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地球伝承 〜 古代から未来へ 〜コミュの竜蛇神と竜牛神の「機織りの仕組み」

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◎トピック 〜高橋克彦『竜の柩』に見る「竜族」と「牛族」〜
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=10956316&comm_id=1384494
の続編としての内容になりますが、少し長いので新たにトピックを立て直します。

◎個人日記 〜竜蛇神と竜牛神の「機織りの仕組み」〜
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=473739552&owner_id=386027
からの編集・転載です。

*********************************************************************
「竜族」VS「牛族」の話にもどろう。
『竜の柩』(高橋克彦著)を未だに読んでいない私は何とも言えないのだが、作者は竜族をシュメール系文明とするなら、牛族をセム語族系にルーツを持つ一神教「聖書」文明になぞらえようとしたのではないだろうか。そして、この竜族文明にせよ牛族文明にせよ、実はエイリアン(宇宙の外来生命)がもたらしたものであり、そのエイリアン・プロジェクトどうしの相克葛藤という壮大な陰謀史観をちらつかせているのが、この小説のトンデモ構想らしいのである。
祥伝社NON NOBELの〈著者の言葉〉で「私は大真面目でこの本に展開した仮説を信じている。九鬼虹人は私でもある」と書いている通り、作者はこれをフィクションの形を借りたノンフィクションと自負しているはずだ。つまり、過ぎ去った古代への叙情ロマン、などという呑気な風流人の暇つぶし小説ではなく、太古のみならず、現実の現在から未来へと、途切れることなくプログラミングされていく、人類史的Xファイルに突入するアブナイ物語なのである。

神がエイリアンであるとする仮説は、西洋の先駆的なSF作家などによってすでに先鞭がつけられていたものだが、彼らは究極のところでエイリアンに否定的ではない。むしろ親和的だったりする。人類の始祖がエイリアンに生命合成されたアンドロイドであったとしても、とどのつまりは、神がアダムとイブを「つくった」とする『聖書』の読み替え程度の認識であり、猿から進化したと初めて聞かされた時代のショックよりも、よほど違和感は少なかったのかもしれない。
エイリアン創造主の中にも善玉と悪玉がいたという、いかにも西洋二元論的なSFもある。これなどはゾロアスター教から初期グノーシス思想の流れなどを研究してみると、あまりにもしっくりきてしまうので、面白いような怖いような話だ。
この善悪二元論の思想潮流は、形を変えてユダヤ・キリスト教の中にも流れこんでいる。後のキリスト教となると、だいたいは単細胞で抑圧的な勧善懲悪のスタイルとなるが、本家本元のゾロアスター的二元論は、二分した神々の半永久的な死闘を預言した、かなり悲壮な物語である。

『竜の柩』の「竜族VS牛族」は、このゾロアスター的二元論の変形バージョンのようにも見える。一神教文化圏のSF仮説では、善玉創造主と悪玉創造主は実は双子の兄弟だった、とか、同じ飛来星人の思想対立するグループだった、とか、一元性の後の分裂パターンが多いように見受けるが、高橋『竜の柩』では「竜星人VS牛星人」というような、もとのルーツを別にする異星人文明の衝突を臭わせている。(読破していないので、正確なことが言えません。スミマセン!)
日本の『記紀』神話でおなじみの「天孫降臨」礼賛を逆説的に反転させた、「国津神:ピュアな先住民」と「天津神(天孫族):邪悪な侵略者」という構図を、そのまま宇宙大に拡大した世界観と見ることもできそうだ。

私自身も、この大筋の着想において異論はないし、それは「私の中の神道グノーシス」シリーズの中で吐露している。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=207836447&owner_id=386027
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=192465074&owner_id=386027
しかし、太古地球文明を謳歌した竜族を侵略し、葬り去ったエイリアン一族を、「牛族=天孫スサノオ」と短絡するならば、それには全く賛同できない。
即ち、『竜の柩』路線では、
「牛族」=「天孫族:スサノオ」=「一神教」という一直線の公式ができあがってしまうのだ。
対立するもう一方が、
「竜族」=「国津神:出雲」=「シュメール」となるのだろうか。
これはあまりに短絡的で、粗暴な線引きというものだ。

高橋『竜の柩』の下敷きとなった富家の伝承(吉田大洋著『謎の出雲帝国』徳間書店)は、たかだか4000年の歴史である。
(トピック 〜鬼の王権、出雲、物部、オオモノヌシ、饒速日、神武……〜 
http://mixi.jp/view_bbs.pl?page=1&comm_id=1384494&id=17973888 書き込み18参照)
冒頭で「壮大な陰謀史観」と評しては見たが、4000年というスパンは、この種のSF神話史観の分野にあっては、決して「壮大な」イマジネーションとは言えない。むしろ近視眼的である。ムーやアトランティスやレムリアといった失われた古代大陸文明の場合は、数“万”年前の単位であるし、出口王仁三郎の『霊界物語』はそれらと同時代か、それよりも先んじて超古代日本の高天原王朝や、超古代アジア大陸の出雲王朝の存在を、霊験によって告げている。
あるいは視点を変えて、アカデミックな学問の世界ですら、世界最古の文明として近年注目を集めだしたシュメールの起源が、前4000年紀であるから、今からおよそ6000年前であり、それにすら届いていないことになる。

しかも富家の伝承は、出雲族全体に承認された伝承ではなく、落ち延びた一王家の内部にのみ、一子相伝として秘密裏に伝えられてきた口伝である。野次馬のノイズが入らなかったという、怨念の純粋培養という意味ではピュアかもしれないが、大局的な歴史観の確かさという点では、一歩引いて観たほうがよさそうだ。
たとえば、釈迦の滅後100年経って原始仏典を編纂する時も、500人もの仏弟子が集まって「私はこのように聞いた」などと相談しながら経典をつくってきたわけだし、官選史書として反体制気質の人には嫌われがちな『日本書紀』ですら、「一書にいう」という異聞・別伝を参考資料として列挙している。(この「一書にいう」が、編纂を命じた権力者に対する編集職人のレジスタンスが見え隠れして、存外、面白いのだ!)
こうした総合性や大局観のストッパーが、富家の伝承には全く効いていないことを考慮しなければならない。ひとつの異聞として観るのはよいが、それが主柱になってしまうのは考えものではないか。

どんな名君・名将であろうと、否、名君・名将であればこそ、全体の調整において大鉈の采配を断行しなければならない時はあるのであって、すべての派閥に好かれたという記録・伝承はむしろウソ臭い。富家の先祖は「スサノオ牛族」に対して、たまたま利害対立した家系にあったのではないだろうか。
本当にスサノオが出雲の破壊者であるのみの、悪神であったなら、もっともっと広い範疇の伝承や民話や噂話の中に、スサノオへの怨嗟の声が洩れ伝えられてきそうなものである。しかし、『記紀』王朝の皇国史観ならいざ知らず、出雲地方はおろか九州においてすら、そういう声はめったに聞かない。

角度を変えて、学術的な考証をひとつ挙げるなら、シュメールは竜族であると同時に牛族でもあったのだ。
「シュメルのみならず古代オリエント世界では先史時代以来、この牡牛の力に畏敬の念を抱き、牛の角や頭部は力の象徴として崇められた。これが男神の根源的な姿であるが、やがて、男神は人間の姿で表されるようになっていった。シュメルでは図像で神であることを表すさいには、角の付いた冠をかぶっている姿が決まりとなった。この角は牛の角を模している」(小林登志子著『シュメル 人類最古の文明』中公新書 P68)
竜トーテムと牛トーテムが太古の昔からあったことは認めても、それが常に敵対していたという設定は、もろくも崩れ去ってしまう。

竜族と牛族の対立については、私には別の観点がある。
主に女神が竜蛇神であり、男神が牛鬼神であり、両者の対立と融合、離合集散を経て、より高次の世界を創造していくという、オリエント的な弁証法世界だったのではないか。
これを洗練させた原型が、出口王仁三郎の大本の教理にいう「厳霊(いずのみたま)」と「瑞霊(みずのみたま)」による「機織りの仕組み(はたおりのしくみ)」である。

厳霊=女性の中の男性原理(変性男子)=国常立尊の働き。
瑞霊=男性の中の女性原理(変性女子)=素戔嗚尊の働き。

陰中の陽と、陽中の陰が、単なる馴れ合いや同情ではない、真剣勝負の交流を経て、縦糸と横糸を組み合わせるように至善至美のユートピア世界を織り上げていく。この両者の融合・結合した時の働きが「伊都能売神(いずのめしん)」であり、「日月神示(ひつきしんじ)」的に言うと「天之日月神(あめのひつくのかみ)」であり、その本体は王仁三郎の教理で言うところの「ミロク大神」である。
どこまでも敵対し、融合しえない西洋二元論とは、本質的に違う世界がここにある。と同時に、ただただ「お手々つないで仲良く」のスローガンである、近世以降の日本の自慰的な「和」とも決定的に違う。

また、それは性差の否定でもなければ、性愛エロスの抑圧でもない。むしろ大肯定なのだが、スピリチュアルな生命の実相は両性具有であるとするところが、保守・右翼が大好きな「男は男らしく」「女は女らしく」ともまるで異次元である。もともと「男は女らしい」のであり「女は男らしい」のである。自分自身の中に性差を具有しているからこそ、生命はしなやかで強く、セクシュアルなのだ。
これが超古神道(私の造語)の根本哲学である。だから、高位の神ほど両性具有であり、下位(物質界)に近づくほど雌雄の心性が分裂してくる。そして真のセクシュアリティを見失って、異性を暴力的に支配したり、謀略的に従属させようとする。それを防ぐため、根源神のたゆまぬ経綸である「機織りの仕組み」があるとしてもよい。

「竜族」と「牛族」の対立の実相は、「竜蛇神」と「竜牛神」の「機織りの仕組み」だったのであり、根底のところでは「竜」で結ばれていたのではないだろうか。なぜなら、大本では国常立尊は「艮の金神(ウシトラのこんじん)」と呼ばれ、竜体であると同時にツノを持つ鬼神とされている。竜であると同時に牛鬼でもある「竜・牛・鬼神」なのだ。
また、スサノオは一般には牛族とされるが、大本の神愉(お筆先)によると、やはり竜神であったり蛇神であったりする。最近になって偶然知ったのは、人気番組『オーラの泉』でも有名な江原啓之氏が、著書の中で、ある時期からスサノオノミコトの導きを得て、それから浄霊ができるようになったが、そこでも「天空にとぐろを巻く巨大な龍神の姿」を霊視したと書いていることだ。(『神紀行5関東・中部編』株式会社マガジンハウス)

陽中に陰あり、陰中に陽あり。
陰極まりて陽となり、陽極まりて陰となる。
(『易経』より)
竜中に牛あり、牛中に竜あり、
竜極まりて牛となり、牛極まりて竜となる。
……これが実相ではなかったのだろうか。

もうひとつ秘儀を探るなら、「機織りの仕組み」においては、縦糸が“綾かけ”になっていることだ。高位の神界においては、国常立尊が「ウシトラの金神」として牛鬼神なのに、この世への実際の働きかけにおいては、素戔嗚尊のほうが「牛頭天王」として、やはり牛鬼神となっているのだ。(素戔嗚の高位の本体は、神愉によれば、国常立尊の本体と共に地球の天地創造に尽力した巨大な宇宙蛇神である) 
これは私がもう一人敬愛する古神道の天才児、川面凡児の「直霊(根源神直結の分霊)は異性の親から受け継ぐのがノーマル」とする神理とも、微妙にリンクして面白い。が、それについては長くなるので、またの機会に譲ろう。

というわけで、地球神の分霊でありネイティブ地球人種でもある竜族を亡き者にしようとした侵略者は、「牛族=スサノオ」ではなく、全く別のグループなのである。が、これも言い出すとカドがたつので、今は沈黙を守ることにする。
(調子に乗って、あまり突っ込んだことを言う前に、まず『竜の柩』を読了したほうがいいかもねもうやだ〜(悲しい顔)


コメント(38)

今、シュメールに関する本を読んでいますが、(小林登志子著『シュメル』中公新書)神話はともかくとして、考古学的資料から察する限り、竜蛇というトーテムはあまり出てきません。むしろ牛頭(の冠や兜)のほうが一般的ではないか、とさえ思えてきます。
さらに周辺の蛮族を「大蛇」と蔑称する文献(『ウトゥヘガルの王碑文』の写本)も紹介されています。
「古くから共存していたアッカド人は別として、シュメル人にとって、ほかの人々は蛮族であり、追い払うべき勢力でしかなく、共存はありえなかった」(P194)
「グティ(グティ人)、山の大蛇・蠍、神々に暴力を働く者、シュメルの王権を異国に運び去ったもの、シュメルの地を邪悪で満たした者、妻ある者から妻を奪い、子供のある者から子供を奪いし者、国土に邪悪と暴力をはびこらせし者、……」(P191)

もしかすると古代オリエントにおいてさえも、「蛇」は異端的・反体制的な外部勢力だったのではないでしょうか??
竜(竜蛇?)が登場する最古の神話はバビロニアだと言われていますが、
http://homepage3.nifty.com/onion/monster/dragon.htm
神話においても、海水の母神であるティアマトは、結局、無残に討伐されてしまうわけですから。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%88
http://www58.tok2.com/home/hermitage/monster/tiamato.htm
この話は、おそらく『竜の柩』にも紹介されているのではないでしょうか。

