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地球伝承 〜 古代から未来へ 〜コミュの磐座、巨石信仰 〜つぶやきサロン Vol.3〜

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コミュ内全体

5月7日あたりに、メンバー300人を突破したもようです。ただ、一時的に減ることもあるので、また300をきる可能性はあるのですが……。(汗)

さて、「つぶやきサロンVol.2」のほうも書き込み50を超えたところなので、ここに「Vol.3」として更新します。
今後の「つぶやき」はこちらにお願いします。

なお、バックナンバーはこちら。
▽「つぶやきサロンVol.1」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=11072893&comm_id=1384494
▽「つぶやきサロンVol.2」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=13306518&comm_id=1384494


写真のほうは、今回、巨石シリーズとしました。
左:奥多摩の海沢谷にあった、雰囲気のある巨石。(このあたりに巨石信仰の遺跡があるという話は聞きませんが……)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=284818551&owner_id=386027
中:奥州平泉、衣川付近にある磐神社の御神体。古代神アラハバキを祀っていたといういわれがあり。田んぼの真ん中の取り残されたような場所にあります。
http://www.ne.jp/asahi/asamasa/shako/iwate/iwa.html
右:遠野伝承館にあったコンセイサマ(金精様?)の巨像。東北によくある性神の御神体。いわゆる男性のシンボルですな。もっとリアルな造形のものもたくさんあったけど、写真に収めるのは気がひけて……。

興味ある方は、下記の私のフォトアルバムのほうに、もうちょっとたくさんの写真があります。
http://mixi.jp/view_album.pl?id=1721594

コメント(49)

    インカというと下記の太陽神との聖婚、そして天の日矛の卵生神話を想像してしまいます。

 そういえば、小説「竜の柩」高橋克彦氏にもジグラットが古代シュメールで登場した場面がありました。                 
                          記

                       神婚秘儀
(バビロンの)神は太陽の船に乗って「ジグラット(7層の聖塔、バベルの塔もジグラット)の東方の窓から入り)(井上芳郎シュメル・バビロン信仰史)とあるが、バベルの塔といわれるジグラットの各層の東南東の角は、(この日を境に日照が長くなることから、太陽の死と再生の日である」)冬至の日の出方位にある、・・・このような方位観は(古代メソポタミアにおける)、神(太陽)と日妻の神婚を意味しているのであろう。(「遊女と天皇」大和岩雄 白水社P135から136)

                     遊女の祖 衣通姫
インカのような太陽神との聖婚秘儀は行われないが、日の御子の天皇が太陽神となって、日女(ひるめ)としての一夜妻と神婚秘儀を行う。・・・各地の屯倉から新嘗に「供奉の科」を集めて12月1日に行うのが、「新室の宴」である。新嘗の夜の「あそび」(とよのあそび、とよのあかり−日の御子の天皇が太陽神となって、日女としての一夜妻と行う神婚秘儀、冬至祭)に、舞人が神妻としての「乙女を奉る」のが、当時の風俗として「礼事」であり、その神妻の「こもる」所が「新室」なのである。・・・現人神(允恭天皇)に奉られた乙女(衣通姫)は神妻としての一夜妻であり、したがって「数多も寝ずに、ただ一夜のみ」なのである。こうした一夜妻の衣通姫だから、大江匡房が書いた『遊女記』では)遊女の祖とされたのである。天照大神が冬至祭の一夜妻・日女であることからも、衣通姫は天照大神と結びつくが衣通姫は皇女または皇孫になっており、遊女の祖は、系譜のうえでも皇祖神天照大神に結びついている。これは遊女と天皇が同質の要素をもっていたからだが、それはわが国だけのことではない。
 (「遊女と天皇」大和岩雄 白水社P149〜151)

『もし、わが国の古代にピンセット型の箸があったとすれば、細部はともかくとして、これ(インカ)に類するような秘儀が聖婚の際、儀礼として行われたともみられるのである。それが、陰を撞くということの実態だったのではないだろうか。応神紀の天之日矛の物語に、(新羅の国の話として)昼寝をしていた女に太陽が、「虹の如く輝きて、その陰上を指し」て妊娠し、赤玉を生んだとあるのも、こうした推測を助けてくれるかもわからない。』『守屋敏彦「箸墓伝承私考」1993年和泉書院』)

 オカルト専門家荒俣宏氏と水木しげる氏の「水木しげると行く妖怪極楽探検隊」を読み、「アポロン・ライン」なることばを知りました。

 従来より、巨石文化はリンガを通じて蛇信仰とつながるとおもっていますが、日時計を通じて太陽神信仰にもつらなるものかもしれない、と思ったりもします。
 一方、「アポロン・ライン」と萩原 修三郎氏の「神樹」にある「北緯36度前後と東西に並ぶ鹿島、諏訪、出雲の古社」との類似性には何故か魅かれるものがあります。

           「北緯36度前後と東西に並ぶ鹿島、諏訪、出雲の古社」
 舟橋豊(「古代人の自然観」)は、鹿島、諏訪、出雲と三つ古社が(北緯36度前後に)東西に並ぶことに注目し、三社は古代の太陽の通路を示すのではないか、と興味深い指摘をしている。・・・長野県三郷村一日市場の道祖神柱は今もオンバシラとよばれており、頂の日月を留め、柱は男根になぞらえられている。私は諏訪の御柱は、・・・出発点は縄文の石棒(男根)であり、巨木巨石信仰のもつ「日時計」の要素にあると思う。(萩原 修三郎 著 「神樹」P32〜36小学館)

