NHK映像の世紀バタフライエフェクト「陸軍VS海軍」8/31放映まとめ��
1941年12月7日、日米開戦。
海軍はハワイ真珠湾攻撃、陸軍もマレー半島に上陸。日本中がこの快進撃にわいた。しかし戦争に踏み出しておきながら陸軍と海軍その先に目指すものは違っていた。
日米開戦後も陸軍は中国大陸に戦略の重点をおいていた。太平洋は海軍担当だ、として、南方で資源を獲得したあとは持久戦に持ち込むつもりだった。
一方海軍は戦争を短期で終わらせる作戦だった。連合艦隊はミッドウェー島のアメリカ軍基地を急襲した。米軍の空母をおびき出し一気に殲滅させるつもりだった。が、逆に日本の暗号を解読していた米軍は日本の動きを察知、連合艦隊は大打撃を受け主力空母4隻を失った。
しかしこの結果は上層部にだけ知らされ、前線に知らされることはなかった。陸海軍の亀裂はさらなる犠牲を生んでいく。
ガダルカナル島で米軍に奪われた飛行場を奪い返すため海軍は陸軍に支援を求めた。開戦以来連戦連勝の陸軍に作戦への不安はなかった。こうして太平洋で初めて陸海軍の共同作戦が実施された。
しかしここでも足並みはそろわなかった。
海軍はアメリカとの艦隊決戦に注力し、陸軍の後方支援は後回し。一方陸軍は米軍の戦力を軽視し無謀な突撃を繰り返した。食料や兵士を載せた海軍の輸送船が次々沈められ、補給を断たれ島は飢えに苦しむ兵士であふれた。陸軍も海軍も互いに敗北の責任をとることを恐れ撤退の決断を先送り。その間に死者は二万人にも達した。多くは餓死だった。
陸軍海軍の対立は報道も巻き込んだ。1944年2月、毎日新聞の朝刊にて海軍記者クラブの記者が陸軍が進める竹やり訓練を批判。それを読んだ東條首相が激怒、処分せよ!となり、陸軍は制裁として記事を書いた記者を招集した。海軍がなぜ1人だけを狙い撃ちにするのかと抗議すると、陸軍は体裁をととのえるため、無関係の者250人を追加招集。のちに生き残った新名丈夫記者によると、この隊はほぼ全員戦死したと。
1944年 国防の要サイパン島玉砕。日本本土に迫りくる米軍。そんなとき、大本営から
劣勢を覆す大戦果が発表された。台湾沖での航空戦で海軍がアメリカ空母11隻沈めたと。しかしそれは虚偽の戦果で、実際は一隻も沈めておらず。海軍はその事実を隠蔽し、その情報が陸軍に伝えられることはなかった。
空前の戦果を信じた陸軍は、フィリピンレイテ島激戦地に増援部隊を送った。が、海軍が撃滅したはずの米戦艦が待ち構えており、徹底的にやられた。
陸軍も海軍も何の連絡もなく勝手に戦果を発表しており、お互いそれを鵜呑みにするしかなかった。
追い詰められた海軍が《特攻》の先陣を切り、それにつづいて陸軍も《特攻》を敢行
若者の命が無謀な作戦の中で失われていった。
1945年8月ついに原爆が落とされ、ソ連が満州に侵攻し日本の敗北は決定的となった。艦隊が壊滅した海軍では即時降伏の声があがり、一方いまだ中国に兵力を温存する陸軍は徹底抗戦を訴えた。この期に及んでも2つの組織が歩み寄ることはなかった。御前会議は紛糾し、最終的に天皇自らが無条件降伏を決定した。
戦後の東京裁判でも陸軍と海軍の言い分は違った。
陸軍は自己弁護より戦争の正当性に重点を置く。
「侵略とか暴虐とかは日本には適用されないものと思う。どの国も自国を守る特権を持っている。」 (元陸軍大臣 東条英機)
海軍は責任回避に重点をおいた。
「海軍としては日米問題を交渉を継続することによって和平的に解決するように万全の努力をすべきであるという意見を堅持していた」(元海軍大臣 及川古志郎)
東條英機の絞首刑をはじめ陸軍には死刑になった者がいたが、海軍には、死刑になった者はいなかった。
「海軍は陸軍に対抗して膨大な予算を投入して大和、武蔵という途方もない戦艦を作って惜しげもなく壊滅せしめ、戦犯となるとすべてを陸軍に押し付けて涼しい顔をしている。」(続現代史資料/陸軍・畑俊六日誌)
「陸軍は暴力犯。海軍は知能犯。いずれも陸海軍あるを知って国あるを忘れていた。敗戦の責任はごぶごぶである。」(海軍反省会9/戸高一成)
敗戦から5年、米ソ冷戦の緊張から1950年、警察予備隊ができ、元陸軍軍人が幹部に。海上警備隊もでき、海軍元軍人が幹部に。日本に再び兵力が復活。それら2つの組織はのちに陸上・海上自衛隊に引き継がれていく。
民間企業でも元軍人が経営戦略参謀総長などと呼ばれ組織のトップに。中でも有名なのは伊藤忠商事会長になった瀬島龍三だ。元大本営参謀だった彼は45歳で商社マンに。その波乱に満ちた生涯は山崎豊子「不毛地帯」のモデルになった。
組織に身を捧げ競争を勝ち抜く。戦後の企業社会へ流れ込んだ組織優先という論理は、人々を再び経済成長という戦場へかりたてていった。国家の運営を担う省庁でも、縦わりの構造と縄張り意識が根付き、組織の論理が形を変えて受け継がれた。
作家の山本七平は、戦後社会に敗戦で消えたはずの日本軍の影を感じとっていた。
「確かに戦争は終わった。だが私はいつも奇妙な戦時中の顔がこちらをのぞいていることに気づかないわけにはいかなかった。すべてが縦だけで動き、横の協働はできない。組織への責任の追及は消失し無責任体制となる。日本軍を貫いていたあの力がいまだに我々を拘束している。組織の名誉が絶対化すれば常に同じことの繰り返しになるであろう」
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