バビロニアはメソポタミア南部にあり、さらに北部バビロニアがアッカド、下流地域の南部バビロニアがシュメールと分けられます。(アッカドやシュメールは人種の名称であり、地域や文明を直接に指し示すものではありません)
エジプトを含めて「古代オリエント」と総称されるうち、このメソポタミア文明の最古層を築いたのがシュメール人であり、その出自はさらに古く、定説はありませんが、紀元前8千年くらいのインド北部やアジア南部ではないかと言われはじめています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2
したがって、「シュメール=竜蛇族」であるとする富家の伝承は、古代オリエント発ではなく、もっと遡った太古アジア起源の神話的記憶からくるものではないか、と解釈するしかありません。なぜなら、メソポタミア文明を築いた時点で、シュメール人はかなり牛族化していたのですから。

しかし、神話の中でティアマトを討伐したマルドゥクが牛族であったことをほのめかす要素は何もありません。矢、電光、四つの風、毒……、などがマルドゥクの武器だったことを見ると、どこか超古代の化学兵器による戦争を連想させるものはあります。
逆に巨大竜ティアマトの産み出した怪物の中には「有翼の牡牛」というのもありますから、ここでも「竜VS牡牛」という設定は、説得力の弱いものとなります。

結局、富家の伝承は、すでに牛族化したメソポタミアのシュメール人種の中にあって、原初からの竜蛇信仰に固執していた少数派部族の伝承だったのではないでしょうか。だから、竜族を滅ぼさんとした根元的な敵対者を読み違え、少数派のコンプレックスとヒステリーから、仲間内の思想対立程度のいざこざを誇大妄想し、針小棒大に膨らませてきたのです。
謎の根源を照らすためには、人間社会レベルのちんけな古代史ではなく、太古・超古の神話に隠された天地創造の秘密にまで遡らなければだめです。
『竜の柩』は富家の伝承の「竜VS牡牛」に固執したところが失敗であると、未だに結論づけたい。ヒントにとどめておけば良かったのです。

   下記の吉田説にあるようにで竜蛇神=マルドゥク、と考えていましたが、異説もあるということでしょうか。 
 また、牛族VS蛇族の図式は小説とするうえではわかりやすいテーマだと思います。
 しかし、下記の川崎説をみると必ずしも 牛族VS蛇族は対立の関係ともいいきれず、中国、日本においてはむしろ共存の関係にある、とも思えます。スサノヲが牛頭の名称に象徴されるように牛族の代表のようであったのが、イナダヒメ(出雲地元勢力)との融和をすすめるうちにいつしか蛇族的性格をつよめていることにも共存関係が反映している、と勝手に思っています。         
              「菊花紋と牛族、巴紋と蛇族」
 皇室の菊花紋は、後鳥羽上皇(1183〜1221年)に始まる、というのが定説である。ところが、須恵器は古墳時代の産物なのだ。・・・「菊花紋」の流れを追跡すると、朝鮮、中国、マレーシア、インドネシア、インド、そしてメソポタミアへと達する。現在でも、マレーシアの王家や、インド、インドネシアの貴族は菊花紋を用いている。そして、これはシュメール時代の絵文字、(起源前3100年頃に始まる)と、続いて生まれた楔方文字を図案化したものであった。菊や蓮華が原型ではない。古代文字は、“神聖文字”と呼ばれる。人間と神々との交信のため、生まれたものだからだ。したがって、これらの神聖文字から型づくられた紋章は、すべて神々に関係している。「菊花紋」は、バビロニアにおいて、天の神または太陽神のシンボルであった。ペルシャやインドなどにおいても、同じである。・・・メソポタミアのアッカド王朝(紀元前2500〜2200年)では、太陽神=牛=王で、紋章に「菊花紋」を用いた。インドの釈迦も、ゴータマ(最大の牛)ブッダというようにこの系統で、やはり菊花紋系を愛用した。言い換えれば、牛をトーテムとする種族である。上古、牛族と共に繁栄したのが蛇族で、古バビロニア時代には竜蛇神マルドゥクを奉じ、「亀甲紋」と「巴紋」を広めた。インドの蛇神ナーガ像にも、「巴」がついている。これらが海路を、あるいはシルクロードを経て、日本に入ってきたのである。(「謎の出雲帝国」 吉田大洋著 徳間書店P50〜52)

              「ギルガメッシュ・モチーフ」
 当初のギルガメッシュ王の画像は「左右の牡牛を両手で支える」「左右の牡牛を両腕に抱きかかえる」が普遍的なポーズというか、構図であったが・・・セム族のバビロニア人の世界へ入ると、抱く動物が「牡牛」から「獅子」へと一変してしまった。さらに、インドへ入ると、「獅子」から「虎」へと変化してしまった。・・・ただし此処では.家畜の牛群を虎から守るというギルガメッシュ王本来のモチーフが岩絵から十分にくみとれるような構図になっていた。・・・(周の甲骨文字のギルガメッシュ王は、)左右の猛獣が「一」で代替表記されていた。後世の漢字「夾」の初字でもある。何を両脇にはさんでいたのか、篆文の「夾」(両脇に象形文字の「ヒ」)を見れば判ると思うが、そのモノは、「牡牛」「獅子」「虎」であって「人間」ではなかた。・・・紀元前20世紀中庸の中国の中央政府の所在地は大邑商であった。今の安陽市である。・・・殷墟の一つ、「婦好」墓から多くの遺物が出土した。・・・「銅鉞(えつ)」は「殷墟婦好墓」から出土したものの一つであるが、よく見と、・・・左右に猛獣、中央が神人の顔なので、・・・あのギルガメッシュ・モチーフに相違ない。銅鉞(えつ)の中央部分に文字が彫られている。左側の字の「好」が、・・・地母神キという文字―七枝樹の四枝の側に坐る蛇女神キという文字。「夫婦好」の実体は、中国神話でいえば、「夫」が人身牛首の炎帝神農、「婦」が蛇身人首の風姓女媧に当る。・・・正確な「夫婦好」の実体は、起源前3千年紀初頭のメソポタミアのウルク市の守護神だった七枝樹二神、すなわちハル(牡牛神)とキ(蛇女神、地母神)であった。・・・日本神話におけるイザナキ(男神)イザナミ(女神)の結婚、国生み神話のさいの天之御柱も七枝樹と考えられる。・・・紀元前三千年のシュメールの神話においては、天神がアン、地母神がキ、その天地の間に生まれたのが風神のエン・リルであった。また特にウルク市においては、アン神の権化が牡牛神のハルと目され―これを天牛思想という―その牡牛神ハルと地母神のキ、つまり蛇女神のキが一対の夫婦神となり、ウルク市の守護神となっていた。日本の縄文時代後期配石遺構の多数の石に、地母神キをあらわす甲骨文字の「ヒ」が彫られている。(川崎真治 著ロッコウ ブックス 「謎の神 アラハバキ」P80〜84、P136〜140、P162〜163)



少々、お詫びと訂正をいたします。

>しかし、神話の中でティアマトを討伐したマルドゥクが牛族であったことをほのめかす要素は何もありません
(書き込み1より)

マルドゥク神は竜蛇であったような説もあり、もう一方で牛であったような要素もほのめかしています。
以下http://dug.main.jp/sinma/ma.htm『神魔精妖名辞典:「ま」行』より引用。

名は「太陽の神の子牛」を表す。元々は農耕を司る豊穣神であり、三角の刃のついた「マール」と呼ばれる農耕器具を象徴していた。しかし後代になって恐れ知らずの戦神であると考えられるようになり、武装した姿で描かれるようになった。木星と結び付けられ、4つの目、4つの耳を持ち、神々の中で最も輝かしい存在だとされる。

天空神アヌの息子(兄弟説もあり)がエア(シュメール名:エンキ)、そのエアが水神アプスー(ティアマとの夫神)を殺して自らが水神となり、復讐に燃えるティアマトを討伐するための最終戦士として立てたのが、エアの息子がマルドゥク。
したがって、神話的には「天神」の属性をルーツに持ちつつも、一方で農耕の守護神ともされ、反面、戦闘的な乱暴者の神ともされ、一転して英雄的で神々の王の座を勝ち得た時期もある。……どこかで聞いたような話ではありませんか? そうです。スサノオにそっくりなのです。
高橋克彦も、おそらくここに目をつけたのでしょう。マルドゥクとは「太陽神ウトゥの子牛」の意味、という説をとり、竜蛇神殺しの実行犯?としているようです。
http://act9.jp/fan/report/ai/ryuh/ryuh_dic_m.htm(『竜の柩』事典 ま行)
富家の伝承の「マルドゥク=竜蛇神」説は採らないばかりか、竜蛇族が「上古、牛族と共に繁栄した」時期があった説も採りません。つまり富家の伝承の「竜蛇VS牡牛」を、さらに鋭角的にディフォルメした形でオリジナリティを持たせたのが高橋『竜の柩』と言えそうです。
そこでは「竜蛇VS牡牛」=「シュメールVSバビロニア」のツートンカラーなのです。前述したように、学術的にはこれは無理があります。
(牛が天神の象徴という考えにも、私は抵抗があります。中国的に「天・地・人」の考えを導入するなら、天神=鳥、地神=竜蛇、人神=牛、だと思う。天と地の中間的存在だから、牛神はどちらにでもスライドする融通性を持っている)

私が強調したいのは、マルドゥクとスサノオの似て非なる部分です。
マルドゥクのティアマト退治とスサノオのヤマタノオロチ退治は、竜蛇殺しにおいて似てますが、マルドゥクは母神(祖母神)殺しであるのに対し、スサノオは母神を救いたくて泣き叫び、自らの意思で母神の黄泉の国に降りていったのです。マルドゥクは母性原理・女性原理の殺戮者ですが、スサノオの本心は、その母性原理・女性原理の復権革命にこそあります。

この件に限りませんが、神話に似ている部分があるからと言って、ルーツをすべていっしょくたにしてしまうという思考方法に、私は賛成しません。似ているけど関係ないものなど、今の世界でもどこにでも満ちあふれてます。カルマ的にシンクロすることはあるのでしょうけど、芯までいっしょくたではないということです。

ただ、「ひとつの座標軸としての二元論」にすべてを当てはめてしまうと、確かにポピュラリティがあり、考えやすいし面白いのです。西洋型のアクションや冒険ファンタジーものなどは、本能的にこのツボを心得ていて、人々を熱中させるわけです。その意味で『竜の柩』は東洋的テーマを西洋的手法で料理した小説と言えそうです。

[補足]
メソポタミア神話は、シュメール、アッカド、バビロニア……、それぞれの時代や地域や民族の神話が重層的に入り混じっているので、なかなか難物です。(が、それだけに魅力的でもあります)

ここでの竜殺しのモチーフは、もっぱら海水母神の巨大竜ティアマトが被害者で、シュメールの地母神キの存在感は良くも悪くも地味で、ドラマティックなエピソードは伝わってきません。
ティアマトはアッカド人のバビロニア神話になって登場してきた原始母神なので、シュメール神話においては地母神キにあたる神だったのかもしれません。
つまりシュメールの時代には、天神アン(≒天牛神ハル)と仲良く夫婦神であった竜蛇神キが、アッカド治世のバビロニア時代には、天空神アヌと分裂し、敵対関係のティアマトに変身していることに注目したいところです。
(実際にはこの時代にあっても、戦後の和解として、シュメール人とアッカド人は共存しているのですが、神話の中では分裂・敵対の要素が見え隠れしている?)

またティアマトを退治したバビロニアの闘神マルドゥクは、シュメール神話の風神エンリルと同一とする説もあります。
マルドゥクはもともと一地方の豊穣神であったとされるので、このあたりは複数の異民族の神の習合思想が感じとれます。

こうした神々のスクランブル状態で、整然とひとつの説に収めきるというのは、土台、無理な話かもしれません。
ただ、大づかみのムーブメントとして、原始地母神≒竜蛇神の後退劇という要素があるのは確かでしょう。
高橋克彦もここに目をつけたのは、確かな視点だと思います。
ただ、竜蛇神と牡牛神が初期シュメール時代においては夫婦神として共存していたことを、黙殺してはいないか。シュメール人とアッカド人が、それほど鋭角的な対立なく共存していた時代もあることを、どこまで確認しているのか。このへんは『竜の柩』を読了してみないとわかりません。

ただ、私としては、文芸作品や娯楽作品としての『竜の柩』を星いくつにするかというような、評価評論のつもりで、ここまでこだわってきたのではありません。
高橋氏自身が、この小説を娯楽作品とはさらさら思っていない。地球史隠蔽の摘発文書と思っているはずなのです。その心意気に痛く共鳴するからこそ、私はむしろ氏を共闘すべき魂の戦友とみなしているのであり、だからこそ、忌憚なく真相究明するのが、読者の礼儀と信ずるからです。
そこで私の勇み足の仮説が破れて、大恥をかこうとも全然かまわない。その試行錯誤の作業から、さらなる闇の深みに迫り、光を差し込むことが出来れば、それで本望です。
したがって、ここでの一連の試論は、批判でも評価でもなく、私の中では竜蛇神救出(岩屋戸開き)の作戦会議なのです。
 7月3日2の「シュメール神話においては、アン神の権化が牡牛神のハルと目され、その牡牛神ハルと地母神のキ、つまり蛇女神のキが一対の夫婦神となる」ことは、7月5日4の『竜蛇神と牡牛神が初期シュメール時代においては夫婦神として共存』の傍証となるように思います。

 しかし、何故か、兄妹婚、洪水神話とも密接な中国の伏羲・女媧や日本の道祖神をみると、牛的要素は感じられず、共に蛇的要素が濃厚です。

 7月3日2にてご紹介したように「ギルガメッシュ・モチーフ」も「牡牛」からセム族では「獅子」、インドで「虎」と変化していますから、牛VS蛇の図式もところによって変化し、中国・日本では殆ど牛的要素を失ったようにも思えます。

