【7日間ブックカバーチャレンジ】
5冊目 ��
「さようなら、私の本よ!」(2005年) 講談社
円熟拒否し矛盾深めよ〜老人の愚行〜 大江健三郎
政治的発言が多いノーベル賞受賞作家が、2001.9.11のアメリカ同時多発テロに触発されて書いた長編小説。自分で買ったのになかなか読み進めることができなかった本で、実は同時期読んだ大江健三郎のもっと簡明な本「『自分の木』の下で」(小学館)のほうが印象に残っているのだが(この本については後述する)。
主人公2人組の1人が古義人(コギト)という変わった名前。このコギトという響きに私は「コギト・エルゴ・スム=われ思うゆえにわれあり」(デカルトの有名なことば)を想起してニヤっとした。この言葉をなぜか学生時代から忘れずに覚えていたからだ。ラテン語だが高校の倫社の授業で習ったのが最初だった。大江自身がそれに言及しているわけではないが(笑)。
本書のテーマは「老人の愚行」である。
いま書店に行くと老いとどう向き合うかみたいな高齢者向けの書籍が目立つ。理想では人は老人になると人間的に丸くなって些細なことで熱くなったりせず、余生を悠々と生きることがあるべき姿とされる。しかし現実は、時代に適応できずキレる老人が多く、社会の様々な場面で、持論を展開したり意見する老人のことを若者は疎んじて「老害」よばわりする。
大江健三郎は、本書発売当時の日経新聞のインタビューで、老人の苦悩についてこんなことを言っている。
『もう老人の知恵など聞きたくない、むしろ老人の愚行が聞きたい』(T.S.エリオット)
「老人になると今まで難しく思ったこともその裏側も含めてだいたいわかるようになる。 世間ではそれを老人の円熟した知恵とか、悟りの境地とか呼んでいます。 日本では西行、芭蕉、本居宣長が到達したようなある静かな悟りの境地、仏教でいえば解脱。 これまでは、この世の迷いや苦しみから解放され円満で完成された世界へと向かうのが老人の理想とされていた。人間関係でいえば許しや和解に向かう。
ところがエリオットは違う。むしろ不安、狂気、苦しみ、恐怖心といった切迫した声や老人の愚行を聞きたいという。 たしかに老人は知恵もあり、深い経験も積み、考えもしっかりしているが、そういうものが何だ?!と老いたアイロニーで見つめている。」
「芸術家のLate Work(後の仕事)は、矛盾を解消したり円熟することではなくて、自分が抱えた激しい矛盾をしっかりつかまえてそれを深めていくことだというんです。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本書の最後で老作家が「徴候」というノートをつけていく場面がある。世界の絶望的な出来事の予兆を記録しては棚に整理していくもので、老作家はこう言う。
「『徴候』の棚は、十三、四歳の子供なら誰でもそこに置かれた箱を開いて、なかのものを読める高さにしてある。それはかれらこそが、ぼくの期待する読み手だから。そしてぼくの「徴候」の書き方はね、そこに記述するすべての破壊のしるしをさ、ひっくり返す思いつきこそ、かれらに呼び起こそうというものなんだ。」
この一節に、今の香港のことを思い浮かべた。天安門事件から30年たち、あのころ反政府民主化運動に加担した若者は老人になりつつある。その後不遇の人生を送った彼らの思いはいま香港の若者に受け継がれ、その粘り強い抗議運動は世界の世論をも動かし中国政府も手出しができないほどの力となった。ところが世界的な新型コロナ蔓延のせいで集会(デモ)ができなくなり、彼らの自治・人権運動もとん挫して力を失ってしまった。そしコロナ禍を一足早く克服した?中国政府は、香港への圧力を強め国家安全維持法を成立させた。香港の抵抗もここまでか。残念だがこれが歴史なのかな、ともしみじみ感じている。
だけど、若い世代が過去の歴史に学び、現状をひっくり返す行動を起こしていくという潮流は永遠になくならないし、何度でも繰り返し試みられるだろう。
ログインしてコメントを確認・投稿する