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2008年11月20日13:07

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国籍という特権

■国籍法改正案が衆院で可決、自民一部議員が採決前に退席
(読売新聞 - 11月18日 19:43)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=671056&media_id=20

今回帰国した時、フジコ・ヘミングというピアニストの話を聞いた。

お母さんが私の叔父のピアノの先生をしていた縁から、父の実家とは家族ぐるみの付き合いがあったらしい。

いろいろと苦労した遅咲きのピアニストらしいのだが、苦労の一つに国籍の問題がある。

スウェーデン人の父親と日本人の母親の間に生まれたフジコさんはスウェーデン国籍だったのであるが、スウェーデンに居住したことがなかったため18歳の時に失効してしまう。

これがドイツ留学の際に問題になって、結局難民パスポートを取得して留学したらしい。

現代の国際社会は居住可能な土地は皆国民国家によって占有されている。

でも、各国の国籍法自体は相互に整合性のあるものではない。

だから、どうしてもフジコさんみたいに国籍の網からもれる人が出てくる。

国籍のない人というのはどの国家によっても権利が保障されない。

人間に固有の人権と言っても、結局は国家の後ろ盾がないとそれが守れない。

言ってみれば、国籍無しの人とは人間以下の扱いしか受けられないのだ。

国際人権規約なんかに唱われている権利を持つためにはまずはいずれかの国に属さないとならない。

ハンナ・アレントはこれを「権利を持つ権利」と呼んだ。

アレント自身、ユダヤ系ドイツ人として祖国の政府の迫害から逃れるために亡命生活を余儀なくされた経験を持つ。

自分の属する国家から迫害され、他の国々からも受け入れを拒否されるのがいわゆる難民である。

この難民というのは国際社会の偽善をまさに身を以て体現している存在でもある。

国家主権の原則によれば、各国の国籍の要件というのは各国の国民が一方的に決められるものである。

でも、それではいずれの国の要件にも満たない人が出て来てしまった時に、誰の責任になるのかはっきりしない。

多くの国が人権を公に認めている国際社会が、目前で人権を無視された人たちがいるのをお互い顔を背けて知らん顔しているということになっているのである。

今回の国籍法の改正はもっと狭い意味で国籍取得の要件を緩和するものなのだが、それだけでも「これで日本の国は終わった」なんて大仰な懸念が声高に叫ばれる。

現在の国民の生活を圧迫するほど移民や難民が押し寄せてもらっては困るという懸念は理解できる。

でも、大国を自認する日本で「権利を持つための権利」に対する道義的な責任に関する議論がほとんど聞かれないのは、ちょっと了見が狭すぎるような気がする。

たまたま日本人の親に生まれたという偶然に既得権益のようにしがみついて、それと引き換えに国家に媚を売る。

その特権を少しでも脅かされると日本の最後なんて大騒ぎする。

中世でお上から与えられた特権みたいにしか国籍を見れないということは、逆に日本人になるということの意味を軽く見すぎていやしないだろうか。
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