            「アポロン・ラインと巨石文化」
日本に限らず、世界の古代人は、おおよそ5千年前に、石と霊魂とを結びつけた不思議な文明をつくりあげた。聖地に大きな石を立てて印とするのだ。石は、神の依代となる。また死者の霊を封入する家ともなる。
その証拠が『古事記』に語られている。イザナミが死んで黄泉の国へ下ったとき、イザナギは妻が恋しくて黄泉まで追って行った。しかし、見るも無惨に腐り果てた妻の姿を見て、夫は恐怖のあまり地上へ逃げる。この世とあの世との境にある黄泉(よも)比良坂(ひらさか)まで逃げたところで、イザナギは千引(ちびき)の岩を立てて道を塞いだ。そしてふたりはこの石の両側で相手を直接見ることなく会話したという。
この神話は、巨石信仰の本質をみごとに伝えている。まず、あの世とこの世の境に立てた石であり、この石を通じて死者と生者とが対話することが注目される。また境に置かれた石は、のちに賽の神とか道祖神と呼ばれ、安全を守り多産を実現する霊石ともなる。・・・ギリシャにはペロポネソス半島とエーゲ海を中心に、たくさんの聖地がある。デルフオイ、アテナイ、デロス島、ロードス島などだ。フランスの古代聖地研究家ジャン・リシェは、こうした聖地を探訪していて、ある事実に気づいた。それは、各聖地が一本の線でつながることだった。おまけに、どの聖地も神託や予言が行なわれるシャーマンの土地だった。人間と神が対話できる場所こそ「聖地」なのだ。この発見をもたらしたのは、またしても夢だった。リシェは聖地の一つアテナイで不思議な夢をたてつづけに見るようになった。かれはそのとき、リュカベストと呼ばれるピラミッド型の丘に滞在していた。問題の夢を見たのは、そのピラミッドでだ。当時リシェの心にはひとつの疑問があった。アテナイから次の聖地デルフォイへ旅するとき、旅人はデルフォイの入口でかならず別の小さな聖地(それもアテナイの神を祀つたところだ)と』対面する。まるでふたつの土地に深い関係が結ばれているようではないか。これはどういう理由によるのか、と。
夢は、その疑問に答える形で展開した。リシェは夢の中で、大きな石像の背後をみつめていた、ふいに、その石像が時計まわりにまわりだし、顔を向けた。それはなんと、光と太陽の神アポロンであった。リシェはまだ夢の中にいる。こんどは地図をひろげていた。地図をみると、デルフォイとアテナイには、ともに大神アポロンを祀る神殿があるではないか。この二地点に線を引き、ふと先を延長させてみた。すると、線がデロス島の上を通過した。ここはアポロンが生まれた島だ。さらに延長すると、アポロン崇拝の中心地ロードス島にぶつかる。そのほかの線は、パルナッソス山やカルメル山などギリシャでもっとも神聖な山々をもつないでいた。こうして史上有名な聖なるライン「アポロン・ライン」は発見された。のちにこれをヨーロッパ側にも延長させると、フランスの有名なモン・サンミシェル、イギリスのセント・マイケルズ・マウントなどにぶつかった。ミシェルあるいはマイケルも光の天使ミカエルに由来し、その源はアポロン神にあったのだ。だから、アポロンの線なのである。
近年、このアポロン・ライン上では、神がかりする巫女、啓示を受けた聖人、高名な芸術家、オカルティスト、そしてUFOまでもがすさまじい比率で出現していることが分かった。以来、ヨーロッパの聖地研究は従来の考古学や民俗学とはまるで別の、霊学的段階にはいった。「水木しげると行く妖怪極楽探検隊」荒俣宏角川書店P240・246〜251
  巨石文化関連で日本にピラミッドがあり、それは神武天皇ならびに太陽神にもつらなるそうです。
 広島近くの方でこのピラミッドについてご存知ないでしょうか。           
             「日本のピラミッドと巨石文化」
(広島県の奥の庄原というところにそびえる、通称日本のピラミッドで神武天皇の陵墓ともいわれる)葦嶽山の発見と水木先生の不思議な予知夢の話を聞いて、飛びあがったのも当然だろう。おまけに、ここと三次の比熊山は直線で結べる。それも北東30度線、つまり夏至の日昇線上に並ぶのだ。その三次で江戸時代に多数の妖怪が出現したということは、霊の活動が活発だった事実を裏付ける。つまり、霊能を一気に高めるアポロン・ラインというリシェの発見とまったく一致する。ついに日本でもアポロン・ラインがみつかった。・・・旧日本軍の協力者としてエジプトのピラミッドを実地に見分けした神秘思想家・酒井勝軍は、昭和9年3月、日本にかならずピラミッドの起源があるとの確信をもち、かねて国内の山を調査中であった。あるきっかけで神武伝説にいろどられた葦嶽山を知り、折りからの雨をついて登攀を敢行、ついにピラミッドを太陽神崇拝のための巨大な祭壇だと結論した。・・・古代人はなぜ、これほど巨大な岩を組上げてまで、ピラミッドをつくらねばならなかったのか。鍵は、方位と霊魂とにある。このふたつこそ、古代巨石文明の基本にあった知恵の原点だったのだ。
聖地ではすべての人間に霊能が授かる。そして天啓や神託を得ることが可能となる。それこそが古代人が聖地を築いた真の理由だったのだ。
「水木しげると行く妖怪極楽探検隊」
 荒俣宏 角川書店P246〜251
ちょっと前まで「レイ・ライン」と呼ばれていたものと、ほぼ同じものでしょうか。
諏訪と鹿島という、記紀神話としては敵対関係にある神を祀る神社が、直線で結ばれていることに、逆に魅力を感じます。

同様のものが、出雲大社、元伊勢、竹生島、富士山、寒川神社、玉前神社、……にもあるようです。
http://www.ley-line.net/

磐座(いわくら)として、個体の依代でも充分にパワーを感じるものと、列石としてラインをつくってパワーを生み出すものと、受ける印象が多少違うような気がします。
個体でも強い石を複数並べれば最強なのでしょうけど、なかなか揃えられない場合も多いのでしょうね。

自然石の磐座が多い日本の巨石信仰の中にあって、飛鳥(明日香村)の亀石や猿石は、ちょっと異質な感じがします。
これはイースター島のモアイなどと同系列の巨石文化で、古代オカルト戦争に利用された兵器なのだと、行者関係の本で読んだことがあります。石像の頭や顔の向きをどちらの方位に合わせるかで、敵地に大地震や台風などの天変地異を引き起こすことができるのだとか。
ちなみに陰謀の秘密結社、フリーメイソンの古代史的起源をここに置くむきもあります。「メイソン=石工」の意味からくる、こじつけっぽいですけれど。(現在につながるフリーメーソンの起源は、意外と新しいですから)

あんまり悪用すると、人を呪わば穴二つ……のような気がしますけどね。遁甲や風水などを兵法として駆使した古代中国が、いったん滅びて、世界史の表舞台から後退してしまったのも、そのせいではないでしょうか。げっそり
やっぱり地球エネルギーの流れは、聖地として謙虚に頂かなければいけないのです。
 6月24日6の書き込みにあったインカのTV放映でジグラットに相当する石像建築物で王が太陽光線の方角で暦を知る、とあったように思います。

 太陽信仰とピラミッドともいうべき巨石建築物との結びつきは、洋の東西、北半球・南半球を問わず、普遍的であることを感じます。

 インカでもアポロン・ライン、レイ・ラインのようなものがあればさらに興味深いのですが。


勝手ながら、猿石・亀石にはササン朝ペルシャの香りが高く漂っていると感じて止みません。亀石は柱の礎石でしょうし、猿石は庭の置石っぽいし。噴水のある庭に似合いそう。
でも、どうして日本から遠く離れたペルシャの香りが色濃く残る文物が、日本にあるのか不思議でした。
この疑問には、小林惠子氏の一連の著作から解けました。突厥を媒介してペルシャ人が結構日本に来ていたんですね。
 ※『書紀』崇峻元(588)年是歳条に、百済が僧侶を送って仏舎利などをもたらしたことが見える。ついで寺工の太良未多と文買古子、以下鑪盤(相輪の鋳造)博士、瓦博士、畫工などを送ってきたとある(井本英一氏によると太良未多はペルシャ人名のダーラー・ミツルダードの写音だとする)。・・・588年といえば隋が陳を滅ぼして中国を統一する前年にあたる。すでに騎馬民族の雄である西突厥の達頭(タルドゥ)が活躍をしている時代である。私の考えでは達頭は百済を経て来倭して聖徳太子と称される人物なので、強勢になった隋に備えて百済を通じて倭国への布石を打つために、ペルシャ系の職人を送ったと考えられる。(『西域から来た皇女』祥伝社 小林惠子)
※ また推古20年(612)是歳条には、全身に白斑がある路子工なる者が百済から朝廷の招聘もないのにやってきたとある。路子工という名は井本英一氏によれば、ルスタムの写音であるという。このような例は稀ではない。(同上)
圧巻は、ササン朝王族が援助を求めて来倭したということ。途中で生まれた皇女が日本では山辺皇女(大津皇子の恋人)。大津皇子と山辺皇女の運命は、政敵の涙を誘うほどのものでありました。
純様。

