私はこんな日本海の、ほとんど誰にも知られていない島にいるのだ? そうか、あのタップからこんなことになったのだ。
 ぼぉっとしていて景色が目に入らない。
 美奈子さん経営の民宿に着いた。
「うちは温泉が引いてあるのよ。食事前に入ってきたら?」と美奈子さんは言う。
「うん、そうさせてもらう。美奈子さんもあとから入ってきたら?」と別人格になりきっている私は言う。
 美奈子さんは肯定も否定もせずに、小さく笑った。
 浴室は10畳ほどで、どうやらひとつしかないようだった。
 温泉が湯槽から溢れ出している。誰も入ってないだろうと考え、ひとすくい飲んでみたら、なぜかイチゴの香りがした。初めての匂いだ。
 湯がぬるいせいか、私はいつの間にか寝てしまったようだ。
 はっとして目を開けたら、そこに素裸の美奈子さんが立っていた。
 ということで、バーチャル夢旅行だったことを悟った私であった(笑)。

写真は粟島の彼方に沈む夕陽
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