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2010年09月18日22:26

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妖怪はいるんだよ

私は妖怪というものを信じている。
それは私が妖怪検定に合格した(初級だけど)妖怪博士だから、ということではない。
妖怪は間違いなく存在する。

古の人たちは、不可解なことが起こると、それに名前を与えた。
木霊なんかはいい例だろう。
自然と人間との境界で起こるちょっと不思議なことを総じて妖怪という言葉でくくったのだ。それは事象であり、気配であり、畏れであり、古来から伝わる伝承であり、妖怪はいたるところに現れるようになった。
何か不思議なことがあったとき、理屈であれこれ説明するよりも、妖怪のせいだ、と言ってしまう方がよっぽど豊かなような気がする。

そして、そうした妖怪たちに形としての姿を与えたのが江戸時代の絵師である鳥山石燕なのだろう。現代の水木しげるもそうである。
つまり、妖怪には実体がない。彼らはわかりやすく、形にしてくれたのである。
だから、妖怪は「いる」のではなく「ある」と言った方がいいのかもしれない。

後ろに誰かいる気配がする、風がないのに枝が鳴った。
これも妖怪である。これこそが妖怪なのである。
私が妖怪を信じるといった所以だ。

デジタル時代になり、緑よりもコンクリートが多くなり、夜でも明るくなると、妖怪は影を潜めてしまう。鬱蒼とした雑木林、何か出そうな沼、学校の古びた木造校舎、そうしたものはすっかりなくなってしまった。
夜更けに歩いていると、誰かにつけられているような感覚。昔ならば妖怪の仕業で済ませられたところを、今は人間ということが多い。これはヤバイわけで、妖怪なんかより人間の方がずっと恐ろしいというオチがつく。

今、鳥山石燕の『画図百鬼夜行』を見ていると、恐ろしげな中にどこかほのぼのとした雰囲気に和まされる思いがする。
また水木しげるの妖怪画集大成として編まれた『妖鬼化(むじゃら)』全12巻も刊行中。水木画はモノクロ画こそ真骨頂という向きもあり、私もそれには賛成だが、彩色されたものもまた違った味がある。
ようやく秋めいてきたが、妖怪画を紐解いて秋の夜長を過ごすというのもなかなか風情のあるものである。

写真はいずれも鳥山石燕の『画図百鬼夜行』。左は国書刊行会から出ている大判で7980円とちょっとお高め。右は角川文庫版で、持ち歩くのに便利。
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