上田唯士(嶋田鉄太)、橋本陽斗(味元耀大)、三宅心愛(瑠璃)
3人は小学4年生(10歳)で同じクラスである。
映画のタイトルが「ふつうのこども」なだけに、彼らがフツーのこどもなのが何ともほっとする。
冒頭ランドセルに水筒をぶらさげ同級生と登校する主人公の唯士。虫好きな男子を中心にだんごむしを集める子どもたち。自分たちが小学生だった半世紀前と子どもの要素は何も変わってないことにほっとする。
担任の先生(風間俊介)もまったくフツー過ぎて笑ってしまう。
変わったのは環境だ。
私たちが子どものときは学校から帰ってランドセルを置いたらまたすぐ外で遊んでいた。近くの公園や神社の境内や空き地で。今の子どもにそれはない。帰宅後彼らは塾や習い事へ。親が送迎する。
昔はわからないことがあったらまず親に聞く。親でもわからないことは辞書で引くか図書館で調べる。わからないことを最初に親に聞くのは今の子どもも同じだが、高学年になればスマホやタブレット端末で調べる
唯士の母(蒼井優)は、子どもを決して否定せずほめて育てている。昔は子どもを厳しくしつけるのが親のつとめだったが、叱って育てるしつけは子どもの自主性を損なうと非難され、褒めて育てることが主流になった。
子どもながら地球温暖化への問題意識があり、それを社会に向けて訴えたいと熱く語る美少女・心愛にノックアウト&フォーリンラブしてしまった唯士。地球を台無しにした大人たちへの怒りにふるえる心愛をうっとり眺める唯士の表情がほんとにふつうの子どもっぽくていい。
心愛が影響を受けたユーチューバーは、ノーベル平和賞候補にもなったスウェーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリがモデルだろう。
「こんな小さい少女が地球環境のことを真剣に考えているのに、私たち大人は一体なにをしているのだ?安心して住める地球を子供たちに残してやれない大人は恥ずかしい」と当時思ったものだ。
男の子の精神年齢は女の子よりかなり低い。私も子どものころ同級生の男子が幼稚すぎて掃除やクラブ活動など彼らとの共同作業がすごくいやだった。自分はいつも学級委員や班長をさせられ、監督する立場におかれ、彼らをうまくまとめられないと教師には連帯責任だと懲罰を受ける。割に合わないとずっと思っていた。
小学生時代男の子はクラスの頭のいいしっかり者の女子に恋心を抱く傾向があった。レベルの低い群れている女子より、意識高い系のおねえさん的女子にあこがれる。ちょっとキツめの女子に、かまって欲しい、導かれたい、お仕えしたい、、という願望もちょっとある。
1970年代に革命を夢見て社会を変えようとした過激派も最高幹部は女だった。日本赤軍最高幹部の重信房子的要素が、この心愛の中にもないとは言えない。
心愛の誤った理想主義、男を操る女王様気質はいただけないが、心愛の強さにすかっとする場面もある。
あるとき、女子3人が心愛をわざわざ呼び出してどんないじわるを言うのかと思ったら「貴女が使っている消しゴムは私たちがお揃いで使っているのと同じだから、使わないでくれる?」という。
しょーもな!でもなんて陰湿な!いかにもふつうの頭の悪い女がやりそうな・・大したいじめでもないが、それをやられたほうはすごく不快。こういうちょっとしたうざい仲間外れアピール、誰もが経験あるのではないだろうか。こんなふうな何気ないいじめやシカト、自分も何度もやられたなと思い出した。
しかし彼女は強い。自分のほうから「あんたらと同じ消しゴムは使わない」(私はあんたらと同類じゃないから!)ときっぱり言うのだ。
心愛のような女の子を女は嫌いだが男は好きなのだ。男には女王様に奉仕したいというMの傾向もある(笑)
放課後3人で始めた小さな地球環境保護アピールの活動は、やりがいある遊びの一環だったが、やがて迷惑行為に進展し、ついに親が学校に呼び出される。
3つの家庭、それぞれの親の雰囲気がどれもとてもリアルだった。
とりわけ心愛の母親(瀧内公美)の、高圧的なワーママぶりが最高。
先生や父兄の前で延々心愛に説教するところからモンスターペアレントではないが、まぁまぁ強烈なキャラ。でも潔さもある。父親はどんな人物なのかわからないが、娘はある意味母親の鏡でもあるなと思った次第。
心愛の環境保護活動への熱中は、母親の愛情不足の結果かもしれないし、地球を台無しにしている大人たちへの抗議は、母親への反抗心の代替行為であったかもしれない。