 スサノヲが地元土着化で牛から蛇の色彩をつよめたのも「ギルガメッシュ・モチーフ」が各地での融合、変形を反映しているようにも思います。
小林登志子著『シュメル 人類最古の文明』(中公新書)を読み終えました。
初学者向けのバランスのいい入門書なのでしょうが、シュメールに的を絞った本自体が少ないこれまでの現状では、耳慣れない名称や単語が盛りだくさんで、細部のことはさっぱり記憶に残りません。でも、興味だけはあるので、読了できました。

これまでの類似の本では、メソポタミア全般の神話が主体で、シュメール人の実生活に立ち入ったものは少なかったと思われます。それだけにシュメールの等身大の実像に迫ると、幻想の中で過度に神秘化された神話からは見えてこない“あたりまえのもの”に気づかされます。
神話と言う集合的無意識に通ずるものと、考古学的な視点から見る古代人の等身大の生活と、やはり複眼的な視野が必要だと思い知らされました。

さて、しつこく「竜蛇と牡牛」のテーマですが、この本を読む限り、古代オリエントは当初の純血シュメール文化の時点から牡牛国家であり、遺跡の粘土板(円筒印章影図)に見る権威ある神の姿といえば、即ち、角のはえた頭を持つ牡牛神だったのです。
むしろ竜蛇のほうが影が薄い。有史・先史を見る限りにおいて、シュメールこそが“元祖”牛族だったのではないでしょうか。(上記、書き込み5の、中国、日本、バビロニア、セム族らとの対比において、牛的要素が薄らいでいくことをかんがみても、おそらくこれは正論です)

が、一方、シュメールは世界的に見ても有数の“親竜蛇”民族であったことも事実です。以下、引用。
《ニンギシュジダは「真理の樹の主人」を意味し、植物神であった。同時に冥界の神で、蛇神でもあり、豊饒神でもある。湿地の多いシュメルの地にはさまざまな種類の蛇がいた。蛇はその姿から嫌われ、恐れられることが多いが、民族によっては悪魔に、あるいは神に与するものと考えられた。ヘブライ人は前者であり、シュメル人や日本人は後者になる》(P234)

ただ、この種の蛇神は、人間を大神に仲介する役目の「個人神」(今で言う「守護霊」みたいなもの?)であったり、神に仕える随獣(眷属のようなもの?)であったり、部族・氏族を象徴するトーテムであったりして、都市国家全体を統べる神は、あくまでも角をはやした牡牛神であったのです。竜蛇神はもっと底辺の実生活に根ざした、民間信仰のようなものであったと推測されます。

「随獣」である竜に関して面白い記述があるので、紹介します。
《ムシュフシュは「バビロンの竜」として最もよく知られたメソポタミアの霊獣である。……ムシュフシュの図像は蛇の首と鱗状の胴、ライオンの前脚、そして鳥の後脚を合成した姿である。ムシュフシュはシュメル語で「恐ろしい蛇」の意味である》(P237)

図像を見ると、竜蛇というよりも四つ足獣に鱗をつけたようなものが多く、どちらかと言うと中国の「麒麟」に近いような印象がします。(アップした写真は、マルドゥク神に従うムシュフシュ)
もっとも、バビロニア神話では、海水母神ティアマトが天神に抵抗するために産み出した11の怪物群のうちのひとつがこのムシュフシュだったそうで、ムシュフシュ以外は全部、マルドゥク神に殺されてしまった。マルドゥクはこの怪物を気に入り、番犬代わりに使ったり、どこかへ行く時も必ず連れていったというから、要するに天神に寝返って生き残った竜蛇族がムシュフシュだった、……という解釈もできないではありません。

しかし、どっちみち古バビロニア以前のシュメール時代から、都市国家の最高神は牛神だったのです。マルドゥク神のもとのモデルはエンリル神であると言われるくらい、その性格が似ていますが、このエンリル神がある時代以降(アン神に代わって)、シュメールの最高神とされます。
《またエンリルは「力」を象徴し、「荒れ狂う嵐」「野生の牡牛」と呼ばれ、嵐や権力を象徴した。エンリルは王権授与の神であった。一方、アンは権威を象徴した》(P248)
マルドゥクはそのエンリルの戦闘的で権力志向の性向を、バビロニア版として焼きなおした神と言えそうです。

繰り返しになりますが、中央集権的な政治機能を統べる神は、当初のシュメール人社会の時代から「牛神」であった。後に非シュメール人がメソポタミアに侵入し、統治していくにあたって、彼らの(シュメール神以外の)最高神を立てる必要にかられ、バビロニア版エンリルであるマルドゥクを設定した、ということになりそうです。
もとは地方の豊饒神(≒竜蛇神?)であったマルドゥクが、体系化したバビロニア神話では大抜擢され、エンリルそっくりの鼻息の荒い猛牛神になるのはそのためでしょう。

したがって、牡牛神の性格そのものも、原初の仲睦まじい「天牛神アン&地竜神キ」の時代からは、激しく分裂して、変身・変心していると言わざるをえません。
そして、この変身・変心は、民族や信仰の衝突から来るものと言うより、シュメール社会が中央集権化していく過程で、同一民族の内部ですでに萌芽しているのです。異民族はその完成品を、かすめとったにすぎません。


それにしても、紀元前3000年前後のシュメール都市において、すでに竜蛇が主神でなかったとすると、もっと以前の先史に竜蛇全盛の時代を探らなくてはなりません。
シュメールよりも以前の、知られざるプレ・シュメール民族がいた気がしてなりません。

 
 下記の「ヴェルム氷期の終わりと竜の誕生」にあるように、シュメール文明において農耕が始まったこと、そして管理人様の上記7の書き込みにあるようにシュメール文明においては竜蛇信仰よりも天牛思想が盛んであったとすると、(竜)蛇は農耕の「大地母神」以前に、脱皮再生に象徴される(呪力をもつ)「豊穣神」として信仰されていたことになります。

 つまり、農耕の開始ともに「豊穣神」である(竜)蛇は「大地母神」の性格を追加(蛇が大地母神の力を我が物に)し、蛇から竜蛇へと昇華した、といえるのではないでしょうか。

               「ヴェルム氷期の終わりと竜の誕生」
1万年前、ヴェルム氷期が終わって、地球の温暖化が始まり、植物の生育に好適的な時代を迎えたときから、農耕というものが開始されたようです。それから、数千年経って、紀元前約5千年前にメソポタミアに人類最古の文明であるシュメール文明の発祥となる定住農村が築かれることになります。最終による流浪生活から農耕による定住生活へ、この変化をもたらしたのは農耕をする際に栽培対象とした穀物による事が大きいと考えられます。・・・栽培面積を広くすれば増収が可能であり、採集による食料確保よりも、一定の地域で大人数の人口を支えることが可能になります。・・・このように採集だけで食料が入手できた豊穣の時代が終わり、収量は大きいけれども働かなければ日々の食料を入手することができない、農耕と牧畜の時代が始まったことが大きな世界観の変化に繋がっていくことになります。・・・農耕によって、作物を取り入れるようになり、“大地の恵み”という言葉を改めて実感した人々は、大地に対して神聖さを認め、農作物を生み出すような存在と大地をみなし、ここに大地母神信仰が始まります。しかし、蛇信仰も完全に廃れたわけではありません。過去の豊穣のシンボルとして、(脱皮による成長という神秘性、不老不死、一噛みによってたやすく命を奪うといった特別な能力を有する)蛇が信仰されていた地域も多かったことでしょう。・・・そして、大地母神にしても蛇にしても、ともに豊穣のシンボルです。大地母神が蛇の呪力を模倣呪術によって取り込むことに成功したとみなすべきか、あるいはまとわれていた蛇が大地母神の力を我が物にしたと考えるべきか、どちらかはわかりませんが、いずれにしてもこれらが同一視され、それらはやがて一体化したのでしょう。・・・蛇の姿と人の姿を合わせ持ち、人の及ばぬ能力を有した、それまで全く考えられたこともなかったであろうその存在―すなわち、“龍”と呼ぶにふさわしい存在が誕生したのです。
(水野 拓 著「龍の伝説」光栄P185〜193)
 シュメールで農耕が開始した8000年前ころ、中国北方(モンゴル)にバビロンの竜の麒麟にも似た鹿龍が登場します。気候変化による北方畑作牧畜民の南下により、6500年前南方(長江)稲作漁撈民の鳥・太陽神信仰と北方の麒麟型龍とが融合し、さらにその後の南北の龍統合により、蛇的性格を濃厚に持つ中国の「龍」が誕生した、という説を下記にて紹介します。

 シュメールの龍と中国北方の龍とが共にもつ(蛇的要素が希薄で)麒麟的な外見、両者の登場がほぼ同時代(8000年前)にみられること、この二点が興味深く思えます。
 個人的には、北方畑作牧畜民の南下でおしだされた三苗が、日本列島にも渡来したため、日本の龍は、北方的な鹿龍よりも蛇的な龍のイメージになったのではないか、とも想像します。
 さらに「退治された大蛇は、頭・胴体・尾に分断され、怨霊の祟りを畏れる民衆によって、畏敬され鎮魂されて龍蛇神となる。・・・悪蛇が変じて人民に幸福をもたらすという、龍蛇神への変容において、日本の御霊信仰のダイナミズムはみごとな展開をみせている。(「龍の文明史」安田喜憲 編 第8章龍蛇と宇宙樹のフォークロア 金田久璋 著P308〜310)」の御霊信仰が洪水を引き起こす悪神「龍蛇神」から旱魃洪水における稲作民の農業守護神への地位向上、それと同時に中国南部の農業守護神であった「牛神」の地位低下を招いた、とも考えられます。

 換言すれば、管理人様の7月7日7の書き込み「地方の豊饒神(≒竜蛇神?)であったマルドゥクが、体系化したバビロニア神話では大抜擢され、エンリルそっくりの鼻息の荒い猛牛神に」(龍蛇神の牛神化による地位向上)とは丁度正反対の地位見直しが東(日本)と西(バビロニア)でおこなわれたことになります。

                  「鹿と猪と鳥の龍」
(内モンゴル自治区小山)遺跡(8000年前)から土器に描かれた龍と思われる動物文様(鹿と猪と鳥の頭をもった龍)が発見された。・・・森の中で生活し、縄文土器ときわめて類似した土器をつくった人々は、重要な食料となった猪や鹿や魚類を原型として、それらを融合して猪龍や鹿龍を創造したのである。・・・龍は中国東北部の森の中で誕生したのである。
・・・長江流域の人々は太陽は鳥によって運ばれると考えていた。その太陽を運ぶ鳥を南方の稲作民は崇拝した。湖南省廟岩遺跡から出土した6500年前の土器には、立派なトサカをもつオンドリが羽を広げ、その羽には太陽を抱きかかえる絵が描かれている。・・・鳥信仰や蛇信仰は北方にも存在するが、太陽に関する信仰は南方独自のものである。古代中国には、北方の畑作地帯の龍を信仰する龍族と、南方の稲作地帯の太陽や鳥を信仰する太陽族が明白にすみわけて存在したのではあるまいか。・・・龍が(長江流域で)明瞭な姿をとって出現してくるのは、5300年前の良渚文化の時代であり、北方の査海遺跡より2000年以上おくれをとっていた。・・・とすれば、もともと長江流域には蛇信仰が存在し、龍はそうした蛇信仰とはまったく関係なく、北方の森の猪や鹿を母胎として誕生した。その蛇と龍が同一視されるようになったのは、龍が南方の稲作地帯に伝播してからのことであると言える。・・・その背景には4200年前の気候悪化と、それにともなって引き起こされた北方からの畑作牧畜民の南下があった。この北方からの畑作牧畜民の南下にともなって、龍も長江流域に広く拡大したのである。龍を崇拝する畑作牧畜民は、太陽と鳥そして蛇を崇拝する稲作漁撈民と闘い、彼らを雲南省や貴州省の山岳地帯へと駆逐した。4200年前以降、東アジアには北から南への民族の大移動がったとみなさざるをえない。・・・その龍を崇拝する崇拝する畑作牧畜民が長江流域に南下したことによって、長江流域の三苗と呼ばれた稲作漁撈民は追放され、南下を余儀なくされた。と同時に龍もまた稲作漁撈地帯に移り住んだことによって変身を余儀なくされた。長江流域にこれまであったオンドリやムカデと龍が融合したオンドリ龍やムカデ龍が登場してくるのはその一例である。(「龍の文明史」安田喜憲 第1章龍の文明史 著P23〜25、36、38〜42)

                 「北方的な龍と南方的な龍の統合」
北方的な龍が鯉、馬、羊、鹿などを基礎にして生まれ、天を志向するものであるのに対して、南方的な龍は大蛇、ワニ、トカゲ、鶏、犬などを基礎にして生まれ、大地を志向するものである。そして最後に、北方的な龍と南方的な龍がもう一度統合して、今日のような龍に変わったのだ、と筆者(李国棟)は考えている。(「龍の文明史」安田喜憲 編 第5章龍の起源 李国棟 著P180)

なんだか凄まじくマニアックな深みにはまってきましたね。いくら龍が好きだからと言って、ここまで掘り下げてるコミュは他にないでしょう。あせあせふらふらあっかんべー

『竜の柩』を読み始めたところで、古本屋で高橋克彦『書斎からの空飛ぶ円盤』(講談社文庫1997発行)を見つけてきました。氏のエッセイ集は珍しいのではないでしょうか。
この二冊をざっと見比べて感じたことは、氏自身が岩手出身のこともあり、東北の古代史探索に関しては相当に詳しいし情熱も持っているということ。『竜の柩』の初めのほうに出てくる『東日外三郡誌』の解説など、大衆小説でふつうここまでやるか!ってくらい綿密な考証を加えています。学問的な本には一切アレルギーで、小説だけしか読まないうちの奥さんのような人種にとって、これは非常にありがたいことです。
一方、古代オリエントに関しては素人だったな、という印象を抱かざるをえません。小説の順序どおり、発想の基点が東北にあり、そこから世界の神話や古代史に触手を伸ばしていったのでしょう。しかも執筆と資料考証が同時進行で進んでいて、ネット検索で瞬時に多角的な切り口をつけられなかったであろう時代(1989年)、相当な苦闘であったろうと想像できます。