おっしゃるとおり、飛鳥の文化はペルシャ系の香りが強いもので、それ以降の平安時代とも、それ以前の縄文や弥生とも、全く異質な感じがします。この異質で特殊なものが、日本建国の礎を築いたというあたりが、日本という国の数奇さであり、この数奇さに私はリアリティを感じています。

聖徳太子は騎馬民族経由のペルシャ系である!というのは、私の中ではすでに公式のようになっています。中丸薫氏の著書からの影響ですが、中丸氏の聖徳太子と天武天皇に関する持説は、小林惠子説からのパクリだという噂もしきり。
しかし「日本という中央集権国家が形成される過程で、さまざまな血なまぐさい国際陰謀があった。列島はそれに巻き込まれたどころか、日本という国家そのものが、この国際陰謀によって誕生したといっても過言ではないのである」(『古代天皇家と日本正史』P7)とするあたり、もっと徹底して、枠組みを超えた流動的な歴史観です。
まず日本ありきで、後に海外と交流したのではなく、そもそも当時は今の日本人が考えるような「日本」などという枠組み(概念)は存在していないのであり、何者が出入りしていたって不思議はないのです。

一方、聖徳太子と秦氏が景教(中国に伝播したネストリウス派のキリスト教)に縁が深かったことから、ユダヤ民族系とする説も以前からありました。
『謎の出雲帝国』の富家の伝承では、出雲神族はシュメール系だと言いながら、もう一方で拝火教(ゾロアスター教)だと言い、さらに現代の研究者の中には、やはりユダヤの風習に似ているという人もいます。
シュメールも、ユダヤも、ペルシャ(ゾロアスター教)も、騎馬民族も、地域的に近いとは言え厳密にはみな別々のはずですが、考えられることは、それらが日本列島に到達する過程でミックスになっていることです。
それをさらに拡大解釈すれば、モアイ像と亀石がどこかでリンクしていることも考えられる、……かもしれませんが、まあ、これは私の自説ではないし、ついでのネタなのでどっちでもいいです。ウッシッシ

聖徳太子の場合は、思想的にも、実は仏教よりもゾロアスター教と陰陽(易)だった、というのも中丸説でした。
ゾロアスター教はどこまでいっても融合することのない厳格な二元論ですが、陰陽は融通無碍な流動哲学です。「和をもって貴しとする」というのは、自らのルーツであるペルシャ・ゾロアスター教の敵対二元論を超克するがための、陰陽和合のタオ(道)だった。これは本邦初公開の私の自説。聖者は自己のDNAを超克して進むのです。

実はこれだけでひとつのトピックを立てたいくらいなのですが、聖徳太子の周辺には「まだら」に関するキーワードが多いですね。斑鳩(いかるが)は古代ペルシャ語で「まだら鳩」の意とか。
ゾロアスター教は鳥トーテムと縁が深かったようで、鳥葬の習慣があったし、羽根の生えた太陽のモチーフもあります。しかし、これに「斑(まだら)」が加味されるのは、陰陽の影響ではないでしょうか。
聖なる神の鳥といえば、白色とか金色とか、きれいな単色を連想しがちですが、世界の実相は陰と陽のミックス(和)である、……というところで、陰陽の入り混じった「斑」になったのではないか? これも、私の自説。

巨石とは話がズレました。
 巨石文化からははずれたつぶやきでありましたが、コメントを加えていただきありがとうございました。巨石から発せられる独特の雰囲気は聖なるものですよね。酒井勝軍のように日本のピラミッド研究者にも惹かれております。

 ゾロアスター教では、斑を神聖視する理由も興味深いですね。。

 青い鳥は西方の崑崙山に住む西王母の使いの鳥だそうですね。西王母は、メソポタミアのイナンナやペルシャのアナーヒーター女神に源があるとみられているし。万葉集では鴨で青い鳥を暗示するとのことです。(同上書 小林惠子)
巨石の話にもどりますが、イギリスのストーン・サークルやストーン・ヘンジは、柱や壁のように起立しているものが多いけれど、(写真:左&中) 日本の磐座はドッカン!と自然石のかたまりが鎮座しているものがほとんどですね。これは山を御神体とする信仰と同根で、山の代わりに巨石なのだという説があります。だから、東北のアラハバキ関係と思われる巨石を御神体とする古代神社(神社跡?)には、「山神」という碑が立っていることが多いです。(写真:右=岩手の磐神社の石碑)
つまり、日本の巨石信仰は、大雑把に言ってピラミッド思想に通じるという点で山神信仰と同類なのでしょう。これに対して、石柱信仰、石壁信仰とでもいった伝統は日本には見当たらず、諏訪の「御柱」のように柱状のものは木材になるようです。東北の「コンセイ様」も、リアルな男根状の造形は木彫りです。これは、単に石工の伝統がなかったからでしょうか。いまひとつ腑に落ちません。「形」と「材質」の結びつきに対する、何かの信仰か嗜好があるような気もします。

そう言えば、イスラエルの「嘆きの壁」などという信仰形態も、日本に限らず、他の民族や宗教では思いつかないものではないでしょうか。いくら「日ユ同祖論」で古代ユダヤ人が日本に渡来しているからと言って、これは異質ですね。
これに対して、森の大樹に抱きついて癒されたり、精霊と対話したりというのは、ケルトやインディアンをはじめ世界中の森林地帯の原住民に共通するものでしょう。

日本で特殊だと思われる巨石信仰の形態は、鹿島神宮の「要石(かなめいし)」のような、地上にほんのちょっとしか露出していないけれど、地下が巨大だと言い伝えられるものです。同様のものは、熊野奥宮の玉置山の白石社にもあります。
http://www.bokuden.or.jp/~kashimaj/kedaka01.htm(鹿島の要石)
http://tamakizinjya.hp.infoseek.co.jp/tamakimein.htm(玉置の玉石)
地下に何かパワーのあるものを埋設するのは、土地エネルギーを増幅したり浄化したりするための、日本の“古式”風水術なのかもしれませんね。(「風水」は中国産の自然エネルギー活用術ですが、和式にもそういう術があったという喩えです) たとえば、建物の地下に木炭を埋めるという方法は、今ではだいぶポピュラーになりましたが、昔から寺社で行われていたことだと何かで読みました。

さほどポピュラーではありませんが、『カタカムナ』という日本の不思議技術文献には、一方でアンテナのようなものを立て、もう一方で地下にアースするものを埋めて、エネルギーを浄化したり増幅したりする技術を見うけます。これなどは世界的に見られる古代信仰である「柱」と、古代日本の「埋設」テクノロジーの併用ではないでしょうか。天に向かい、天から降ろすエネルギーと、大地に根ざし、大地から引き上げるエネルギーの、合流循環思想です。

