女のおっさん化。男の女子化。女の腐ったような男。オトコマエな女。
ダイバーシティーの観点からすれば、現代は男性、女性以外に、ジェンダーを超えた多くの性が存在する多様性社会だ。
男ってイキモノは・・女らしさって・・などと既成概念でそれを語るのはもう古い。そうはいっても性差別はなくならないしそれどころか昔より露骨になってきているような気がする。
男と女の心模様をおもしろおかしく大阪弁で書き続けた作家田辺聖子さんが亡くなった。
私は若いころからおやじギャルだったが、田辺聖子の「女のおっさん」ぶりが大好きで、自らもそれを目標にしてきたような気がする。それは自分が、容姿や女子力など女としては足りないものだらけでコンプレックスの塊であったのが、自らの中の「おっさん」を認めてしまうと、逆にとても楽になり、男友達と「同性のように」付き合えるようになった、というところからきている。
男と女は親友になれるのか。男と女の友情は成立するか。以前もよくこのテーマで日記を書いた。
男と女は恋愛感情がなくなってはじめて友達になれるともいえるし、一度恋愛関係になってしまうと二度と友達に戻れないという意見もある。
しかしながら恋愛感情に昇格する可能性がまったくない男女の友情もまたつまらないものだ。
田辺聖子がこんなことを書いていた。
女にとって最良の友は(いや友の一部は)男ではないかと、私には思えるのである。ただし、その男は、友人であると共に男の要素もある、まかり間違うと恋人に擬せられるべき好みの男で、それを友人にとどめておく楽しみは格別のものなのである。
それには友人として存在価値のあるような、識見や学殖や人柄や趣味や生活や・・そういうものを備えていてくれなくてはならない。
男と友の二つながらを具備してあやうい均衡の上に、からくも保たれている、心の震えるような存在こそ、好もしい友である。
田辺聖子「千すじの黒髪」より
まず基本として、長続きしている夫婦は「親友のような感覚を持っている」といわれるように、親友でありながら恋人同士のようにキスしたりセックスしたりもできるという感覚は否定しない。
そこには男と女の恋愛感情を超えた「人間同士」の信頼関係があるし、信頼できる相手とのセックスは楽しい。むしろ恋愛感情が、相手への依存や束縛、嫉妬を生むことを考えると、常に緊張した気分でいないといけない恋人関係をずっと維持していくのはしんどいことだ。
だから友達関係が好ましい。相手に依存したり縛ったり、その逆に依存されたり縛られたりしたくない。お互いを尊重し合って対等な関係で恋愛を続けるというのは難しいから。
そして、一度恋人同士になってしまったら結ばれるか別れるかしかない。そういう関係をあえて選択せず、この人とは一生付き合いたい(成就もないけど別れもない)と思う気持ちの裏返しが、私が男女の友情に肯定的である理由なのかもしれない。
いや単に恋人に昇格するほどの引力が自分にも相手にもなかっただけのことだろうと思うが。
■作家の田辺聖子さん死去 91歳 文化勲章受章
(朝日新聞デジタル - 06月10日 14:28)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5656868
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