『竜の柩』の主な勘違いは、「シュメール文明を討ち破り、バビロニア文明を新たに発足させた」のがアッカド人だとしていることです。(『書斎からの空飛ぶ円盤』P40) 私が勉強した限りでは、シュメール人とアッカド人は戦争しているものの、古バビロニア以前から共存共栄の期間が長く、メソポタミア文明を支える二大民族でした。シュメールを滅ぼしたのは、その後に外部から進入したマルトゥ人(アモリ人)やエラム人などです。
http://www.geocities.jp/timeway/kougi-4.html
なぜ、アッカド人をシュメールの敵対民族にしたかったかというと、竜殺しの派手なエピソードを持つマルドゥク神が、アッカド語文献の神話だったからでしょう。

もうひとつふたつ、腑に落ちない点を考証をすると、
「メソポタミア文明の建設に関わった神オアネス」を「シュメールを支配していた竜」の原型と見なしているようなところです。(同P40) この「オアネス」という神、神話事典などでも見たことないと思って必死に検索したら、半人半魚の神とも幻獣ともつかぬ存在で、決して神話としてポピュラーなものではなく、異聞・外伝のようなものらしい。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~konoe/spridata1.htm
なぜこのようなものを、マルドゥク神に討ち取られた竜蛇神ティアマトと同一視するような演出をしたのかというと、オアネスの姿が「潜水用のヘルメットを被った人間に酷似している」からで、「気密服のヘルメットは前面のガラス窓が大きく、魚の目玉にそっくり」でもあり、「もしかするとシュメール文明は海底に基地を持っていた宇宙人の指導の下に作られた文明ではなかったか?」という仮説を導き出すためであったようです。(同P40)
私は決して宇宙人もUFOも否定しないけれど、どうも論理が飛躍しすぎ(こじつけすぎ)に思います。

「シュメールの女神イシュタル」のくだりも、不思議です。(イシュタルはアッカド名、シュメール名はイナンナ)
「イシュタルは他の神とは違って道具を用いて飛行するのだ。頭にシュ・ガル・ラと呼ばれるヘルメットを被り、銀色に輝く服に着替え、背中に重い金属の箱を背負い、手には金属のシリンダーのようなものを持つ」「銀色の服と聞いて大多数の人は宇宙服を想像しないだろうか」「この姿を忠実に再現したイシュタルの神像がシュメールの遺跡から発掘されている」「やはり、イシュタルは宇宙飛行士だったと見るのが自然と言うしかない」(同P41〜42)
これも必死で検索しましたが、『竜の柩』関連のページ以外では、このイシュタルのコスチュームも「シュ・ガル・ラ」も一件もヒットすることはありませんでした。よほどのレアもの情報なのでしょうか。

(前段、書き込みの続き)

「潜水服オアネス」や「宇宙飛行士イシュタル」の神話は、もしかしたらそういう逸話も混じりこんでいたかもしれないけれど、シュメール文明全般から見たら例外中の例外だと思います。
私もシュメールの起源に宇宙人的な臭いは感じているのですが、それは別の意味においてです。

《『アトラ(ム)ハシース物語』は次のように語っている。
労働を肩代わりさせるために創造された人間が増えすぎ、神々を悩ます。立腹したエンリル神は人間を滅ぼすことを企むが失敗し、ついに大洪水を送ることにする》(小林登志子『シュメル 人類最古の文明』中公新書 P11)
いわゆる『旧約聖書』の「ノアの箱舟」の原型となった神話とされていますが、注目すべきは「シュメル人の考えでは人間は神々の労働を肩代わりするために作られた」(同P256)とするところです。これはヘブライ人の思想とも近しいものがありますが、もろに宇宙人の設計によるアンドロイド(人造人間)の立場を連想させます。

人も動物も山川草木もすべからく大神の分け御魂であり、その受肉化であり、神へと向かって永遠に霊的進化する生命体であるとする、東洋的・古神道的・スピリチュアリズム的な思想とは、真っ向から対立・敵対するものです。
これこそが竜殺し(&牛殺し)の張本人としてのエイリアン神の正体であり、竜神と牛神、天と地、火と水、日と月、天津神と国津神、男神と女神……、地球を調和させていたすべての相補原理の間を引き裂き、偽の“天”なる神に成りすまして、長らく居座ってきた犯人です。

シュメールやユダヤの中には、この東洋的な生命観と、アンドロイド的な宇宙人コピー文明が、同居しているように思われます。つまり、アンドロイドがネイティブ地球人と混血してできた子孫が、シュメール人でありユダヤ人です。
……充分に飛躍しすぎでしょうか。

7月9日10、11の管理人様書き込みには、『竜の柩』の主な勘違い「『シュメール文明を討ち破り、バビロニア文明を新たに発足させた』のがアッカド人だ」としていること(前段)、「『メソポタミア文明の建設に関わった神オアネス』を『シュメールを支配していた竜』の原型と見なしているようなところ」(後段)、に無理がある、とあります。前段は小説の手法としての善対悪の対比であり、後段は、作者である高橋氏の宇宙人観(ひょっとすると宇宙人と遭遇した実体験?)に基く、「宇宙人が人類を創生した」という氏の主張を説明する、という演繹的な発想が小説の構想の原点であったからではないか、とも考えています。結論先ありきであれば、アプローチが飛躍するのも致し方ないのでは、と思います。それ以上にこの小説が多くのファンをもつのは、古代史のみならず、SF的要素もふんだんに持っている、というストーリー展開にあるのでなないでしょうか。

 どちらかというと日本の龍伝説を巡る、出雲大社、諏訪大社を舞台とする(日本の)古代史的な前編のほうが、シュメールを舞台とするSF的な後編よりも説得力をもつのも、作者が日本の古代史について造詣が深いからではないか、と思います。

 個人的には、前編が後編よりも古代史ファンである小生にとっては印象的でした。
 
 さて、7月7日8の書き込みにて「大地神」としての蛇信仰以前に「豊穣神」として蛇信仰がシュメール以前にあった、との推論を紹介しましたが、日本列島においても稲作渡来前の縄文時代に蛇信仰があったことを7月7日8の傍証として、下記のとおり紹介します。         
                        記
            日本列島における「大地神」以前の「豊穣神」としての蛇
日本人は龍を創造することはなかったが、それ以前の縄文時代にヘビの信仰を有していたのは、縄文土器や人物像に描かれたヘビの造形から確かである。・・・縄文人にもヘビは豊穣のシンボルであったといえよう。龍が蛇の信仰の地に伝来したのだが、龍が土着のヘビを駆逐することはなかった。ヘビと龍は共存しつづけることとになる。寺院や神社の天井を飾るのは中国伝来の龍であったが、土着の豊穣のヘビは自然のなかに棲みつづけた。・・・
「蛇が淵」や「蛇が池」といった地名はヘビの棲むと考えられていた場所である。人々はそのヘビに豊穣を祈り、旱魃のときには、そのヘビに雨を乞うていた。同時に、中国からの龍も豊穣の祭りや雨乞いの主役とされた。大陸の風習を受けたのである。だから、「龍が淵」や「龍が池」という地名も残されている。そのため、土着のヘビは中国から入って来た龍と融合する。自然界に棲んでいる龍には、頭は龍の格好でも足のない龍などが現れる。民話に登場する龍は、龍でも大蛇でもいい話が多い。
(「龍の文明史」安田喜憲 編 第2章 大河文明の生んだ怪獣 荒川紘 著P90〜91)
宇宙人を連想させるという点では、東北に集中する遮光器土偶(↑写真)は、本当に宇宙服か潜水服ですよね。単なる豊饒の女体をディフォルメしたものとしては、デザインが妙にリアルすぎます。
遮光器土偶は縄文の初期とも晩期とも言われているようですが、もしかすると宇宙人文明に縁が深かったのは、古代オリエントよりも日本の東北のほうが本家ではなかったのか、とさえ思います。
今でも、東北の裏側(地底)に、地底ユートピアのシャンバラ(への通路?)があるとか、海没したムー大陸の高度文明が受け継がれているとか、その種のトンデモ説はよく目にします。
高橋氏のようなアンテナの感度がいい作家は、そのへんから時空を超えて否応なく受信してしまい、理屈ではなく突き動かされているのかもしれません。

超古代SFファンや研究家の間ではよく言われることですが、ムー大陸系の宇宙人文明と、アトランティス系のそれとは、出どころが違う。別の宇宙人ルーツではないか、ということです。
ムー系のほうが神秘思想的で、宇宙に開かれた生命芸術科学だけれど、アトランティス系は(現在の人類から見れば)超高度ではあるが、閉じられた物質科学文明であったと。
このムー系を、高橋『竜の柩』で言うところの竜族に、アトランティス系を牛族に当てはめると、かなり納得できてしまいます。ただ、ここで言う「竜と牛」は記号にすぎず、現状の分類体系こだわりすぎると、平板になってしまって浅い感じがします。

また、ムーもアトランティスもルーツは地球外から飛来した系統だけれど、そのどちらでもない地球創世に携わった宇宙神霊こそが、日本の古神道の最も原初のルーツであるとするのが、私の立場です。
これも何かと引き合いに出される言葉であり、出典はあやしいとも言われますが、アルベルト・アインシュタインの次の言葉は、それを直感したものだと解しています。

世界の未来は進むだけ進み、その間、幾度か争いは繰り返されて、最後の戦いに疲れるときがやってくる。
その時、人類は本当の平和を求めて世界的な盟主をあげなければならない。
この世界の盟主になるものは、武力や財力ではなく、
あらゆる国の歴史を遥かに越えた、最も古く、最も尊い家柄でなくてはならぬ。
世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る。それはアジアの高峰、日本に立ち戻らなくてはならない。
我々は神に感謝する。我々に日本という尊い国を作っておいてくれたことを。
「ムー大陸系の宇宙人文明と、アトランティス系」「ムー系を、高橋『竜の柩』で言うところの竜族に、アトランティス系を牛族に」についてはよくしりえませんが、牛も龍も根は同じかもしれない、とおもったりもします。その根拠は次の説の後半部分です。
                   「鶏と蜈蚣(むかで)と龍」
注目すべきは鶏とムカデと龍の三者がからむ(中国の)伝承である。まず、「龍の病」は、
龍が病に罹り医者を訪ねる。医者が診察すると龍の鱗にムカデがいる。医者は鉗子で
ムカデをつまみ出す(医者がオンドリを連れてくるとオンドリは目ざとくムカデをつつき出す)結局ムカデはオンドリに食べられる運命にあるという伝承である。・・・この「龍の病」は雲南省から福建省、上海までの広い分布がある。・・・実は龍のあのみごとな角はオンドリの角だったという一群の伝承も、鶏とムカデと龍の三者の物語である。
龍は宴会に行くのにオンドリの立派な角が欲しかった。けれどもオンドリには貸す気はさらさらない。そこにムカデがやってきて、私が証人になるから貸してやってとしゃしゃり出る。オンドリはしぶしぶ龍に角を貸す。それきり龍は返しに来ないどころか、水にもぐって現れない。そこでオンドリはムカデをみるとつつく。・・・「龍の角はオンドリの角」の伝承は今なお新鮮で、これもやはり雲南省から上海まで広く語られている。
さて、これらの伝承群からオンドリはムカデより強力であり、ムカデは龍よりも強力である、という公式が導き出せる。・・・伝承曼荼羅にいまだに地位を確立できず、実体をもたない龍としては、強いもの、広く深く篤く信仰されている者の姿を借りたいと願うのは当然である。龍としては、自分を制御する牛の姿を借り、犬の姿、馬や猪の姿を借りたこともあったかも知れない。・・・だからその一回限りをたまたま見れば、龍は牛である、犬である等といった諸説が表出することとなる。
(「龍の文明史」安田喜憲編 百田弥栄子 著 龍をめぐる神話 著P212〜213)



以下は、私の個人日記「国産みのサンクチュアリ(聖跡)、おのころ島神社 〜国産みの島、淡路 ?〜」
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=939734873&owner_id=386027
のコメントからの抜粋です。
『龍の柩』の関連として、ここに転載します。


▽AKKIY

「超古代の超科学&超能力による世界最終戦争」というと、高橋克彦氏の「龍の柩」にある古代の核戦争をおもいだしました。
 富士山麓の核汚染を受けて密閉された「イザナミ」が再生する、といったような話でした。
 核被害を避け、龍神族が海中に逃げ込む、といった内容でしたが、これに近い伝承がある、ということでしょうか。

PS
 日本列島においては、洪水神話が兄妹婚伝承とともに海から離れた信濃にあること、そしてイザナギ・イザナミ伝承に連なる同祖神が多いことを不思議に思っています。
タリム盆地とは規模が異なるものの信濃には盆地が多い、という土地柄が関係しているのかもしれません。