陽斗はやんちゃで、問題児扱いされている。こういう子はクラスに必ずいる。
子だくさんの家庭で、弟たちのめんどうもよく見てくれるいいお兄ちゃんだと母親はいう。親は忙しく長男が学校の問題児などとは全く知らないしそう言われても理解できない。事件に関与したことを反省しているというよりなんとかして免責されたいとずっと泣きじゃくっている彼は、3人の中で最も幼稚で頭も悪い。「うちの子は心愛さんに唆されて、やらされただけ」と主張する親もあんまり頭よくない。
陽斗は家庭でのストレスを学校で発散していた。活動に積極的に関りいたずら行為(爆竹など)をエスカレートさせていく過程でも、彼にとってはスリルを伴った遊びの延長であり、環境問題を社会に訴えようなどと崇高な目的などなかった。幼稚な4年生だもの、なにも考えていない。こうなることが想像できなかった自分にただうろたえて泣き続けているわけだ。
《ふつうのこどもの世界はふつうの大人の世界の縮図そのものだ》
唯一冷静に自分たちの行動の正誤について悩むのが唯士だ。
環境のためにいいことをしようとしているはずなのに、それが社会を混乱させ人を危険な目に遭わせてしまっている、正論なのに否定される、ということに煩悶する。
私の子供が通っていた幼稚園では、オーガニックフードしか子どもに食べさせない意識高い系ヴィーガンの母親が何人かいた。環境ホルモンのこととか添加物のことをいろいろ勉強されていて、子どもたちに体にいいものをと実践されていた。無知だった私は彼女たちに触発されていろいろ学んだり、採り入れたりして食育の大切さを知った。
ただ、子どもたちが一緒に遊ぶとき「お弁当はマクロビオティック玄米と無農薬野菜で」とか「加工品や添加物の多いおやつは出さないで」とか言ってめんどくさい人たちだった。たしかに子供はほおっておけば甘いものやジャンクなものが大好きなので、小さいうちから親ができるだけそういうものから遠ざける努力をしないといけない。でも意識低い系の人たちにとっては上から目線でヴィーガンを強要されても迷惑でしかなく、幼稚園の中でも彼女たちは浮いていた。それに、ヴィーガンの親たちみんなが地球環境のことを考えているわけではなかった。今思えば自分だけ自分の子だけがよかったらいいエゴ親が多かった。
環境問題への抗議活動も同じで、環境活動家がみな善良な人たちかというとそうではない。欧米ではヴィーガンの過激派が肉屋を襲撃したりして問題になっている。動物愛護団体シー・シェパードが日本の調査捕鯨やイルカ漁を妨害したり。漁業や牧畜業を生業としている人たちにとって彼らの行き過ぎた抗議活動は脅威だ。
双方に正義がある。でも双方に生活もある。相容れない事情があっても対立は分断を煽るだけで何も解決されない。うまく折り合い共生していくしかないのだ。
この映画では、地球環境を考えて息子が肉を食べない決心をしているのに、お母さん(蒼井優)のほうが「別に食べてもいいんじゃない?唯士が肉食べようが食べまいが大して環境に影響ないよ」とがつがつ肉を食べる。
私も同じスタンスだ。ヴィーガンを否定はしない。でも子どもにはしっかり肉を食べて強いからだも作ってほしい。生産者さんに感謝しておいしくいただこう。
グレタ・トゥーンベリが2019年の国連気候行動サミットで行った演説は、地球温暖化対策に消極的な世界のリーダーたちに対し、「よくもそんなことができるわね(How dare you!)」と強い怒りをぶつけたことで世界中に大きな衝撃を与えた。
How dare you! 「よくもまぁ!」・・・この言葉がこの映画のキモになっている。
映画のラストで、心愛が唯士に口パクで言う言葉はまさにそれ!
小気味いい映画だった。
PS
是枝裕和の『箱の中の羊』に、上田唯士役だった嶋田鉄太君が、そのまま嶋田鉄太の名前で行方不明(捜索中)の少年として出ていた。彼の脱力系の顔がほっこりするんだよね。失踪している原因が誘拐なのか親の虐待から逃げているのかわからない少年で、ヒューマノイドの子供たちの集団に保護されて一緒に行動している。が、集団が何かしようとするときにいちいち「え、なんでなんで?」と聞くので「人間の子は言葉でコミュニケーションしないといけないからめんどくさいよね」と仲間からはうざがられている。
(ヒューマノイドたちはテレパシーで意思疎通できるし樹木などの有機物とも交信できるという設定である。)
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