mixiユーザー(id:12290372)

2010年04月25日00:37

21 view

世田谷美術館へ

今日は久しぶりに晴れた朝なんで、気持よく仕事に出かけられました。
あ、久しぶりにと言っても、昼近くまで寝ていた日もあるから…
けど概ね朝からお天気が悪かったよね^_^;
ホントによく降りましたし、気温がジェットコースターのようでもありました。
野菜が高いし、テレビの旅番組や町歩きの番組を見ると、どこのチャンネルも出演者がみんなビニール傘をさしてるのが可笑しくて、4月はやっぱり全国的にお天気が悪かったんだなあと実感しました。

フォト フォト

先日の霧の武蔵野線です。

フォト

フォト

無事に仕事を終え、帰り道に気にしていた「香椿(チャンチン)」の樹にようやく若葉が出て来ました。

20日も生憎の雨でしたが、世田谷美術館まで、“川上澄生:木版画の世界”を見に行きました。
以前からヨメが行きたがっていたし、僕も長谷川町子美術館と世田谷文学館に行きたかったのでまとめて行くことにしたのですが…
調べたら、長谷川町子美術館は休館中で、世田谷文学館は同じ世田谷でも路線違いなのが分かって断念しました。
世田谷文学館での“石井桃子展”も終わってしまっていたんですねぇ。4月いっぱいはやってると思ってたのに…
それに何より、用賀まで一時間半くらいはかかりそうですから、いつもお昼近くになって行動を起こす我が家には所詮無謀な計画でした。
でも帰り道に井の頭線を使えば、東大駒場前駅から近い日本民藝館に寄れるかも、なんて欲張りな事を考えて出発しました。

用賀の駅で、遅いお昼をすることにしました。
初めての町なんで、携帯から「食べログ」を使って調べて、“京うどん 葵”ってお店にしました。
狭いカウンターだけの店内は厨房の熱のせいか暑くて参りましたけど、その分ビールが美味しく、うどんもまっこと結構なお味でした。
しかし、エビスビールって、家で缶入りを飲んでも大して美味しいと思わないのに、お店で瓶入りを飲むとスゴく美味しく感じるのは何故なんでしょね?

ニシン蕎麦は食べたことがあるけど、“京うどん”って食べた記憶が無い(あてにならないけどね^_^;)んであれだけど、ここのうどんは太くて噛みごたえがあって、いかにも手打ち、って確りした旨味のあるうどんなんで、京都=はんなり、というイメージからはかなり遠いと思います。
祇園の芸妓さんや舞子さんがオチョボ口でチュルリンと食べるうどんじゃありませんなあ。
然りとて、上に載ってる大根おろしとカボスと九条ネギを、下のおツユとかきまぜて…
あ、旨い!
爽やかな味が確かに京都かもしれない、って感じますから不思議です。
用賀に行かれたら是非ともお試しください。

しかし、世田谷美術館のHPからプリントアウトしたアクセスマップを持参したのですが、道に迷って駅前をうろうろしてしまいました。
用賀の駅は地下駅ですから、地上に出ると、古い町並みと再開発されたビルのアンバランスさに一瞬方向感覚がおかしくなり戸惑いました。
うどん屋さんはなんとか携帯で調べて行けたのですが、世田谷美術館へのアクセスマップは略図なんで距離感がつかめません。
とんでもない方向に歩いては戻り、やっと世田谷美術館への道標を見つけました。
新しいビル沿いのタイル貼りの道を進めばいいようです。
え、まさか…
“和歌”が道に彫られてます。うう、やり過ぎみたいでなんだかなあ…
さらに人工の小川が流れ、緑の多い住宅街の道へと続き、ようやく落ち着いた雰囲気の道に入って来ました。

フォト フォト

鬼瓦のオブジェが置かれ、道も板瓦で作られてるそうな。
“用賀いらか道”というそうです。
フォト フォト

フォト


雨なんですが、この道なら雨が苦になりません。いや、雨が似合う町並みの道です。
フォト

環八に突き当たれば、仕事で車に乗ってた頃にさんざん通って見覚えのある場所でした。もう少し先の交差点を右折すれば東名高速への入口…
仕事がらみですから、いい思い出はなく、自動車がやかましいばかり。
長い信号待ちをして環八を横断すれば、砧公園です。

フォト

初めて、あ、今日は初めて尽くしですねぇ、砧公園に入りましたがさすがに元ゴルフ場だけあって、なだらかな丘のある広い公園です。
平日の雨の午後、歩く人とてまばらです。
傘をさして犬と散歩をしてるご婦人、僕らより少し上の年代のご夫婦、若い二人連れ…
佳い雰囲気なのですが、生憎の工事中でフェンスだらけ…
更にゴオ〜っと遠くから自動車の騒音の大きな波がやって来るのは、東名高速からの轟でしょうか…

さ、世田谷美術館です。川上澄生さんのイメージとはちょっと違いますが、スマートな美術館です。

フォト

フォト

フォト


「へっぽこ先生」はホントにご自分で楽しんで膨大な版画を彫り、本を作られては人と喜びを分かちあっていたんですねぇ。
フォト


身の回りの好きな品々や風景を愛し、幼年期の思い出を愛し、幾度彫っても飽きることなく…
優しくユーモラスだったとともに、相当頑固で、反骨精神旺盛な人だったように思えます。
鹿沼市立「川上澄生美術館」のHPを読んでみました。
―大正4年、20歳の時にお母さんがなくなり一ヶ月学校を休んだとか、失恋も重なってカナダに渡り、更にアラスカの鮭の缶詰工場で過酷な労働条件で働いていたとか知って、驚きとともに、ますます川上澄生って人にシンパシィを感じました。
帰国した後も、看板の図案を描く仕事や商店の仕事をしてたんですねぇ。
それから宇都宮の中学の教師になり、昼間は英語の先生、夕方は野球部の指導をしながら、夜と休日だけで膨大な版画作品を作り続けたんですから、頭が下がります。
そして戦争が始まり、学校が軍国主義化されると教師を辞めてしまうんです。
そして疎開先の北海道ではアイヌ風俗の版画作品や「あいのもしり」・「えぞがしま」といった絵本まで残してます。
なんて逞しく強い好奇心なんでしょうか。

川上澄生展を満喫しました。
あのおなじみの「明治少年懐古」・「南蛮」といった作品群の他に、哀しさや恐れを感じる幻想的な作品や、深い憧憬が秘められているような作品がたくさんありました。

カフェでの一刻。

フォト

フォト


外に見えた大木が素晴らしかったので、帰り際に近寄ったら、世田谷名木百選のクヌギなんですと。

フォト


ああ、今度は「鹿沼市立川上澄生美術館」に行きたいなあ。
HPを見たら、明治の洋館風の建物で、2000点もの作品が所蔵されてるそうな。
「鹿沼」ってJR日光線で行けるそうだけど、はて、かなりローカル線みたいだから時間がかかるかな?
日光で泊まって行くのかな?

あ、帰り道に日本民藝館には寄れませんでした。4時半までなんだって。
ま、時間があっても…(^0_0^)/~Asai

0 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する