▽Dr.TOM

>富士山麓の核汚染を受けて密閉された「イザナミ」が再生する、といったような話でした。

これは『龍の柩』でも、かなり続編のやつですね、きっと。当初の連載で終わるはずだった本編では、「イザナミ」なんて全然出てきませんから。

『龍の柩』はオカルト“でも”ある、とか、SF“でも”ある、などとよく言われますが、一度でも本編を最後まで通して読んだことがあるなら、これは正真正銘のSF無神論であると同時に、いったいどこがオカルトなの?という作品であることがわかります。
端的に結論を言うなら、
龍は決して(霊体の)龍神ではなく、あくまでもどこまでもメカなロケットのことなのであり、
神は決して神ではなく、あくまでもどこまでもエゴによる闘争を続ける宇宙人のことである、
というのが、作者の譲れない信念だったのであり、
その持論を代弁し証明させるため、登場人物に命がけの探索を続けさせる、という物語です。
ついに発見された「龍=ロケット」に自動制御で呑み込まれ、死出の旅路に放り出されてしまう。滅びた宇宙人が残したロケットを、知ってはならない人類の秘密を知ってしまった彼ら(地球人類代表?)の「柩」と見立てたラスト・シーンです。
神など居ないし龍神も居ない! 超科学や超能力を持った宇宙人達の壮絶な破壊と闘争の歴史があっただけだ!という、いわばSFニヒリズムであり、その持論への殉教の美学ですよ。

ただ、その推理や論証の過程で引き合いに出される、異国情緒ある様々な古代史の世界に、多くの読者は酔わされたのでしょうが、あの作品の時点での作者の意図は、それとはマ逆なのであり、それら夢とロマンの古代神話世界をことごとくメッタ斬りにして、否定しくさった末の、ニヒリズムの世界なのです。
でも、それにしちゃあノリが軽いよなあ、だから何なんだってんだよ?ってのが私の読後感想でした。(何も知らない無垢な古代史ファンの頃だったら、私も面白く読めたかも知れないけど、) さすがに作者も後になって気がひけたのか、少しずつ軌道修正していったのが、『龍の柩』の続編だったのだと思います。

神は実は悪である!という、グノーシスの立場に惹かれる私には、『龍の柩』もわからんではないんだけどね。でも、グノーシスはその奥に隠された真の至高神を見ているけれど、当初の『龍の柩』は、ニヒリズムの美学みたいので終わっちゃってる。地球史的敗者としての龍族への共感と憧憬、という、その発想の原点だけでしたね。惹かれるのは。
私には通俗的に不可解な『ダ・ヴィンチ・コード』のほうが、まだ未来志向で良かった。(読む前の評価は、逆だったのに…)

あの作品の時点で、作者は古神道の造詣がほとんどないと、私には感じられました。むしろ心理学とか、物理学とか、歴史とか、SFとか、そういう方向からのアプローチのほうが得意なのです。また、そういう作品に傑作が多いと見受けます。
つまり、彼の太古の過去世の本体は、ムー系ではなくアトランティス系であり、古神道系よりもユダヤ・キリスト教系なのだと思いますね。中間以降の過去世で日本の東北に縁を持ったので、歴史的敗者への挽歌に共振したのだと思います。

(続き)

▽AKKIY

「龍の柩」は、神は宇宙人で、竜はロケット・タイマシーン、という高橋氏の小説ですが、著者はどこかで宇宙人の存在を信じているようにもみえます。

▽Dr.TOM

高橋氏の小説は、真面目な思い入れのある(『炎立つ』のような)歴史ものの一方で、SFホラーとか、SF伝奇小説とか呼ばれるジャンルで、やたら高い評価を受けてますね。これは人間の記憶とか心理の暗部・盲点を突くという手法で、成功しているようです。
その根底には、(錯覚も含めて)記憶や感覚という意識の中の情報ストックを、人間存在そのものに結びつけて思考しようとする存在哲学があり、これはインド仏教を日本的怨霊史観で料理したような世界であり、もう一方で、記憶の過去・現在・未来という時系列において、タイムマシーンのようなSF的発想にもつながるのでしょう。

氏のアプローチに特徴的なのは、このように周到な思考回路を経てからでないと、霊とか神とかに接近できない。すんなりと、霊とか神を語ることはできないのです。つまり懐疑的なので、実験的無神論に見えます。これも、ちょっと原始仏教に近く、古神道的ではありません。
でも、私が彼を(原始仏教でさえなく)一神教的な過去世を持っていたのではないかと思うのは、一神教の強烈な基盤を持ったところほど、強烈な無神論が芽吹く土壌ともなりえるからです。
根っからの日本人(過去世に一神教がない日本人)には、結局、無神論というのは理解できません。一神教的土壌においては、一神教に対抗し一神教を否定するのは、多神教などではなく、無神論なのです。多神教なら許せる、というのは、日本人のええかげんなところで、一神教まみれの文化土壌から出たアンチ一神教=無神論では、多神教もまた一神教と同罪のいかがわしい奴らに見えるのです。

最近、古本で見つけた氏の対談本で面白いと思ったのが、『5次元世界はこうなる アカシック地球リーディング』(5次元文庫)です。
http://item.rakuten.co.jp/book/5078273/
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4199060014/249-7384005-6128343?SubscriptionId=126ACYFGAF02X7D2Y0G2
いわゆるアセンションもの(地球の近未来の次元上昇を啓発するスタイル)ですが、私にはむしろ、地球の記憶にアクセスするという本物のトンデモ人間を相手に、高橋氏の思考回路の繋ぎかたを知るうえで興味深い本でした。
ゲリー・ボーネル氏によると、高橋克彦は過去世で(十二使徒ではないが)イエスの弟子だったことがあるそうです。氏自身も、キリスト教は嫌いだけど、イエスは好きで、自分でもそれがなぜだかわからないそうです。
1メビウスの輪
 既出の「トピック 〜高橋克彦『竜の柩』に見る「竜族」と「牛族」〜」と、今回のトピックの「〜竜蛇神と竜牛神の「機織りの仕組み」〜」とが、「メビウスの輪」のように連続してもとの戻るような感覚にとらわれます。

2.一神教対無神論
「一神教の強烈な基盤を持ったところほど、強烈な無神論が芽吹く土壌ともなりえるからです。」という説は新鮮でした。
 
 特に高橋氏の宇宙人観・神の哲学をわかりやすく説明していただいたように思います。

 「一神教対無神論」という二元論は、「0または1」、というコンピューターにも連なる二進法の哲学をおもいだします。

 同時に、この二進法がインドでうまれたのであれば、「一神教対無神論」もインドに起源をもつのではないか、という「仮説」をもちました。

 しかし、小生にとってのインドは(バラモン教以降の印象だからかもしれませんが、)多神教の宝庫と写ります。

 現状、「仮説」と「多神教の宝庫インド」とのズレが自分自身ではうまく整理できないでいます。
無神論的インドの代表格を挙げるなら、それは文句なく仏教(原始仏教)でしょう。ただ、それがインド伝統の継承と言えたのか? 仏教以前にも、ブッダの原始仏教の基盤となるような、無神論的で唯心論的なインドがあったのかどうか?これは、はなはだ疑問です。

無神論の心象風景には、人間を守ってくれるはずの守護神の権威や魂胆が、どうも怪しすぎて信じられない、という強烈な実体験があると思われます。たとえば一族郎党が根絶やしにされるような事件があり、自分ひとりだけ生き残った、とか、民族・国家間の戦争があり、まるごと滅亡してしまった、とか。

インドのバラモン民族と敵対し、かつて争いを繰り返していたのがペルシャのゾロアスター教を奉じる民族です。(両者ともアーリア系民族ですが、どういうわけか相容れなかった)
どういう経緯か詳しくは知りませんが、ペルシャのほうが滅び、ゾロアスター教は衰退してしまいました。ゾロアスターの最高神アフラ・マズダは、悪鬼の阿修羅王として、インド神話に取り込まれます。
ここからは私説も含みますが、この衰退し、転落したゾロアスター教から枝分かれして、再生したのがグノーシス思想であると、私は睨んでいます。国破れた者のニヒリズムから生まれた宗教思想なので、これは非常に無神論に近い心象世界を展開します。
この世を造った造物主は、そもそも悪の権化だ!というのが、このグノーシスの出発点です。「神など居ない!」からこうなった、とすればノーマルな?無神論ですが、ある意味もっと透徹して、「悪の神が造った世界だからこそ」こうなった!とするのが古典的グノーシスです。

この世界の根源悪を、無神である故とすれば無神論、悪神の支配故とすればグノーシス、神などではなく質の悪い宇宙人の介入とすれば『龍の柩』的な世界観になるのでしょう。

いずれにせよ、(グノーシスを含む)この無神論的心性というのは、人間世界の力では及びもつかない世界に君臨する超越者・絶対者の否定、というところから入っていきます。存在そのものの否定なら無神論、モラル否定ならグノーシス、宇宙人説は両者のミックスに近いかな。

だから「一か多か」ではなく、「一かゼロか」なのです。「一か多か」では、この世レベルの、人間社会の舞台での、手の届くお話になりがちです。日本人の一神教批判と言うのは、9部9厘このレベルなんですよね。
この世の人間集団の運営方法として、独裁(一)か民主主義(多)かというような、方針決定のテクニカルな問題に矮小化しているのです。この世が独裁だろうが民主だろうが、そんなものを超越して支配しているのがGOD(唯一神)なのだ、という感覚がわからないのです。

結局、日本人は一神教がわからないから、無神論もわからない。わからないで、自分のレベルに引き寄せて、見当違いの批判をしているんですね。
無神論とかグノーシスの原点というのは、地球人類が作り出した大量破壊兵器などはるかに超えるような超科学力を持ち、赤子の手をひねる如く大衆を洗脳する超催眠術をも操る存在に、宣戦布告をして敵に回す、という感覚にも似ています。
たとえそれが病的な幻想であろうとも、そういう心性・感性があるということが、一般的日本人にはまず理解できないでしょう。

釈迦はかなりグノーシス的であり、もしかすると釈迦こそ隠されたグノーシスの開祖だったのではないか、という持論を、私は以前の日記で展開しました。
だから、これはインド的なものと言うより、ペルシャ・ゾロアスターが滅亡し、生き残りが無神論化していく過程で、インドに混入した哲学だったのではないか。
インド宗教一般が阿修羅を悪神と見なすのに、原始仏教は必ずしも阿修羅を悪鬼羅刹と表現していない、という、あまり知られていない事実も、この傍証となりそうです。もしかすると、釈迦一族にはゾロアスター教徒の子孫の血も混じっていたのでは?

もっとも、インドはもともと多民族地帯の上に形成された、諸行無常な国家風土です。土着の民族がアーリア系バラモン教徒に蹂躙されていく歴史は、多々あったでしょう。その過程で「神も仏もあるものか!」という思いを余儀なくされ、無神論的心性になる精神風土も、あちこちに隠れ住んでいたかもしれません。したがって、この「0または1」は、釈迦一族だけが持ち込んだものでもないかもしれません。
そして、この「0または1」が、グノーシスの伝播とほぼ軌道を同じくして、ギリシアや中東世界に輸出されたのかもしれません。

 「一神教対無神論」は、インド固有のものではなく、(ペルシャ系統から?)もちこまれた可能性がある、ということですね。

 無神論の前には、前提として一神教の存在があると思います。一神教は(ペルシャとは断定できないものの)「砂漠」において発生したものと考えています。下記のオドン・ヴァレ氏は、「神学と地理学のあいだに密接な関係があるという考えは否定されている。とくに、現在もっとも多くのイスラム教徒をかかえているインドネシアが、降水量の世界記録をもつ国だということも、その大きな根拠のひとつになっている。」と説明しています。*1
 しかし、ことインドネシアだけについていえば、イスラム教がうまれたのではなく16世紀末に米買付に伴い信仰が普及したものです。*2
 すると、「砂漠では一神教が生まれやすい」可能性は十分あるのではないか、とすれば(ペルシャ周辺の)砂漠に一神教がうまれ、その後の民族抗争の結果、「一神教そのものの否定論としての無神論」「一神教のモラル否定としてのグノーシス思想」が発生した、と整理できるものと解釈しました。
 
*1 19世紀に活躍したフランスの宗教史家エルネスト・ルナンは、次のように説いている。「砂漠では一神教が生まれやすい。どこまでも同じ光景が広がる崇高な砂漠は、ひとびとになによりもまず無限の思想を啓示する。それは、豊かな自然に囲まれた民族が,次々と生命を生みだす力を感じることと対照的である。だから、アラビアでは、つねに一神教が支配的だったのである。」こんにちでは、神学と地理学のあいだに密接な関係があるという考えは否定されている。とくに、現在もっとも多くのイスラム教徒をかかえているインドネシアが、降水量の世界記録をもつ国だということも、その大きな根拠のひとつになっている。しかし、砂漠がオリエントの宗教史において重要な役割を果たしたことはまちがいがない。(オドン・ヴァレ 著 佐藤正英 監修 「一神教の誕生」P14〜15創元社)

*2ジャワのイスラム化とマタラム王国
東南アジア貿易圏内部の貿易が、マラカを中心とするネットワークを構成するようになっていったのである。これに伴い、マラカは人口も増加し、周辺で生産されるサゴ澱粉だけでは食糧に不足するようになり、16世紀前半頃から、周辺のジャワ、シャム、ペグーなどから米を輸入するようになった。この地域では米が主食に変わっていったといわれる。この米買付けに、マラカに住むイスラム商人が゙ジャワ海岸部に進出し、そのことがいっそう、ジャワにイスラムを普及する促進要因となっていった。・・・15世紀後半に、ジャワ最後のヒンドウー王朝マジャパイトが王国の内乱によって衰退し始めると、ジャワ島北部海岸地方の港市国家は、交易拡大による富をもってマジャパイトに対抗するためにイスラム化は、全域に広がり、16世紀末にイスラム教の強国マタラム王国が成立したのであった。ジャワ島中東部の海岸地帯は、東南アジアにおいて米の輸出地帯となってきたが、16世紀後半以降、「新大陸」、日本、中国がこの貿易圏とつながりを深めると、商業中心地域への米(食糧)供給地域としていっそう重要性を増していった。
(東南アジアの歴史  桐山昇 栗原浩英 根元敬 著 有斐閣アルマ P67〜68、P70)
>19世紀に活躍したフランスの宗教史家エルネスト・ルナンは、次のように説いている。「砂漠では一神教が生まれやすい。どこまでも同じ光景が広がる崇高な砂漠は、ひとびとになによりもまず無限の思想を啓示する。それは、豊かな自然に囲まれた民族が,次々と生命を生みだす力を感じることと対照的である。

