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2026年07月01日00:03

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4Kデジタルリマスター「羅生門」(1950)

原作の芥川龍之介「藪の中」は、羅生門の楼上で死んだ女の髪の毛を抜く老婆と、その老婆の着物をはぎ取って逃げ去る下人のやりとりの話
死んだ女の髪の毛を抜いて売りさばく老婆はもともと悪い奴なんだからその老婆からおいはぎしてもいいだろうという身勝手な論理。
トルストイの『罪と罰』で強欲な金貸しの老婆を殺したラスコーリニコフと同じ論理だ。

黒澤明監督「羅生門」は原作とは違い、京の都のはずれの藪の中で起こった旅の男女(侍とその妻)と盗賊の3人のやりとりの話だ。でもそれぞれ自分都合の正論を通そうとするところは同じだ。真実はひとつだが解釈は何通りもある。実際に起こった出来事でも人の見方や考え方は無限で、どれが正しくてどれが間違っているかも決められない。映画や小説の原点みたいな作品だ。

土砂降りの雨の中、荒れ果てた羅生門の下で、雨宿りをする木こりと旅法師が、検非違使(けびいし)で行われた不可解な殺人事件の裁判について語り合っている。森の中で起きた事件の真相は、証言者によって全く異なっていた。
映像はモノクロームだが、黒澤監督は臨場感を出すため雨に墨汁を混ぜて撮影したらしい。朽ち果てた羅生門もセットで作り上げたそうだ。

平安時代のとある薮の中。盗賊多襄丸が昼寝をしていると、馬を引いた侍夫婦が通りかかった。妻に目を付けた多襄丸は、夫をだまして縛り上げ、夫の目の前で妻を強姦する。しばらく後、現場には夫の死体が残され、妻と盗賊の姿はなかった。
−−物語は、この殺人事件をめぐり、この現場をたまたま目撃した参考人の杣売(志村喬)と旅法師(千秋実)、捕らえられた盗賊(三船敏郎)と侍の妻(京マチ子)、それに巫女により呼び出された死んだ侍(森雅之)の霊の証言により構成される。
事件の顛末は、証言者によってくい違い、結局どれが真実なのかわからない。

盗賊によると、「女がどちらか生き残った方に付いていくと言うので夫と対決し、夫を倒したが女は消えていた」と言い、妻は妻で「盗賊に身を任せた自分に対する夫の蔑みの目に耐えられず、錯乱して自分を殺してくれと短刀を夫に差し出したが、気が付いたら短刀は夫の胸に突き刺さっていた」と告白。そして夫の霊は「妻が盗賊に、彼に付いていく代わりに夫(自分)を殺してくれと頼むのを聞いて絶望し、自分で自分の胸に短刀を刺したが意識が薄れていく中で誰かが胸から短刀を引き抜くのを感じながら、息絶えた」と語った。

検非違使の審問の後、羅生門の下で雨宿りをしている杣売と旅法師は、同じく雨宿りをしていた下人(上田吉二郎)に事件について語る。

杣売(志村喬)は、3人の証言は自分が見た状況と微妙に違っており「わからない、わからない」とずっとつぶやき続けている。
彼によると、盗賊は女を夫の目の前で手籠めにしたあと彼らを解放し去ろうとするがどうしても女と離れがたくなり(女の味がよほどよかったか)俺と一緒になってくれ、なってくれるなら盗賊から足を洗ってもいいと懇願。女は拒否するかと思いきや、「私もこうなったからにはこのままではいられない。夫と盗賊と2人で決着をつけて欲しい。勝ったほうの女になる」と言った。で、2人はもみ合ったあげく盗賊が夫を殺し勝負に勝ったが、女はもうそこにいなかった。

居合わせた旅法師(千秋実)は「そんなことがあるものか。この世は残酷すぎる、人としてどうしてそんなことができるのか?生きているのがいやになる」とつぶやく。

それをきいていた下人は、短刀を盗んだのは杣売だろうとなじり、羅生門に捨てられていた赤ん坊がくるまれていたおくるみ(着物)をはぎとって去っていく。なんだこいつ、2人の話を真剣に聞いていたかと思うとただの悪党じゃないか。だが下人はこんなところに赤ん坊を捨てる親のほうがよっぽど鬼だし、この赤ん坊だってこのまま放置されたらどうせ死ぬそうなったら着物も無駄になるだけだ。だから盗ってもかまわないという身勝手な論理だ。

呆然とたたずむ杣売と法師だったが。杣売は赤ん坊を引き取って育てるという。
「うちには6人の子供がいる。その子らを養っていくのも精いっぱいの俺だが6人が7人になるだけのことさ」と。

最初旅法師は杣売が自分の手から赤ん坊を取り上げたとき、一瞬「お前も(下人と同じように)赤ん坊から奪うつもりか」と疑ったが、杣売のこの言葉にはっとして、「疑って悪かった」と自分を恥じる。この世は地獄で、世も末だと絶望していたが、世の中は悪人ばかりじゃないのだと少し希望が見え・・映画は終わる。


《あの風さえ吹かなければ・・》という設定
魔が刺すということ。ナラティブのメカニズムや意味

盗賊多襄丸の証言では、決して命を奪うつもりはなかった。藪の中で昼寝していた自分の前を旅の途中の彼らはただ素通りするだけだった。「風が吹かなければ」・・
風が吹いて馬上の女の素足と美しい顔が見えた。そのとたんこの女が欲しくなった。そこでもまだ侍の命を奪うつもりはなかった。
侍をうまく女と引き離して山奥の松の根元に縛り、戻って女を手籠めにしようとしたところ、いじわるなアイデアが浮かぶ。どうせ犯すなら夫の前で見せつけて犯してやりたい。そこで女を夫の前に連れて行って手籠めにしようとしたところ女は短刀をとり全速力で切り付けてきた。多襄丸は女の激しい気性にますます魅了される。結局女は力でねじ伏せられ多襄丸に犯される。だが、女はいったん抱かれると欲情し自分にしがみついてきた。
ことが済んで立ち去ろうとしたところ、女がなんと「夫を殺して」と引き留めた。夫の目の前で犯された私はもう夫の元には戻れない。だから夫を殺してほしいと。多襄丸は侍と格闘の末、夫を殺したが、気が付くと女は逃亡していた。
仕方なく、馬を盗んで自分も逃げた。

一番面白かったのは死んだ夫の証言だ。既に死んでいる(死人に口なしの)侍なのだが、巫女の憑依を通して自分がなんで死んだのかを語るという手法も面白かった。

盗人に犯され汚された女を赦して再び妻にするなどという屈辱は受け入れられぬ。男としてのプライドがある。だから盗人にくれてやると言って女を追放した。が、女が盗人に「お前についていく代わりに夫を殺してくれ」と囁くのを聞いて絶望し女の残していった短刀で自害したと。

3人が絡み合っている間使われていた音楽がラヴェルのボレロみたいな音楽で、延々と同じ調子の繰り返しで、それも黒澤明が指定したんだろうなぁと思うととても興味深かった。

ラヴェルのボレロはよく映画やTVのBGMで多用されている
最近見た映画ではエリザベステーラーの「クレオパトラ」で、使われていた。
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