世界的に見て、西洋や中東や東南アジアの寺院や教会の多くは、先っぽが天に向かって尖がって延びていく“塔”の形が多く、あるいは天から雫が堕ちてきたような屋根の形で、垂直志向と言えそうです。それに対して日本や中国は横長に安定した建造物が多く、水平志向と言えるでしょう。
とは言え、『カタカムナ』が失われた縄文テクノロジーを伝える復古文献であったとすれば、古代日本こそが世界的スタンダードである垂直志向の元祖だったのかもしれません。
その証拠に、カタカムナが伝える良質の土地エネルギーの基本形態は、山の尾根の稜線のように、位置エネルギーの高いラインですが、中国の風水では、なだらかな斜面の中腹で、三方を囲まれて抱きかかえられるような場所です。
カタカムナは垂直志向で、陽性で活発な男根型エネルギーだとすれば、風水は子宮回帰するような“癒し系”を求める女陰型と言えるかもしれません。 (風水術では、実際に「竜穴」と呼ぶ吉相の土地を女陰に譬えています)
なんだか実際の民族性と逆のような気がしますが、だからこそ陰陽和合する反対側のものを求めるのかもしれません。あるいは風水は子孫繁栄のための現世利益として、吉相の「墓」を築くための意図がベースにあったのに対し、世界の柱信仰は“あの世”の神と通じるための神殿造りが目的である、という違いもあったかもしれません。
 「縄文時代の巨木やストーンサークルも、やはり世界の中心にある世界樹に属する」と同根である、と下記の説はのべています。地下と天を結ぶ龍にとってのアンテナ、神をおろす拠代、として世界樹、宇宙樹、と考えられます。
 さて、中国の建築物は、(一時期盛行した仏教の時代の仏塔を除いて)四合院造りに代表されるように垂直志向が希薄です。一方、日本の建築物は仏教建築が主流とはいえそれ以前の出雲大社の高層建築を考えると、基層においては(西洋とは異なる)垂直志向があったように考えていますが、いかがでしょう。     
                       記
       「宇宙樹とチガヤ・茅から心(しん)の御柱(みはしら」

射日神話の起源を解くためには、この神話と分かち難く結びついている太陽の昇降する樹、つまり宇宙樹の起源について解明しなければならない。
宇宙樹とは天地創造の混沌たる世界に、まず一本の巨木が生じ、世界はこの巨木により体系だって構築されたとする神話的樹木である。天と地とを結ぶこの巨木によって、あらゆる生命は生み出され、世界の秩序と安定も維持される。・・・宗教が生まれる以前には、宇宙樹が人類の精神文化の主導的テーマであったと考えられており、縄文時代の巨木やストーンサークルも、やはり世界の中心にある世界樹に属する。・・・この神話的な神樹、じつは原初的には水辺の草であった可能性がある。・・・「古事記」によると、天地開闢のとき・・・「葦(あし)牙(かび)の如く萌え騰(あが)る物によりて成れる神の名は宇摩志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこじの)神(みこと)」であるといい、混沌たる宇宙に、春に水中から出現する微々たる植物である葦の芽を神格化して、宇宙の中軸にすえている。・・・江南の古くからの稲作民であるミャオ族も典型的宇宙樹を今日に伝承する民族である。・・・(貴州省黔東南から広西チワン族自治区大苗山に移動後、広場にたてた1本の)柱こそ宇宙を秩序づける最初の柱である。はしらの上には木彫の鳥が真東を向いてとまり、春分、秋分の太陽を迎える。柱の中ほどには、水稲耕作に欠かせない水牛の角、また柱には昇り龍、降り龍を彫刻している。龍は春分になると地中の水脈から天に昇り、秋分になると地中に帰る。去来する龍も、水牛も、雨をもたらす水神としてミャオ族の崇拝の対象となっている。・・・ミャオ族の伝承では天地創造のとき、この世で最初に生まれた植物は、・・・(始祖が誕生した)楓香樹とチガヤであるという。・・・正月の儀礼の中心は、鳥がとまった柱であり、その柱の根方にチガヤを挿して稲の豊穣を祈る。チガヤはイネ科の植物で、生命力が強く根の深い丈夫な植物である。ミャオ族はチガヤをあらゆる宗教活動に用いるが、それはチガヤが生命力を象徴するばかりか、イネそのものを代弁するからである。中国の社の起源は、茅を束ねた‘‘束茅‘‘にあるとする考え方がある。紀元前2700年から1900年ごろの、長江下流域の良渚文化に玉器・があり、このは方形で中央に円孔がある。円孔は、ここに茅を挿すためのもので、茅こそ神を迎える本体だったのである。・・・また、「周礼」によると、「蒼壁を以って天に礼し、黄を以って地に礼す」とあって、は天地四方を祀る玉器のうち、地を祀るものであることがわかる。じつはミャオ族は正月の柱祭のとき、柱の根方に茅を挿して酒を注ぎ大地の祖霊に飲ませる。村の代表が、束茅を手にして先祖の魂を柱に呼び、先祖に豊作を感謝する。・・・には太陽を呼び出す鳥の紋様が刻まれ、この図形は浙江省余姚県の河姆渡遺跡出土の遺物にも原形として見出されるが、最近では河姆渡よりもさらに古い長沙市南托遺跡や湖南省黔陽県高廟遺跡からも発見されている。いずれも紀元前5000〜4000年にさかのぼる稲作初期の遺跡であり、長江文明の遺跡である。・・・祭壇形式の祭場は、土壇に、茅から柴に、柴から樹木、あるいは鳥竿、神竿へと変化していった。これらは宇宙樹そのものであり、朝鮮半島の鳥竿や堂山、モンゴルのオボ、北方シャーマンの木、日本の伊勢神宮の「心(しん)の御柱(みはしら)」のような宇宙の中軸をつぎつぎに展開していくことになる。
(萩原 修三郎 著 「神樹」P59、62〜65小学館)
先週、出張で初めてラオスに行きました。
名物のフランスパン(バケット)を露天で朝飯に買った際、立ち寄った寺院で、ナーガ(龍)がお釈迦様を雨風から守る像がありました。

 「八大龍王の聴聞」*1と思いきや、龍は七匹なのです。
ところかわれば品変わる、ということなのか、とおもいながら
かえりました。

 タイ東北部、ラオス(ビエンチャン)でもナーガは健在でしたが、顔つきは、(中国的な蛇よりも)ワニに近い印象をうけました。*2

 インドシナ半島ならではの龍の表情でしょうか。

*1 八大竜王の聴聞
ナーガ竜は、これもインダス文明以来の鳥神ガルーダ族(伎楽の迦楼羅かるら)と仲が悪く、つねに争い、だいたいはナーガ竜族のほうが優勢だった。ところが、インド・アーリア系の神々、シヴァ、ヴシェヌらが干渉し、「ガルーダはナーガを常食にしていい」と裁定する。*9ナーガ竜に同情したジームータヴァーハナ王子(ゴータマ・ブッダの前生(ぜんしょう))が一身を犠牲にしてこの契約を破棄させ、ナーガ竜を救った。そんな因縁もあって、ナーガ竜は新興の仏教と親密だ。ゴ−タマを瞑想の場、菩提樹の下へ案内したのもナーガ竜夫妻だったし、ゴータマの瞑想中、暴風雨を、ナーガ竜は頭をコブラのように天幕状に広げて防いだ。ゴ−タマが法華経を講じた時も聴聞した。仏教ではこの様子を「八大竜王の聴聞」という。ナーガ竜は、南インドから東南アジアへと、その勢力をひろめていった。
(那谷 敏郎 著「龍と蛇ナーガ」集英社P66)