私はへそ曲がりなので、この「無限」という概念、あるいはその用法に懐疑的です。
なぜなら、見方を変えれば、砂漠の宗教:一神教のほうがよほど閉鎖系の中の有限な世界観を持っている、とも言えるからです。逆に東洋の自然豊かな宗教観のほうが、はるかに無限ではないか、とも思います。

何が無限なのかというと、東洋的自然宗教では己の命と土地や自然環境が融合して、それが無限のミクロから無限のマクロまで連続一体化して宇宙まで伸びていくのです。唯一神が居ないのではなくて、唯一神と連続一体化して、我々一人一人は神の細胞のひとつであり同朋である、というのが、本来の東洋的自然宗教です。生命は神が「つくった」ものではなく、神から分かたれて「生まれた」ものなのです。

砂漠の宗教:一神教ではこれが、無限なのはあくまでも神(唯一絶対神)だけであり、この世の存在は人間も自然もことごとく有限です。我々は神の細胞ではなく、世界の外から俯瞰している造物主(神)が、実験室の中に模型を造るようにして、セッティングした試作品です。お試し期間(有限)の試運転が済んで、合格点が出なかった粗悪品は、最後の審判でことごとくスクラップされることになります。
そんなのあんまりじゃないかと、神に比べれば人間なんて五十歩百歩で皆、粗悪品だ〜い! だから誰でも許しを請いさえすれば、あの世の無限世界に移籍できることにしようと。それで発明(?)されたのが、イエス・キリストによる(人類の罪の)代理贖罪による愛と赦しです。

広大な砂漠の風景というのは、果てがないように見えるから、一見、無限っぽいけど、どこまでいっても似たような風景というところで、連続して変化していく感覚が乏しい。あるいは周囲の環境世界と自分が、確かにつながりながら場面が展開していくという実感が乏しいんじゃないかと。
言葉を替えるなら、バーチャル感覚が強くなるということです。目の前にある風景・情景は、実は本当の自分とは乖離された合成画面の背景のようなもの。その舞台設定をしているのが、常に上から見下ろしている神である。この舞台は神がセッティングしたスタジオの大道具・小道具のようなものだから、撮影が済みさえすれば、すぐにイリュージョンの手品のように片付けられてしまう。自分自身さえも、神から見れば、その片付けられてしまう小道具のひとつかもしれない……。

こういう感覚では、狭い特定の人間集団の価値観や慣習に縛られるという弊害は少なく、斬新な発想力は培われるかもしれません。今居る平面にベッタリではなく、幽体離脱的にできるだけ外に飛び出して、神に近い位置から発想してみるという実験精神です。
しかし、自分の命までをも含めて、この世のものをすべて使い捨ての道具とみなしがちで、生命あるものの連続連関性を尊ぶという、エコロジカルな感性にはなかなか届かないものです。

だから、「どこまでも同じ光景が広がる砂漠」というのは、決して「崇高な」ものとは言い切れないし、それに気づいてない一神教的感性が主導する文明が、こうやって地球を使い捨てにしようとしているんですよね。

もうひとつ強調したいのは、砂漠は決して初めからそこにあったものではないでしょう。砂漠“化”したのです。なぜ砂漠化したのかと言うと、「あの世の永遠」さえ良ければ「この世のマテリアル」は消費期限内に使いきったほうがよい、という感性を持った文明が、豊かな森林や草原や河川をきっちりと食いつぶし、死滅させてきたからです。
砂漠は初めからあったのではないとすると、「砂漠の宗教」的な感性はいったいどこからやってきたのでしょう??

地球ではないとすると、外宇宙からです。つまりエイリアンであり、悪なる神です。……ここに私の高橋『龍の柩』に一脈通ずる視点があります。
この勝ち目のなさそうな敵に立ち向かうという、悲壮な戦い、見果てぬ夢が、無神論やグノーシスに連なる精神系譜であるといえましょう。
ニーチェのように発狂して死ぬか、仏陀のように孤高の勝利を遂げても、真の理解者は得られず、はるか後世の人間の成長に夢を託すか、そういう危ないロマンを描きたいという願望は、アンテナの鋭敏な作家にはあると思いますね。

 神=宇宙人という考え方は、確かに高橋克彦氏の思想につらなるものです。
 その一方、すべての宇宙人が悪神ではなく、(悪神に圧迫され海中に逃避したかもしれないものの)善神である宇宙人も一部にいる、と高橋氏は考えているのではないか、とも(楽観的かもしれませんが)推測しています。

 一神教と多神教については、次の「東西の宗教観と龍の見方」が自分にとりしっくりします。*

*東西の宗教観と龍の見方
“赤き龍”やリヴァイアサンは、最後には主であるエホヴァに倒される運命です。・・・倒す神は、ほとんど嵐や天空の神とされています。・・・ギリシャ神話のゼウスも雷鳴と稲妻を武器にするということが、天候を操る事を暗示しています。・・・(農耕の開始したときー1万年前―の)気温は現在よりも2、3度高かったとされています。・・・気候の寒冷化による寒冷前線の活発化は降雨量の増大をもたらし、それが農耕によって保土機能を失った土地の土壌侵蝕を加速して、農耕地の減少が進んでいったかもしれません。・・・(製鉄技術を秘匿していたヒッタイト王国が滅亡したことによって)製鉄技術が各地に広まったことにより鉄器が普及し、これまで青銅器の農具では開墾できなかった大地を切り拓くことができるようになったのです。このことがそれまで未開だった森林の大開墾へとつながります。・・・農耕環境の大変化、これが神話的秩序の大変化を引き起こしたことはまず間違いないでしょう。つまり、古代の人々が自分たちの力で切り開いた農地に雨による水をもたらし作物を育ててくれる天の存在こそ、至高の存在とされるようになっていったのです。・・・やがて、オリエント各地で乱立していった信仰は、唯一の神を信仰する一神教に変化していきます。・・気候の寒冷化によって引き起こされた放牧民の移動によって、唯一神信仰の影響を大きく受けたということでしょう。*16・・・(農耕には適さない地域、どちらかといえば乾燥地帯を移動している)放牧民は・・・天から降る雨だけで生きていたために、天候神こそが唯一絶対の存在と信じていくようになったのでしょう・・龍が豊穣を示す大地母神と蛇の一体化した姿だったということは忘れ去られてしまい、主であるエホヴァでなければ倒せないほどの強力で恐ろしい容姿をした怪物というところまで堕してしまったのです。・・・気候の寒冷化によって、西洋で天候神がクローズアップされたのと同様に、天についての関心が高くなってきます。しかし、西洋と東洋で異なったこととして、気候の寒冷化によっても、東洋はなお豊かであった、ということが挙げられます。・・・そして気候の寒冷化による降雨量の増加は、水については豊かであった東洋にとって、天からの恵みというよりも、災害を引き起こす者として捉えられたようです。
 つまり、降雨量の増加により、洪水などの水害が問題になってきたと考えられます。・・・この洪水を制する神として、水際でよく見ることができて、神秘化の対象でありこれまで豊穣のシンボルであった蛇が選ばれたのでしょう.ここで東洋の蛇は、大地母神と一体化した豊穣のシンボルであり、そして水を制御できる神としての属性も付加した存在、それが女媧という存在に結実したと考えられます。・・・天候神と洪水を引き起こす龍という神話の構造から考えれば、天候神は善、龍は悪という固定化された発想が生じそうですが、それは起こらなかったのです。なぜならば、天候神である顓頊(せんぎょく)も、一時は悪を為したことがあり、洪水を引き起こすことを命じている悪神とされ、洪水を引き起こす龍のもう一つの姿として、大地の豊穣を生み出す龍として女媧が生き続けていたからです。天候神が善、龍が悪という区別が生じなかったのです。
 また、仏教の中に守護神としてナーガが取り入れられたことにより、仏教の伝道と共に龍神の存在が重要視されていきます。・・・気候の寒冷化によって完成した西洋の宗教が砂漠の宗教、一神教の宗教であったのに対して、東洋の宗教は森林の宗教、多神教の宗教ということがよく言われます。・・・そして、このことは、龍の見方についても影響を与えている、ということになります。
(水野 拓 著「龍の伝説」光栄P194〜214)
>神=宇宙人という考え方は、確かに高橋克彦氏の思想につらなるものです。
 その一方、すべての宇宙人が悪神ではなく、(悪神に圧迫され海中に逃避したかもしれないものの)善神である宇宙人も一部にいる、と高橋氏は考えているのではないか、とも(楽観的かもしれませんが)推測しています。

これはそのとおりなのですが、善神である宇宙人(龍?)はおおむね敗残者である、という地球史観がポイントです。少なくとも、ここ数千年の地球を牛耳ってきたのは、あんまりお行儀の良くない、破壊や殺戮や支配がお好きな連中だろう、というところが、グノーシスと一脈通ずるところでしょう。
そして、これが崇高で質実剛健であるが故に滅んでいった、日本の東北の古代文化とリンクさせているところが、我々のような読者には一番そそられるところです。

ここをポイントにしなければ、この小説はちっとも面白くはないのです。なぜなら、宇宙人が実在して、地球に関わってきた、というお話自体は、べつに目新しいものでもなんでもありません。それを作者が“本気で”信じていたとしたって、「あ、そう、良かったね」「だから、それがどうかしたの?」の世界です。
宇宙人が居るか居ないかと言えば、私は“普通に”居ると思っているし、それ自体、大ミエ切って「私は大真面目で信じている!」などと公言することでもなんでもありません。
あえて、そこで啖呵を切る!というココロには、たとえそれが悪の宇宙人であっても、存在は存在として、事実は事実として、残酷な現実を受け止める!という覚悟の表明だからこそです。ファンタジーを描いているようで全然ファンタジーではない、それは残酷な現実なのだ。他人がどうあれ、自分はそこから目をそむけないぞ!という宣誓なのです。
それはある意味、社会の裏側の巨悪を追及する、ジャーナリストやルポライターの姿勢と共通するものでしょう。

この立脚点と似た作品を挙げれば、アメリカの人気TVドラマ『Xファイル』、キアヌ・リーブス主演の映画『マトリックス』シリーズ、そして劇場版『ルパン三世』の第一作目「ルパンVS複製人間(クローン)」などでしょう。
『Xファイル』主演のデヴィッド・ドゥカブニーも、『マトリックス』主演のキアヌ・リーブスも、異口同音に「これは現実なんだ」とコメントしている記事を見つけた時、我が意を得た気がしたものでした。ストーリーの全てが現実だと言っているのではなく、象徴的・暗示的な視点を含めれば、現実だと言いたいのでしょう。つまり、現実逃避や息抜きの娯楽でやっているのではない。むしろ、最も酷い現実をえぐることになるかもしれない。見る人の立場は自由だけれど、我々造り手は、そういう気持ちでやってるんだよ、ということです。

前記三作に通底するのは、世界は巨大な幻影や陰謀でコントロールされている、という感覚ですね。『Xファイル』の場合は、そこにもろに宇宙人やUFOが関わってきます。それはお伽噺の世界などではなく、国家規模や超国家規模のあらゆる巨大陰謀の根底に、その問題が潜んでいるという設定です。(実際、アメリカ政府は宇宙人情報を隠蔽してますし…) だからこそ、主人公のモルダーはUFOや超常現象は“普通に”信じてしまうのに、ドラマのキャッチコピーは“TRUST NO ONE ”(なにものも信じるな)であり、“THE TRUTH IS OUT THERE”(真実はそこにある)なのでしょう。
たいがいの人が当たり前だと思っている実社会の秩序やコネのほうが、実はつくられた共同幻想や陰謀なのであり、ひとたびそこから足抜けしようと試みた者には、その枠の中のものにいくらTRUSTしてみたところで、罠に堕ちていくだけ。そこから一歩も二歩も、外や奥に踏み込んだ世界にこそ真実がある。
これは「世間虚仮」とする原始仏教や、「この世は悪の造物主の箱庭」とするグノーシスの立脚点とも、非常に近いものです。そこから、不撓不屈の魂の戦いが始まるのです。
嘘でもいいから騙し続けて安心させて欲しい、という、ムード歌謡の女心の歌詞みたいな民心には、とうてい理解できない世界ではあります。

但し、『龍の柩』の場合は、そこに「魂の挑戦」はあまりないのですね。客観的な謎解きミステリーの形でだいたいは進みます。ここが『ダ・ヴィンチ・コード』と似ているスタイルです。
が、その謎解きも、『ダ・ヴィンチ・コード』のように対抗する仮説と論戦を交わすということが皆無です。水戸黄門の葵の御紋よろしく、遠山の金さんの桜吹雪の入れ墨よろしく、九鬼虹人(主人公)の「龍=ロケット」説、「神=宇宙人」説が出てくると、みな絶句したり感嘆したりして試合放棄なのです。このへんはディベートや弁証法のない国の、おめでたい一件落着主義で、当初は好きになれませんでした。ウソ臭くもわざとらしくて、密室の中にサクラの聴衆を集めて独演会を披露する催眠商法みたい。
でも、ある時から、これは一種のテーブルマジック・ショーと思えばいいのかな、と悟りました。種や仕掛けがわかろうがわかるまいが、パフォーマーの手際を楽しんで、大袈裟に拍手喝さいしていればいいのです。

