mixiユーザー(id:6486105)

2011年05月31日18:18

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難民とも亡命とも

 親交のあるフリーライターはそう多くない。
 来月6月、ふたりのライターが東京を離れることになった。ひとりは幼い子どもを抱える30代半ばの男性、もうひとりは独身の女性ライター。
 男は1日に20回30回とツイッターに書き込み、女性は平均2回/日でブログを更新している。
 知人のツイッターやブログを読む習慣がなかったのだが、ここ2か月ほど、ほぼ毎日このふたりのツイッターとブログを読むようになった。
 彼は震災直後から原発事故を深刻に受け止めた。ツイッターを読んでいるとほぼ一日中、テレビかネットで放射能汚染の情報を収集し、同時並行で怒り嘆くことがこんにちまで続いている。
 彼女の引っ越し表明は不意だった。先週、唐突に「わたくし京都へ引っ越すことに決めました」と書かれていた。その前の週に数日京都に滞在していたので、その時に引っ越し先を決めていたのだろう。震災以降、まるで箍が外れたように旅行ばかりしていて、それはセンチメンタルジャーニーのように私には映った。思考にちょっと行き詰まったとき、旅をしながら自分を見つめ直すようなタイプなのだろう、と思ったのだ。
 彼のほうの引っ越し先はまだ決まっていない。西日本、出来れば上京の便も考慮して福岡あたりに住みたい、と幾度かつぶやいている。この日記を書く前に彼のツイッターをチェックしたら、第一原発4号機周辺で爆発音、太い煙が流れている映像が映っている、と書かれていて、この件だけで10回ほど発言している。自分も含む家族の安全第一から、東日本を去る決意をしたのである。
 彼女について、私はどうして長年住み慣れ、しかも東京が大好きであるのに、京都へ行くのか、具体的に書かれていないし、私も知りたいとは思えない。しかし彼のケースとは違って空気や水、食べ物の放射能汚染からフリーになるためでないことは確かだ。きっとなにかを拒否したいのだろう。なにかを喚起させたひとつが震災なのか原発だったのだろう。
 いずれの事例も、日本の戦後では初めてのことだ。
 これは「亡命」であり、他方、「難民」と言っても差し支えない。
 ひとは自分の内面と、自分を取り巻く環境、それは家族だったり地域だったり国家だったりするわけだが、このふたつのなかで、最終的な意志決定がおこなわれる。といっても、いまの日本は自由度が比較的高く、しかも戦後65年にわたって安寧な環境が築かれてきた。一歩後退二歩前進というような、ときどき悪い時期や環境があったものの。
 が、男は原発事故によって半強制的に引っ越しを決断させられ、女は40歳にも近づこうとする年齢で自己喪失にも近い状態に陥った。
 いつか、彼と彼女に「どうして引っ越しを決意したのですか?」「引っ越す前と後であなたはどう変わりましたか」「あなたにとって、震災はなんだったですか? 原発事故ってなんだったですか?」と問うてみたい。
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