*2 日本の金毘羅とワニのナーガ
インドの神話にでてくるナーガ王は、地下にいて、その情欲の熱でもって、川や湖の水を煮えたぎらせる。すべての植物は枯れてしまい、万物は死ぬばかりである。そこへ、正義の神クリシュナが登場し、ナーガ王を征服して、地上の富を守る・・・というストーリーである。このナーガの正体について、インド研究家で、畏友の伊藤武は次のように」推理している。「それはクロコダイルが特殊進化したワニで、クンビーラのことである。オスワニの鼻の先が壺のような形をし、体長は7メートルにもなる。昔はガンジス水系を中心にして、メコン河や揚子江の中流にまでウヨウヨいた。」(『身体にやさしいインド』講談社)このクンビーラが、釈迦(シッダー)牟尼(ルタ)一族のトーテムであったこと、日本語では金毘羅となり、航海の安全をまもる神として、四国の琴平町に祭られているなど、伊藤はなかなかの博識である。
(池上正治 著「龍の百科」新潮選書P39〜40)

 タイ東北部でみかけたナーガは健在でしたが、蛇よりもワニに近い印象をうけました。

 龍蛇は、インドシナ半島と中国とでは顔つきが違うようです。

 写真は、タイで見かけたパノムルン遺跡*のワニ顔のナーガです。

 *パノムルン遺跡
ブリラム市南方、国道24号と219号の交差点の西南20キロの海抜383メートル程の残丘上に有名なパノムルンWAT PRASAT PHANOM RUNG寺院がある。パノムルン寺院は、ほぼアンコールワットと同時期の12世紀はじめにスリヤヴァルマン2世によって建築された。パノムルン寺院の岡を東にくだると、最後の段丘上、道路北脇に方形の溜池が広がる。西面と南面は段丘を掘りきり、東面と北面は低地に土手をきずいている。この溜池ワットパノムタンクは1981年に水利局によって浚渫され、記録上では80万立方メートルの容積をもち、16ヘクタールの灌漑が可能であるとされる。
(「東南アジアの歴史」石井米雄編集責任 『大陸東南アジア農業のインド化』 桜井由躬雄 弘文堂P100)
その池って、水が必要なときは土手を崩して辺り一帯の平地に水を供給するための池ですか? 王朝を支えていた技術みたいな・・。 
 アンコール国の崩壊と過度の発展ならびにインドシナ半島の国家と日本との往来

 純様ご指摘のとおり、(参考)の《注》によれば、アンコール国を支える技術は、貯水池灌漑であったそうです。   (「土手を崩して水を供給」したのかについては不明です。)    しかし、古代ローマ同様、過度の発展により人口が増加したこと、およびアユタヤ軍の侵入もあり灌漑実務を担当する技術者が急減し浚渫不可能になったこと、これらがアンコール国崩壊の原因ときいています。

 いきすぎた技術はどこかで終焉を迎えることを示しているようで、「おごれる平家は久しからず」ということばをおもいおこさせます。
 また、アンコール・ワットは、日本では「祇園精舎」とみなされ16世紀後半には日本からの参拝もあったようです。さらに、アユタヤ王朝につかえた17世紀はじめの山田長政の事例にもあるように日本とインドシナ半島国家(東南アジア)との交流はさかんであったようです。
 
 日本と東南アジアとの往来について今まであまりにもしらなすぎた、という気持ちをもち、遅まきながら東南アジアの歴史を調べだしたところです。
 

(参考)
「複合社会発展の時代」
A初期複合社会
集約的農耕民の集落間に、生産性の差が生じてきた時、強い集落を中心とした、地域的まとまりが生じてくる。いわゆる「首長国」‘chiefdom‘と言われる政治形態が生れてくる。メコン川中・下流域でも、こうした地域的なまとまりが各地に見られる。まずラオス中部のバンアン、メコン川をはさんでタイ側に多く展開する、いわゆる「堀に囲まれた」‘moated‘遺跡郡〔たとえば、ムン渓谷のバン・ムアン・ファンBan Muang Fang〕など、考古学的証拠として、よく残っている。これらの遺跡は、紀元前300年から紀元後300年頃と推定されている。

B後期複合社会
 社会の複合化が進み、いわゆる複合首長国から、単純国家といわれる政治形態を持つ社会が出現してくる。多くのそうした社会の特徴である「モニュメント」が造られ、それらが現在遺跡として残っている。特にこの地域は、東南アジアで最初の「国家」が出現したところとして知られ、重要な遺跡が多い。たとえばメコン川デルタ地帯のオケオ、アンコール・ボレイ、ラオス南部のチャンパサック州のワット・プー(Wat Phu)を中心とする地域などが重要である。オケオは大体紀元後2〜6世紀頃と考えられており、周辺地域は紀元後7世紀前後のアンコール国家の確立まで、場所をかえて都市が発達していった。

「国家的発展の時代―アンコールの成立から崩壊まで―」
メコン川中・下流域は、アンコール国の中心となった地域で、この時代の遺跡が集中して存在している。特に、アンコールの首都のあったシエム・リアップ(Siem Reap)には(1113年スリヤヴァルマン2世が建設を始めたヒンドゥの宇宙観を象徴したビシェヌを祭る神殿である)アンコール・ワット寺院、アンコール・トム(1181年即位したジャヤヴァルマン7世が大乗仏教の信仰のもとに築いた大都城)の都市といった、壮大な石造建築物が集中している。アンコールは王による紀年表が確立しているが、それによれば、最初のジャヤヴァルマン2世が即位したのが802年、最初のインドラヴァルマン3世が1296年に即位しているため、約500年近く国家を築いていた。《注》
 しかし、多くの考古学者は、アンコールに先立つ時代として、7世紀から9世紀にかけてを先アンコール時代と考えており、これをチェンラ時代と呼ぶ考古学者・歴史学者もいる。この時代の遺跡もメコン川中・下流域でみられる。
(世界の考古学? 東南アジアの考古学 坂井隆・西村正雄・新田栄治著 同成社P133〜135)

《注》開発の限界に達したアンコール平原は臨界点に達する。バライ(貯水池)や水利網は堆積した泥で埋まり、維持が不可能となった。乾燥化が始まり、土地のラテライト(平原では熱帯の灼熱の太陽と多量の雨のために土壌中の養分が流されて、鉄とアルミナだけが残った貧栄養の土壌)化、塩害などが生じてきた。農業基盤の崩壊である。14世紀後半からアユタヤ軍の侵入が開始され、1434年ついにアンコールは放棄された。
(世界の考古学? 東南アジアの考古学 坂井隆・西村正雄・新田栄治著 同成社P130)
AKKIY様> 解説ありがとうございます。