根本テーマのシビアさと反比例して、『龍の柩』はこのてのパフォーマンスやショーマンシップが、プロレス的に通俗的なところがあります。(実際、格闘シーンでプロレス技が出てくるのには笑っちゃいました。私もプロレス好きですからいいんですけど…)
実際、高橋克彦の小説は、ストーリー・テラーとしてのトリック・スターの面が多分にありますよね。その“見せる”“魅せる”部分での、テクニカルでプロフェッショナルなショーマンシップを、氏はこの『龍の柩』という試作品で養い、鍛えたのだと察せられます。「私はこの作品で作家になった」というような手記があったけど、そういう意味もありそうです。

だから、「本気でかかってこい!」と言われたからそうすると、「いやあ、途中で相手が本気になりましたからねぇ」とあしらわれてしまいそうな。かといって、八百長だと頭からバカにしてかかると、返り討ちをくって大怪我をする、そういう基礎体力をも持った作品ですね。
「豊富な古代史の知識」というマニア的要素に加えて「魅せる」という通俗的な技量にひきつけられるファンが多いのでしょう。 (小生自身がまさにそうです。)
 現代における巫女、シャーマンのような存在ではないでしょうか。


龍(馬)対牛について再考する本にであいました。

「馬は陽に属し、牛は陰に属するという考え方が中国ではきわめて一般的で正統な考え方」「牛は龍(馬)と対立」「牛は(南方において)農業の守護神」という中国(北方の)龍神文化の考え方は、海神とされるポセイドンが馬に変身する
というギリシャ神話とも共通するものです。※1
 しかし、何故「牛は馬と対立」するのか、陰陽説だけでは、いまひとつ理解できませんでした。牛も馬も農業にとり有益な動物であるにもかかわらず、何故対立するのかが疑問でした。
 今回、馬について「日本古代文化の探求 馬 」森浩一・編 社会思想社を読み、旧著ではありますが、「河童駒引考」の 〈水神 牛馬神聖視の交替〉という考え方にふれ、疑問の一部が氷解しました。※2
 中国そして日本で牛よりも馬を聖獣視するに至った背景として、騎馬民族ならびに中国の龍神文化が(南方の牛文化を併合した)北方文化にあることを考える必要があるように思えます。
 同じ農耕に関する犠牲、聖獣でありながら、なぜ馬が牛と交替するにいたったのか、この事情については他にも理由がありそうにも思えます。

※1 龍馬と対立する牛
龍と馬の関係は、「龍馬」という熟語が生まれるほど緊密である。・・・龍馬は地上の家畜ではなく、水中の神である。龍馬の身体に翼があり、これは明確に龍馬の昇天志向を示している。・・・鯉と龍馬はともに水中のものでありながら、天上界へと目指しているのである。・・・龍馬が龍神文化の産物であることを物語っているのである。・・・馬は陽に属し、牛は陰に属するという考え方が中国ではきわめて一般的で正統な考え方であることが明らかである。・・・馬は龍とつながっており、牛は龍と対立しているということが明らかになる。・・・牛は農業の守護神であり、中国南方の支配神・炎帝も「人身牛首」とされている。すなわち、中国南方の神様は、まず農業を守る牛的な存在だと要求される。そして、農業にとっては、洪水が最大の災害なので、農業の守護神である牛はまた洪水を起こす元凶の悪龍を退治する任務を与えられるわけである。
(「龍の文明史」安田喜憲 編 第5章龍の起源 李国棟 著P169〜170、173〜174)

※2 河童駒引考 石田英一郎著「河童駒引考」(全集5)
わが国民間伝承に広くみられる河童が水中に馬をひきこむといういわゆる河童駒引伝説を、ユーラシア大陸諸地域の伝承、文献、考古資料と比較しつつ、水と牛馬のかかわりあいを説き、共通した文化要素が展開していることを明らかにした名著である。
柳田国男は、「山島民譚集」(定本27)の中でわが国の河童駒引伝説の成因を、元来水神に馬を献げるという、事実としての動物供犠が存在していたが、やがて水神の零落退化した妖怪としての河童が逆に馬を水中に引きこむという伝説に変容したものであると説いた。石田はこの説をさらに世界史的な視野から解明することにつとめ、その結論として、農耕社会における牛馬と水の密接なる関連性の中で、原初的には牛の家畜化、聖獣視がおこり、牛を多産豊穣の神として神聖視する思想が、ことにユーラシア大陸南縁に先史時代からあり、かつ農作物の生長と家畜の繁殖をもたらす水が聖牛思想と結合して、牛を水神の聖獣とみたり、水神に牛を献げる儀礼となってあらわれたり、水神が牛と同一視されるに至ったことを説き、やがて馬が農耕地域に進出するようになり、馬の神聖視、聖獣化がおこり馬と水神との結合がおこり、かくして宗教的神話的世界における牛馬交替の現象が生じ、さらに馬を水中にひきこもうとする水精としての北欧のネッキ、地中海のポセイドーン、中国の河伯、蛟竜、雷公等とともに日本の河童の駒引伝説も生じたのであるとした。そしてわが国のこの種の伝説も水精と馬との結合を語る伝承の一類型にすぎぬと指摘し、水精と牛馬との交流が農耕社会においては普遍性をおびて展開していることを主張した。ことに石田の強調点は馬に先行して牛の経済的宗教的役割の優位性があったとする点にある。
また水馬の思想や水神が馬神をかねる信仰は、イラン系の騎馬民族によって、オリエントからユーラシア大陸の東西に伝播されたのではないかという想定もしており、騎馬民族の移動ないし馬の輸入定着による農耕生活や信仰の伝播、変容、ひいては国家の形成等を究明する上においても深く示唆を与える好著である。なお本書は昭和23年に刊行された。
(赤田光男)
「日本古代文化の探求 馬 」森浩一・編 社会思想社P289〜290
中国において「馬≒龍馬」と「牛」が対立関係にあったことは何となくわかりますが、ユーラシア大陸においては、むしろ水神と牛馬の習合のほうがポイントであり、さらに水神=「龍」的なものとの結合は、馬よりも牛のほうが先駆的であったと考えると、「龍VS牛」の世界史的敵対関係としては、はなはだ曖昧ですね。

?北方起源の馬(龍馬)文化が南方の水田の牛文化を征服したとするなら、馬が水龍と結合する必然性がありません。優位な馬が水辺の牛&龍を退治し、組み敷くという構造になるはずです。つまり、「勝者:馬VS敗者:龍」となるはずです。
?南方の「水」牛文化が北方から遠征してきた「陸」馬文化を併合したとするなら、いちおう理屈は通ります。水の龍への生け贄としての役柄を、新参者の馬に託してしまって、自分(牛)は悪龍を退治するヒーローの役回りに昇進したという構図です。しかし、これも、太古の昔から牛と龍が敵対していたというほどではありません。河川の龍は氾濫を起こす暴れ龍であると同時に、田畑を潤し作物を育む恵みの水でもあるのですから。龍が一方的に悪役視され犠牲になっていたり、敗者であったりという、『龍の柩』的な歴史観は当てはまりません。ここでは、龍・牛・馬は、表面的に対立しているように見えても、根底のところで共存・共生関係なのです。
?北方にも(大きな水田地帯がなかっただけで)河川はあったでしょうから、南方にやってくる以前に馬と水龍は習合していた、と考えるべきかもしれません。つまり、馬文化と牛文化との出会いは、馬竜と牛龍の水神族同士の集合だったのであり、南方の農村地帯においては、ホームタウン・デジションに有利な牛族が頭ひとつリードした、というところでしょうか。しかし、律令体制下の北方文化にあっては、馬のほうが陽(優位)とされたのではないでしょうか。

そもそも小説『龍の柩』の「龍VS牛」の敵対構造の出どころは、富家の伝承(『謎の出雲帝国』吉田大洋)だけなのであり、それ以外の綿密な資料考証・検証があるとは到底思えません。
このトピックでもこれまで探ってきたとおり、世界史において普遍的に「龍VS牛」の先鋭化した敵対構造は、どこをどうほじくっても立証できないのです。むしろ曖昧な習合状態や、原初的な陰陽相補関係が浮き彫りになってくるだけです。
『龍の柩』は最初のほうで、日本の東北の古代文献『東日流外三郡誌』について、学問的に綿密な考証を加えているので、その調子で世界史の「龍VS牛」もやっているのかと、読者は思い込みがちですが、それは違うよ!ということです。当初の発想である「富家の伝承」の受け売りだけでやっているのであり、そこにたまたま符合しそうな情報だけを見繕って、無理矢理、牽強付会させているのです。
シュメールの女神イシュタルが宇宙服を着て飛行する像(粘土板?)が発見されたとか、潜水服を着たオアネス神の話にしても、出典をつまびらかにしてはいません。実際に考古学的に発掘された時と場所と写真などを明記すれば、さぞ説得力もあろうかと思うのですが、それは一切せずに素通りです。つまり、このへんまでくると完全にフィクションの世界に入り込んでいるのです。

小説なのだからフィクションでよいし、フィクションだからと言ってけちをつける気は毛頭ありません。繰り返しますが、この作家の好き嫌いや、作品としての優劣を論じているのではないのです。それは別のところでやればよい。作家や作風の評価とは別次元として、歴史的事実との異同はハッキリさせるべきだ、というのがここでのテーマなのです。

と言うのも、作者が「この仮説を大真面目に信じている」などと述懐したから、事がややこしくなってしまった。それはちょうど『ダ・ヴィンチ・コード』の作者が、冒頭に「すべて真実に基いている」と書いちゃったから、喧々諤々の反駁を買ったのと似た状況があると思います
でも、『龍の柩』はどちらかというと一部のマニアの世界にとどまり、宗教観としても歴史観としてもファジーでいいかげんな日本社会にあっては、全く問題にされなかったわけです。
しかし、これがもし『ダ・ヴィンチ・コード』級の世界的ベストセラーになっていたら、やはり大騒ぎになったことでしょうね。

もうひとつだけ、唖然とするような事実誤認のフィクションを挙げると、例のモーゼ一行が出エジプトの後、ユダヤの民が牛の像を祀ったのでモーゼの激怒を買うというくだりがありますが、『龍の柩』ではこれを、一神教では偶像崇拝禁止なのに、“神の姿に似せて牛の像を作った”から怒ったと解釈?していました。何としても、一神教の神を牛族にしておきたいのです。
牛の像は異教(バール神信仰)の信仰に根ざすものだったからであり、神が牛の姿をしていたなどとは聖書のどこをめくっても書いてありません。(自分の姿に似せて人間をつくった、という記述はある) 絶対神が動物の姿をしていたなど、生真面目な(動物差別的な)キリスト教徒が読んだら、頭に湯気をたてて怒り出すか、抱腹絶倒するか、どちらかでしょう。
一神教を批判するようなことを書くからいけない、というのではないんですよね。イスラムはともかく、新興宗教以外の今のキリスト教徒は、そこまで露骨に権威主義的なリアクションをする人は少ないはずです。ただ、事実に反することをネタにしてあれこれでっち上げるのは、「それは違うでしょ?!」と突っ込まれても仕方ないし、突っ込まないのであれば、日本のキリスト教徒はキリスト教徒ではないです。幸か不幸か……。

20081019 31のDr.TOM?説に?説を部分的にとりいれた折衷説をとりたく思います。(我ながらずるい考え方だと思います。)

 つまり、中国では龍=馬=牛が元来のものであり、龍馬=龍牛が基層にあるが、
北方・畑作・馬トーテムの部族が、南方・稲作・牛トーテムの部族の優位にたち、龍馬=龍牛は馬比較優位のもとに(征圧ではなく)融合した、と考えます。

 その背景は、次の2つではないでしょうか。

1.龍は元来実態を持たないことから、龍は馬・鹿・猪・鳥・牛・犬の姿もと  りえた。
  (龍が実態を持たないことは、宇宙人が造ったタイムマシーンの姿を      とるという究極の高橋説に連なる。)
2.南船北馬といわれるように、北部中国では馬が輸送力の中心であった。
  馬は牛同様農耕に有益であるが、輸送手段としても有益であった。

PS
20070710 13の「どちらかというと日本の龍伝説を巡る、出雲大社、諏訪大社を舞台とする(日本の)古代史的な前編のほうが、シュメールを舞台とするSF的な後編よりも説得力をもつのも、作者が日本の古代史について造詣が深いからではないか、と思います。」という「龍の柩」の読後感は、20081019 32の Dr.TOM意見の前半にも連なる、という解釈は身勝手でしょうか。」

 それにしても、中国と異なり、日本では牛も馬もあまり存在感がなく、蛇とほとんど見分けのない龍というイメージがあります。理由は牛馬を生贄とするということが実際のところあまりさかんではなかったのでは、と推測しています。
いずれにせよ中国の龍を取り上げる限り、牛・馬・龍はかなり曖昧な併合・融合状態であり、富家の伝承⇒『龍の柩』に見るような「牛VS龍」の根源的敵対関係でないことだけは確かです。
インドにおいても、「ガルーダ(鳥)とナーガ(竜)」の対立・確執のほうが、神話において顕著であることを、以前「つぶやきサロン Vol.4」で取り上げました。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?page=1&comm_id=1384494&id=26779902
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AB%E3%83%80

