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2010年02月05日00:06

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京都はエエなあ…(4)

寒いです。
一昨日は朝から仕事場の北側の雪かきに追われました。
もうほとんど氷になってましたから大変でした。
情けないことに足腰が未だに痛く重くてたまりません。二年ぶりの雪かきですもんねぇ(T.T)
“節分寒波”だそうです。
なのに、情けないことに朝青龍は引退を表明したらしいし、退職(?)するって言ってた安治川親方(“親方”にしてはあまりにお兄ちゃんだけど)が退職(?)するのを撤回したとか、豆まきにぴったりのお相撲さんの世界が鬼に笑われてます。
ま、親方っていっても、引退すれば只の大男でね、昔、母親が蔵前国技館の入口で、引退したばかりの先代の朝潮がナンキンマメをぽりぽりしながら受付に座ってたって、がっかりした口調で言ってたから、そんなものかもしれません。
しかし…
お相撲さんって言うと金剛力士を連想するんだけど、金剛力士は仏教では“天部”に属していて、人間と仏の間に存在するんだよね。
―東寺の講堂に書いてあって感心したんだけど、心の状態を表した十界には、地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天、声聞、縁覚、菩薩、如来って段階があるんですって。
奈良、京都で様々な力士・仁王さまや持国天、増長天、広目天、多聞天をずいぶん拝見して来たけど、皆、しっかり足元に鬼を踏んずけていました。
かって初代の若乃花は“土俵の鬼”と呼ばれ、朝青龍も土俵では鬼を目指したって言ってるけど、なかなか自分の心のなかの鬼はしっかり踏んづけられなかったんだろうなぁ。
人間の下は阿修羅だから、人間は油断すると阿修羅になり、頑張れば力士にもなれる、って事かな。
でも力士も油断すると人間に堕ちてしまうんだね。

閑話休題。

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さて、「ビフカツサンド」を食べ終わり、長年の、そう、池波正太郎センセの随筆で読んでから10年以上続いた想いが叶えられれば、憑き物が落ちたみたいに―
“美味しかったなあ…、でも旨かった!とは違うなあ。ま、一度食べればいいかな、お値段もお値段だし…”なんて冷静さを取り戻しました。
ううむ、お庭もお店の雰囲気も、三年前とちっとも変わってない。変わったのはワシラが歳とっただけか…。
なんて感慨に耽り、あらかじめミルクと砂糖の入れられた珈琲、イノダコーヒ特製「アラビアの真珠」を頂きながら、お庭を眺めてうっとり…

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としていたいのですが、今朝は東寺に行ってから、滋賀県高島市にある「針江生水の郷」にお昼までに着かなければなりませんあせあせ(飛び散る汗)
強行スケジュールです。
さて一番近い地下鉄「烏丸御池」まで歩いて行って、久しぶりに京都の地下鉄に乗りましょう。なにしろ京都は烏丸線と東西線の二本しかないし、市内は歩くのが楽しみですから、今まで急ぐ時や荷物のある時しか乗ったことがありません。
で京都駅で下りようか、九条駅で下りようか迷いましたが、地下鉄の初めての駅から地上に上がると、方向感覚が分からなくなりますから、勝手の知った京都駅にしました。
ほんとは九条駅から東寺まで、京都駅南側の静かな町並みをのんびり歩いてみたかったんですけど、時間が限られているので京都駅から歩く安全策を採りました。

さあ、美しい五重塔が見えて来ました。
東寺です。

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早く金堂の月光菩薩さまに逢いたくてたまりません。
三年前の暮れにお逢いして、畏れ多くもヒトメボレしてしまい、去りがたく講堂と金堂を幾度となく往復するほどでした。
お別れしてからも想いは募り、しばらくは現世の女人に目が行かない有り様でしたあっかんべー
あんまり東寺、東寺、金堂、金堂と初日から僕が入れ込んでましたので、ヨメも疑惑にかられたものか、時に怪しげな眼で僕を見ます。
で、さりげなく順番に講堂から拝観することにしました。
密かに“金堂派”を自負してましたが、いやいや、講堂のこの「立体曼荼羅」には前回以上に圧倒されました。
前回は何も知らずに、ヨメが“リッタイマンダラ、リッタイマンダラ”って言うのに何のこっちゃと思いながらも、黙って従って拝観し、「衝撃」を受けてびっくり!でしたけど、今回は静かな「感動」がやってきました。
人の少ない底冷えのする朝で、朝日が窓から幾条もの光となって入り込んで来てます。
個々の仏様の素晴らしさもさることながら、“天、菩薩、明王、如来”が全体としてなす壮大な密教世界です。
シンシンと足元から冷えてくるのですが、胸から上はなんでか温かく感じて、幾度も講堂内を行き来しました。
この国の過去から伝わり未来につながっていくもの、そして現在、迫り来るものが確かにあります。
ふと、去年の暮れに行った“チベット展”のことが脳裏をよぎりました。
チベット密教の仏像や仏具が、「美術品」として展示されていたことの重みを、また新たに感じました。
なにもそれはチベットだけの不幸ではないのですが。
明治初年に、「廃仏毀釈」なんて事がこの国であったんですもんねぇ。高校生の頃は、習っても、新しい時代の当然の変化なんだろうなあ、って情けないことに思ったもんです。
去年でしたっけ、田舎のお寺の仏像盗難事件が増えたりもしましたよね。
容易く、人の心は、人間から阿修羅を越え、畜生、餓鬼にまで堕ちていくもんなんだなあ、って、素晴らしい東寺の講堂で行きつ戻りつ、確かめるように、また立体曼荼羅の世界を幾度も見ました。

あ、金堂に参ります。時間が…
(^0_0^)/~Asai

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