 メソポタミアの都市国家が廃れて行った理由やアンコール平原の都市が廃棄された理由など、食糧生産の面から切り込んだ考察が知りたいと思っておりました。

 日本と東南アジアの関係も深そうですね・・・。
 7月11日の14、7月15日の19、管理人様記事に関連して、レイ、ストーンヘンジの本を読みました。

 著者は、「科学と擬似科学の違いを平易に説いている。安易に宇宙人や古代の超文明などをもちだす態度を批判し、客観的に過去の人類の叡智とその営為の尊さをのべる」と紹介文にあるようにあ天文学的配列への限定的な賛成意見、レイについての否定的な意見を紹介します。

 様々な意見があるということの例証でしょう。
それにしても内外をとわず宇宙人、超文明に興味をひかれる人々が多いこともまた事実のようです。
                  「ストーンヘンジ」
ストーンヘンジはそれゆえに、想像や推測を呼ぶ豊かな源泉であるが、その想像のうちのいくつかはとうていありえないものである。たとえば、ある人々は古い石のサークルや塚、建造物、また遺跡すべてのなかからある一定方向の列の姿を見出している。が、その人々にはどうしてもそのように見えるのである。これらの想像上の直線の列はレイと呼ばれるが、このレイを探し出そうとやっきになっている人たちは、この土地のかくされた過去の秘密を表しているのだと説明する。つまりストーンヘンジは「大地の気の流れ」を発生させるセンターとして機能しているという考えからこう主張しているのである。レイはずっとUFO航行の手助けをしつづけているというのだが、科学者たちは、レイが存在するという説には何の根拠も発見できない。この説の出張者たちがいっていることは、たまたま偶然にさまざまな物や過去の遺跡が、一直線に並んでいることがわかったというだけである。・・・
(ジェラルド・)ホーキンズは、コンピューターを駆使して、遺跡の配置にしろ、太陽と月の運行との関連性を計算した。・・・「それ(コンピュータ)を使って年月を数えることによって、ストンヘンジの僧たちは、月の動きを正確にたどり、月食や日食といった特別に危険な時期はいつになるのかを予測できたのである。実際、(直径90m、56個のたて穴からなる第餞の)オーブリ円は天文学上の出来事を予言するために用いられていたのである。」・・・イギリスの天文学者フレッド・ホイルは、ホーキンズの研究をよく検討したうえで、第餞(紀元前2800年ごろに始まったものと思われ、56個の坑の輪を囲む円形の溝と土塁からなる。北東側で溝と土塁はとぎれ、内側への入口が開かれている。この通路の外側30mほどのところに直立石であるヒール石《かかと石》―高さ5m、重さ35t―がたてられる。ヒール石の名は、夏至の太陽が昇るときにこの大きな丸石の後ろにちょつとの間隠れることによるともいう。)配列はでたらめなものではなく、古代の天文学的観察により、慎重に位置づけられているという点には同意した。しかし、第?期(紀元前2000年ごろからの80本ほどのブルーストーン《青石》―ストーンヘンジから北西に220kmほど離れたウエールズのある産地から運ばれた―の柱《立て石》三日月形もしくは半円形に2列に立てる)、第?期(紀元前1500年ごろ、ブルーストーンを取り除きサールセン石の5つのトリリトン《三石塔》という40〜50tからなる二つの立て石が10tもあるリントル《まぐさ石》を支えるアーチ群が馬蹄形を形成し、その開口部は夏至の日の出の方向を指している)も同様の天文学上の目的で解釈できるという点には反対している。ホイルは、ストーンヘンジの餞から?期までのあいだには、主流をなす知識の傾向にも変化が表れ、日食や月食の予知といった知識は失われ、新たな石の配列は別の、まだ発見されていない理由によって作られたものではないか、と仮定している。・・・
ともかく、天文学的配列説が、他の説を一掃する決定的な答えとはみなされていないことは理解しておこう。・・・ストーンヘンジに関する本当の謎は遺跡そのものよりも、その建造した人々のほうである。・・・彼らは高い知性と技術的能力、ある種の輸送手段をもっていた。それからある時代をこえると天文学、設計、記念建造物の構築といった知識が付加された。しかし彼らは文芸資料やいわゆる文明の程度を示す美術などは残さなかった。ストーンヘンジが固く守っているもの―つまりこれをつくった人々の知性、これこそが謎なのである。(「超古代史の真相」東京書籍 C・カズー/SスコットJr著 志水一夫訳 P164、166〜167、179、180〜182、187)

書き込み25、27の純様。

御存知かもしれませんが、メソポタミアのシュメール人の農法はまさに灌漑農耕であり、ユーフラテス河の季節の氾濫によって溢れた水を運河を通じて溜池に貯え、乾季に畑に灌漑する溢流灌漑だったそうです。
この方法で、初期王朝時代末期(前24世紀中頃)には、大麦で76.1倍の収穫倍率をあげていました。これは現代の農耕と比べても、驚異的な数字らしいですね。
それがウル第三王朝時代(前2112〜2004頃)には、30倍に倍率が落ちてきます。原因は土壌の塩化ということです。
以下、『シュメル 人類最古の文明』小林登志子(中公新書)より引用。

ユーフラテス河は砂漠の大地を侵食しながら土砂をシュメルに運んで来たので、石灰分(炭酸カルシウム)を多く含んでいる。畑に水を入れた後で、排水を充分にしないでおくと、高温のため水分が蒸発して炭酸カルシウムと水が反応してできる水酸化カルシウムが台地を白く覆うことになってしまった。これが土壌の塩化である。

近代以前の多くの社会においては穀物の生産量は国力そのものといっても過言ではなく、土壌の塩化による穀物生産量の減少はやがてシュメル人社会をその内部から衰退させて行くことになる。

大地が無限に豊かではないことを人間は知るべきであろう。多くの収穫を得ようとして無理な農業経営をすると、大地は疲弊する。二十一世紀の発達した農業技術をもってしても塩化した土壌を改良することは容易ではないという。
(P59〜61)


もっとも……、
小説『竜の柩』では、エイリアン(宇宙人)の超技術を授かったシュメール人が、セム系人種によってメソポタミアから駆逐されてしまったので、驚異的な農耕技術が失われて収穫がガタ落ちした、というような、九鬼虹人先生のスバラシイ?推理が披露されてました。
農耕の収穫が落ちたからシュメールが衰退したのか、シュメールが滅んだから農耕技術が失われたのか…?? 竜族エイリアンに指導されたシュメール人は、高度な農耕技術を持っていたのに、牛族エイリアンに指導されたセム系人種(『竜の柩』ではアッカド人)はそれを持っていなかったのか? それでいて、竜族エイリアンも牛族エイリアンも、本来は同族であるとしています。
あんまりマジにならなくていい小説のようです。