龍≒ドラゴンが神の敵として邪悪視され、駆逐・殺戮されてきたのは、決して世界史的に普遍的なものではなく、むしろある時代(中世?)以降のキリスト教文化圏だけではないのか、というのが率直な感想です。そして、そのドラゴンをおとしめた神は、決して「牛」などではなく、自分の姿に似せて人間をつくった神であり、決して下界には正体を現さない天上から支配する唯一絶対神です。
したがって、『龍の柩』の原点を追求するなら、東洋やオリエントをいくら追ってみても的外れなのであり、中東発の一神教から西洋キリスト教文明へと発展・変遷していく歴史や神話をつぶさに検証したほうが、どれほどマシかわかりません。

西洋の龍は、一般的には中世の騎士に退治されるドラゴンのイメージが強いですが、このドラゴンは東洋の龍のように水神・水獣のイメージがかけらもありません。したがって鱗はなく、火を吹くメタボ鰐のようであったり、コウモリのような羽根で空を飛ぶ恐竜のようであったりします。
しかし、これが古来からある西洋ドラゴンのスタンダードだったわけでもなく、ある時代以降からポピュラーになったものだと、何かで読んだ覚えがあります。このへんの歴史的変遷というのはまだ詳しく調べたことがありませんが、東洋とは全く違った景観が見えてきそうで、なかなか面白そうですね。

一方、「牛VS龍」のそもそもの発端である富家の伝承『謎の出雲帝国』ですが、この考証・検証も必要でしょう。
富家では出雲神族はシュメールの末裔であり、龍神族だと伝えています。そして、自分らをおとしめた仇敵が牛族であると言うのです。
ところが、前にも述べたとおり、粘土板に見るシュメールの王は二本角の兜(冠?)をかぶる牛頭の王なのです。「牛」であることこそが、シュメールの王権の証だったのです。学術的にわかっている範囲において、牛を聖獣とする文化はここから発していると、私は睨んでいます。
その牛王を敵対視する「富家の伝承」が指し示すものとは、即ち、同じシュメール民族内部の内乱、または対立・軋轢だったのではないか。これも以前チラッと書きましたが、陸の牛族シュメールと、船で海洋貿易をしていた龍族シュメールの間に、同族間の異文化抗争があったのではないか、と私は睨んでいます。(富家の伝承でも、仇敵の牛族が一神教を奉じるセム族だなどとは語っていません。それは『龍の柩』が勝手に飛躍させ牽強付会させたところです)
これについても、詳細は後の研究に譲りますが。
 紀元3千年前のシュメール神話では、「ウルク市においては、アン神の権化が牡牛神のハルと目され―これを天牛思想という―その牡牛神ハルと地母神のキ、つまり蛇女神のキが一対の夫婦神となり、ウルク市の守護神となっていた。」といいますので、古代シュメールにおいて「牛と蛇」は「対立」ではなく、「融和」していたように思えます。※1

 一方、(龍蛇族の出雲族でありシュメールの末裔である)冨家の伝承が示す、「(牡牛神ハル信仰の)スサノオは出雲を制圧すると(出雲族に)竜蛇信仰を捨てることを迫り、・・・、また、ヒボコ族の圧迫もあって、出雲の竜神信仰は陰のものになっていった」にある「牛と蛇」の「対立」が古代シュメールに由来するものかがわからなくなってきます。※2

 確かに検証不可能なことが冨家の伝承にはつきまといます。

※1(殷墟の一つ、「婦好」墓からの遺物)正確な「夫婦好」の実体は、起源前3千年紀初頭のメソポタミアのウルク市の守護神だった七枝樹二神、すなわちハル(牡牛神)とキ(蛇女神、地母神)であった。・・・日本神話におけるイザナキ(男神)イザナミ(女神)の結婚、国生み神話のさいの天之御柱も七枝樹と考えられる。・・・紀元前三千年のシュメールの神話においては、天神がアン、地母神がキ、その天地の間に生まれたのが風神のエン・リルであった。また特にウルク市においては、アン神の権化が牡牛神のハルと目され―これを天牛思想という―その牡牛神ハルと地母神のキ、つまり蛇女神のキが一対の夫婦神となり、ウルク市の守護神となっていた。日本の縄文時代後期配石遺構の多数の石に、地母神キをあらわす甲骨文字の「ヒ」が彫られている。・・・吉野ヶ里出土の線刻石にも「ヒ」があったし、・・・
阿夫利神社(神奈川県)女坂石にも「ヒ」が彫られていたし、山口県下関市彦島の線刻石にも「ヒ」が彫られている。
(川崎真治 著ロッコウ ブックス 「謎の神 アラハバキ」P80〜84、P136〜140、P162〜163)

※2(出雲)熊野大社
http://www012.upp.so-net.ne.jp/houi/izumosinzoku.htm#touhoku_kyusyu
シュメール以降のメソポタミア(バビロニア)神話で、地母神キの発展型と見られるのが、海水母神のティアマトです。これは非常にドラマチックなリベンジと滅びの物語が伝えられています。

女神の女性性の復権を唱える人達は、イシュタル神を象徴的に掲げる人も多く、高橋克彦『龍の柩』も物語の続編で重要なキャラクターとして登場させていますが、こちらは神話を客観的に見渡す限り、性愛・性欲の女神であり、それが豊饒につながる反面、プライドと支配欲故の戦闘につながる面が強烈で、私はあまり食指が動きません。英雄ギルガメシュも、それで彼女の誘惑を断り、怨みを買っています。
あまりに性愛を抑圧した偽善的な宗教観からの開放、という意味では、一役ありそうですが、イシュタルのキャラクターというのは、男性社会の闘争本能や支配欲と何ら変わらない一面もあり、女性故の気まぐれや御乱交も盛んなぶん、手がつけられない、といったところもあります。
生理学的に言っても、性欲にスイッチを入れるのは(個体の男女別に係わらず)男性ホルモンだと聞きます。自分から手当たりしだいにアタックしていくような女性は、きっと男性ホルモンの分泌が先天的に盛んなのでしょうね。
まあ、そういう女性も魅力的だという感性も、私は一般的日本男性よりは持っているつもりですが、「女性性の復権」という視点からは、いかがなものかと思う。

母神ティアマトのほうですが、こちらのほうが根源的な母性神の悲劇です。
長い話になりますが要約すると、万物の母である故に、神々の不和を調停する役を買って出ようとするが、内乱に巻き込まれて夫神アプスーを子孫の神々に殺されてしまう。義と情ゆえに狂ったティアマトは、巨大龍となって怒涛の復讐を開始します。
その快進撃の前に、天神のほとんどがあえなく敗退。そこで龍退治に任命されたのが、暴風雨の軍神マルドゥクでした。(シュメール時代には一地方の農耕神だったらしい神が、なぜかバビロニア神話で躍進) 暴風を噴射してティアマトの口をこじ開け、そこに矢を打ち込んで殺戮したと伝えられます。

この心象風景が、古代帆舟(シュメールの古代船は風力だけで動いていた)の部隊が突風で壊滅的な打撃を受けた事件を暗示してはいないかと、私は想像してしまうのです。
シュメール時代から続く海の男達が信仰していたのが、地母神キ⇒海水母神ティアマトだったのではないか。それが陸の牛王の民と何らかの利害対立や感情対立があって、ある時、この暴風雨(+戦争?)による壊滅的な打撃で滅び去った。その生き残りが抱き続けている怨みの系譜が、「富家の伝承」から『龍の柩』へと受け継がれた龍のモチーフの真相だったのではないか。

しかし、「富家の伝承」では龍殺しのマルドゥクを守護神としていたと伝えていますから、このへんがさらにこんがらかるところです。おそらく軍神マルドゥク以前の、素朴な豊饒神マルドゥクを奉じていたのが富家のルーツで、この地方農耕神の一族と、ティアマトを奉じる海のシュメールは極めて近しい同族だったのではないか。海の男達が海洋貿易に出ている間に、陸の農村を守って暮らしていたのが、豊饒神マルドゥクを奉じる妻子や年寄り達の家族だったのかもしれません。
そして、海の貿易利権の台頭と横暴に手を焼いた陸の王権が、ティアマト一族退治を彼らの陸の同族=マルドゥク一族に依頼した(買収した?)という構図も考えられます。
海の同族を滅ぼした陸のマルドゥク一族は、その後、一時は王権の上位に大抜擢されたが、(「富家の伝承」の怨みつらみ物語を見る限り)栄光は長くはなかった。風神エンリルの一族に手柄を摩り替えられ、零落していった。

想像力が逞しすぎるかもしれませんが、こ種の物語は単純な敵味方二元論では片付けられません。歴史の裏には、常に内乱や裏切りのドラマがあるものです。

 いつもながら豊かな想像力と洞察力に感服です。
さて、陸のマルドークによる海のマルドーク征圧に、物部氏による(同族とされ出雲の末裔であると、関説ではなっている)蘇我氏「裏切」をおもいだしました。
出雲大社の真裏には出雲神・素戔嗚尊(すさのおみこと)を祀る摂社があって、これを「ソガ(素鵞)社と呼ぶ。・・・蘇我は宗我とも書くが、「スガ」はとも読める。 ・・・
蘇我同族の葛城(かつらぎ)氏はヤマト盆地の西南の隅の葛城山系付近に拠点をもっていたが、彼らの祀る葛城山の神は、一言主神(ひとことぬしのかみ)で、これは、出雲神・事代主神(ことしろぬしのかみ)(言代主神ことしろぬしのかみ)と同一であった疑いが強い。蘇我氏や葛城氏の祖・武内宿禰には、神託を聞き取り、人びとに伝えるという属性があったが、それは、事代主神と同一である。事代主神が出雲の国譲りの最終決断を口にしたのは、それが、「神の言葉」そのものだからである。神の代弁者だから、事代主神と呼ばれたのである。 蘇我氏の全盛期、ヤマト朝廷の中心は、飛鳥に置かれたが、この飛鳥が、出雲神を祀る地であったことは無視できない。蘇我氏は仏教のみを信仰していたかのような印象があるが、出雲神を祀り、また、縄文以来の日本人の神宝・ヒスイを独占的に生産していった。蘇我氏の滅亡とともに、ヒスイが軽視されていったのは、偶然ではない。 藤原氏は、蘇我氏を滅ぼすことで天下を掌握したが、藤原氏が「日本書紀」を編纂した最大の目的は、このような蘇我氏のありかたを抹殺するためだった。すなわち、蘇我氏の素性は、語ることができないほど正統なものであったと考えられる。その正統なものとは、要するに、ヤマト建国に貢献した出雲の末裔、ということである。・・・・神武東征以前、物部氏の祖・饒速日命(にぎはやひ)がいずこからともなくヤマトにやって来たのに、「日本書紀」はその故地がどこであったのか、明記していない。 一般に物部氏は北部九州出身で、神武の東進以前に、先遣隊のような形で移ってきたのではないか、 とされている。・・・そのいっぽうで、物部氏と出雲の間には、いくつもの接点がある。・・・その例をいくつか挙げておこう。大物主神の「物」は、「鬼や神」を意味し、大物主神こそが、物のなかの物、神のなかの神、神のなかの神ということになるが、物部の「物」も「鬼や神」であり、」この一族はヤマト朝廷の祭祀の中心的存在であった。天皇家の祭祀は、物部氏の祭祀を踏襲していたといわれるほどなのだ。大物主神は神武よりも先にヤマトに舞い降り、ヤマトを造成した神と讃えらているが、物部氏の祖・饒速日命も同様に、ヤマトに真っ先に舞い降りている。また出雲神・大物主神は、ヤマトを造成した神と讃えられたが、「先代旧事本紀」によれば、神武東征後、物部氏は朝廷の多くの祭儀や儀式を整えるなどヤマトの基礎を築いている。


『出雲の勢力権を包み込むように楔を打ち込んだ物部氏』P187から189
天香具山命は、「先代旧事本紀」によれば、物部同族で、しかも、尾張氏の祖にあたる。その天香具山命がヤマトの建国の直後、伊夜彦(いやひこ=弥彦)神社に向かったという伝承は、無視できない。なぜなら、宇摩志麻治命(うましまぢのみこと=主祭神)の物部神社(島根県大田市川合町)と天香具山命の伊夜彦神社の位置は、ちょうど弥生時代後期、四隅突出型墳丘墓が広がっていった「出雲の勢力圏」を両側から挟み込むような形になっているからである。宇摩志麻治命がここにやって来たのは、「出雲を監視 するため」と物部神社の伝承にあるのと通じている。さらに、天香具山命とかかわる「イヤヒコ神社」が新潟のほかにもうひとつあって、やはりあたかも「出雲」を監視するかのような場所で祀られている。それが、長野県上伊那郡辰野町小野の矢彦神社である。伝承によれば、出雲の国譲り神話で、最後まで天つ神に抵抗した建御名方神(たけみなかたのかみ)が諏訪に逃れたとき、土着の洩矢神(もりやのかみ)がいてなかなか入れなかったので、この地にしばらく逗留していたのだという。
だが、この矢彦神社の位置が、諏訪神社(祭神=建御名方神)の喉元に刀を突きつけたような場所に位置しているのは、果たして偶然なのだろうか。しかも、尾張氏とかかわりあいのある「ヤヒコ」の名を負っているのはなぜだろう。
出雲の国譲りに敗れた出雲神(要するに出雲勢力である)は、結局監視される立場に置かれた、ということであろう。・・・
ここでひとつの事件を思い出すのである。それが、武内宿禰を裏切った弟の甘美内(うましうち)の話であり この男が、物部氏の祖・宇摩志麻治とそっくりだと、指摘しておいた。そして、蘇我氏と物部氏は、実際には
出雲出身だったのではないかと、勘ぐってもみた。とするならば、蘇我氏と物部氏の祖たちは、当初非情にも「物部(ウマシウチ)」が「蘇我(武内宿禰)」を裏切ったのではなかったか。関裕二 著
PHP研究所 「出雲神話の真実 ー封印された日本古代史を解くー」

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