書き込み28のAKKIY様

ストーンヘンジなどの石の配列や、石の加工に関しては、謎が多いですね。謎だから、心惹かれるのかもしれませんが。

配列に何か意味があると思ってしまうのは、魔方陣のような、なにか“おまじないパワー”のようなものを期待するからかもしれません。

私は石の素材そのものにパワーを感じるので、いずれそういうエネルギーも、ある種の科学で究明される日も来るのではないかと思ってます。霊の証明などより、よほどとっかかりやすいでしょうし。
古代では、鉱物を削った粉を薬にして飲んでいたこともあったし、現代でもそういう代替医療の分野(ホメオパシーのような)はありますものね。
書き込み29のAKKIY様 

 テレビで見たことがあるのですが、塩害を防ぐ方法として、畑に一時水田のように水を貯め、表層近くの塩分を溶かした後に排水する。というものがありました。(現在のインドで行われているような方法)農業の専門家ではないので、この方法が何年間程度有効なのかわかりませんが。ユーフラテス川のような水量が豊富な地域では、塩害をかなりの期間防げたはずと思っておりました。
 ご指摘があったとおり、河の水の成分のことも関係してくるのですね。。なるほど。
 高橋説のように宇宙人が農耕や建築等の超技術をシュメール人に授けたとした場合、それが文字による伝承となっていないのが不思議です。

 文字に残すと技術がぬすまれたり、改竄されるから、という説明(「謎の出雲帝国」における出雲王朝直系である冨家の一子相伝の伝承も口頭のみだとありました。)もありそうですが、やはり宇宙人説となる証拠が記録なり伝承で見ることができないと、にわかには信じがたいとおもいます。

 クメールのアンコール王朝が石像寺院・灌漑・貯水池等の高度に発展した技術をもちながら、新興のアユタヤにほろぼされた、という図式はシュメール人が、セム系人種(必ずしもアッカド人ではなく、周辺の民族)にとってかわられたことにも共通する図式であるように思い生ます。

 その意味で、古代4大文明の国々中、中国は常に世界史のどこかに顔をのぞかせるところが良くも悪くも特長的です。
コミュニティトップの名言録に、宮沢賢治の詩の一節を加えました。誰か日本人の言葉で締め括りたいと思っていたので、ひとまずこれでよし手(チョキ)ウッシッシ

個人のトップ写真も替えました。初めてチワワ犬ラルフ以外です。(左写真)
いつぞやの巨大低気圧の気象写真ですが、これも宮沢賢治の詩からインスパイアされて、日記に載せたところからの抜擢です。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=575506310&owner_id=386027
賢治の故郷に行ってきたので、なんだか憑依されてるかも……。

写真中=羅須地人協会の庭にある、賢治の像
写真右=賢治がオルガンを弾いたり講義をしたりしていた部屋。

DVD『炎立つ』のレヴューを載せました。
10年以上も前のTVドラマが、レンタルで見れるというのはありがたいことです。また、単なるイベント的企画ではなく、10年以上たっても見たくなるようなドラマを、TV局はつくって欲しいものです。

「つぶやきサロン Vol.4」を開設しました。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=26779902&comm_id=1384494
あたらしいつぶやきは、Vol.4でお願いします。

このVol.3は、おおむね巨石信仰の路線でまとまってしまったので、まだ巨石関連のネタで書き込みたいことがあれば、いつでもこのVol.3のトピックに続けて書き込んでください。
トピック名も「磐座、巨石信仰 〜つぶやきサロン Vol.3〜」と改題しました。


以下は、私の個人日記、
「国産みのサンクチュアリ(聖跡)、おのころ島神社 〜国産みの島、淡路 ?〜」
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=939734873&owner_id=386027
のコメントからの転載です。
巨石関連なので、ここに掲載することにしました。


▽AKKIY

PS
さて、イザナギ・イザナミの話に戻りますと、「イザナギは千引(ちびき)の岩を立てて道を塞いだ。そしてふたりはこの石の両側で相手を直接見ることなく会話したという。この神話は、巨石信仰の本質をみごとに伝えている。」という「巨石信仰」ですが、この石もなにか宇宙人の機械におもえてなりません。(また脱線ですみません。)*

*日本に限らず、世界の古代人は、おおよそ5千年前に、石と霊魂とを結びつけた不思議な文明をつくりあげた。聖地に大きな石を立てて印とするのだ。石は、神の依代となる。また死者の霊を封入する家ともなる。
その証拠が『古事記』に語られている。イザナミが死んで黄泉の国へ下ったとき、イザナギは妻が恋しくて黄泉まで追って行った。しかし、見るも無惨に腐り果てた妻の姿を見て、夫は恐怖のあまり地上へ逃げる。この世とあの世との境にある黄泉(よも)比良坂(ひらさか)まで逃げたところで、イザナギは千引(ちびき)の岩を立てて道を塞いだ。そしてふたりはこの石の両側で相手を直接見ることなく会話したという。
この神話は、巨石信仰の本質をみごとに伝えている。まず、あの世とこの世の境に立てた石であり、この石を通じて死者と生者とが対話することが注目される。また境に置かれた石は、のちに賽の神とか道祖神と呼ばれ、安全を守り多産を実現する霊石ともなる。
「水木しげると行く妖怪極楽探検隊」
荒俣宏 角川書店P240

▽Dr.TOM

>……「巨石信仰」ですが、この石もなにか宇宙人の機械におもえてなりません。

ただ、この種の超科学については、なにも外来種の宇宙人文明のみでなく、超古代の地球にもあったのです。もとを正せば宇宙人文明がもたらしたものも多いですが(それがムーでありアトランティスです)、地球産のものと混交して、地球独自の発展を遂げていたと私は見ます。
浜本末造氏のように、UFOさえもムー文明の純地球産であり、宇宙人飛来説は否定する人さえいますね。

宇宙外来種の超科学(アトランティス系に色濃く受け継がれている)と、地球産の生命芸術科学(ムー系に濃く反映している)の決定的な違いは、巨石であれ何であれ、実験室の中で利用する材料のように見るアトランティス系に対して、ムー系は万物・万霊が元なる大神から分かたれた波動の、存在形態のバリエーションであるとするところです。
アトランティス系は主に西洋文明に受け継がれつつテクニカルに退化し、ムー系は主に東洋文化に受け継がれつつ象徴的に神話化しました。
西洋文明の中にも裏のマイノリティとしてムー系のエッセンスが流れ込んでいますが、これが神秘主義とかオカルトとか呼ばれるようになり、表の一神教文化からは敵対視されています。したがって、むしろ無神論やグノーシスや、極端な場合は悪魔教などと親近性のあるものとしてカテゴライズされます。

戦後日本でも、このアトランティスの成れの果ての世界観が表の主流となりましたから、神秘と科学を迎合させるような価値観は、非常に怪しくも危険な、ネクラのオタク文化とされがちです。(極端な例では、宮沢賢治を危険思想視するような人の感性も、このへんに根がありますね。オーム真理教との区別がつかないのです)
でも、これは太古のアトランティス人種のムー人種にたいする怖れとコンプレックスの反映なのです。いわゆるエスパー的な心の能力において、アトランティス人はムー人に劣っていました。物を道具としてしか見ないアトランティス人は、物も同朋であると見るムー人に、心と物の同化能力において、決定的に劣っているのです。短期的には対象物として物体をコントロールする念力などは強くても、長期的には息切れして物のしっぺ返しを食う文明なんですね。
ムー文明も結局は、心の能力の劣るアトランティス人を蔑視し、差別しすぎたカルマのリベンジで、内側から食い荒らされ滅びてしまうのですが。

脱線しすぎ?なのかどうか、よくわかりませんが……、
結論を言うなら、黄泉比良坂の千引の岩は、外来宇宙人系の科学ではなく、ムー系地球産超科学の巨石だと思います。

▽Dr.TOM

また、「賽の神」のほうですが、これは『記紀』では「千引の岩」以外にもいろいろあります。岩のほうは「道反(ちがえし)の大神」というのが別名で、その岩を境としての縁切りの呪言の直後に、イザナギが投げた杖のことを「賽の神」とし、別名が「岐神(ふなとのかみ)」となります。
そして、この岐神が後に猿田彦に転化していくという伝承があるようですね。一方で、富家の伝承による出雲の親神のことを「クナトノ大神」とするのも、発音が似ていて面白いです。(富家の伝承は強烈なアンチ天孫族なのに、岐神⇒猿田彦は天孫の神武一行を道案内した神となっているところが、矛盾するようですが)

この猿田彦は、実はイザナギから分裂した荒御魂だったのではないか、というのが私の仮説です。
イザナギの妻神への未練の部分が、黄泉比良坂に「岐神⇒猿田彦」を残してきたのです。妻神イザナミが浄化・復活して戻ってきた時、いつでも迎えて道案内できるように、そこに半永久的に残したのです。(ロマンチックやろ?)
しかし、この清濁合わせ呑むバイタリティの部分=猿田彦と分裂して、強迫神経症的に穢れを嫌う、繊細で美しい“だけの”イザナギが天に帰還したので、後の皇室や国家の神道はキレイゴト神道、隠蔽体質の神道になってしまうのです。

反対に、イザナミのほうと分裂して飛び出したのが菊理媛ではないか、というのが私の仮説です。
ヒステリックなド迫力パニックを起こしている最中でも、他方でそれを冷静に傍観している自分があった、などと証言する女性がたまに居ます。これが菊理媛の原理ではないかと思うのです。
もうこうなっている最中は手がつけられないのだから、火に油を注ぐような言動は避けて、ひとまず身を引いて作戦を建て直しなさい、というようなことを、菊理媛はイザナギに耳打ちしたのではないかと思うのです。
ただ、こちらも清楚でクールな傍観者的知性(菊理媛)と、生命を生み出す原初の力(黄泉の国のイザナミ)が分裂してしまっているので、アンバランスなんですけどね。でも、夫神イザナギと完全な絶縁になってしまわないために、菊理媛を放出し、派遣するしかなかったのです。

この分裂原理は、後の木花咲耶姫(このはなさくやひめ)と石長姫(いわながひめ)にも当てはまります。「黄泉比良坂」以降のイザナギのカルマを引くニニギ(邇邇芸、瓊瓊杵)は、女性性の野性的でバイタリティある部分を受け入れることができなかったので、妻のコノハナはイワナガと分裂してしまったのです。
本当は美人(コノハナ)かブス(イワナガ)かという問題ではなく、どんなに美人であっても、強くてキツイ女性は、イザナギ⇒ニニギの系統の男にはブスに見えてしまうのです。
1菊理媛と再生豊穣
[菊理媛=イザナミの分身]には、イザナミ=黄泉の国が象徴する死という「マイナスのイメージ」ばかりではなく、(死からの)再生豊穣という「プラスのイメージ」をも内包しているように思います。黄泉の国と別れたイザナギに、「禊をして再生豊穣をお手伝いしますよ」と耳打ちした菊理媛の言葉をイザナギはうれしく思ったのではないか、とギリシア神話の連想で考えました。*1・2

 ギリシア神話のデーメーテール大地母神は禾類の神でもあり、一方、その分身であり、(ゼウスまたはポセイドンを父とし)デーメーテールを母とする娘コレーが冥界の妃であり、豊穣を約束する禾穀の精霊である、というギリシア神話は、大地母神と禾類の神の密接さを物語っています。母であるイザナミが冥界、娘である菊理媛が地上、一方、母であるデーメーテールが地上、娘であるコレーが冥界の妃、という逆転はあるものの「死が再生豊穣と一体」であることの傍証になると思います。生贄をささげることで新たな豊穣が約束される、という図式は、冥界と再生豊穣が一体であり、デーメーテールと娘コレーの一体性に関係が象徴されているのではないか、と考えます。*2

 なお、飛躍ですが、猿田彦はポセイドンに、天のウズメはデーメーテールにも連なるように思えます。

2巨石信仰
[あの世とこの世の境に立てた石であり、この石を通じて死者と生者とが対話する]は、TV電話での会話をおもわせます。このTV電話がムー的かアトランティス系かはわかりませんが。

*1折口信夫は、この菊理は泳(くく)りであって、水中に入ってミソギをしたことだと言い、白事(シレゴト)(白)(もう)ス事っと訓読する)とは、巫女が託言することだと説明した。(早川孝太郎「花祭」跋文)「異界歴程」 前田速夫 著 晶文社

*2(馬に変身するデーメーテールとポセイドンの)両神は、オリュンポスのゼウスを主宰する神系家族の成立以前に、一対の配偶をなした主神であったのかも知れない。ただその関係が、通常の大地女神とその愛人、といった形とは異なるように見え、またデーメーテールが、純粋の大地女神というより、禾穀の精霊(これはコレーに分身されているが)に傾く様相も窺われる一方、両神ともその名称が、デー(ダー)を除き、ギリシア語系であるところから、少なくもはなはだ古い時代にギリシア民族にとり入れられた一対の神々であったろうと推定させる。(ギリシア神話 上 呉茂一 著 新潮文庫 P320 321)
ギリシア神話の類型は知らなかったので、なかなか興味深いですね。
が、菊理媛については実はいろいろ異説があって、定説というものがありません。よって、ここで少し補足しておきます。

『ホツマツタエ』では、白山姫(菊理媛)はイザナギの母だとしているそうですし、
http://www.pandaemonium.net/rdb/menu/file/473.html
朝鮮半島の聖地、白頭山の神だったとか、それ以前はヒマラヤだとか、だから日本古来の神(信仰)ではなく、大陸〜朝鮮の神仙道のほうの神だ、という人もいます。
でも、私に言わせれば、そもそも有史以前の太古・超古に遡るほど、日本神道は世界神道だったのです。それがだんだん矮小化して、弥生時代以降の大和朝廷の頃には、“島国根性”の“お山の大将”の偏狭な血統主義の神道に凝り固まっていった。だから、このへんの島国ナショナリズム神道には同調しえないのだけど、遥か古代には世界中に白山神道や物部神道や素戔嗚系の神道があったとしたって、全然、不思議はないのです。こちらのほうがむしろムー時代を経て受け継がれてきた、超古代日ノ本の正当本流なのであって、それが弥生以降の朝廷の神道よりは長い期間、世界に出張して頑張っていて、列島への帰還が少し遅れただけの話。
これをして、白山系や牛頭天王(素戔嗚)系が外来の神であり、我が国の伝統ではないからナンタラカンタラ…、というのは本末転倒というものです。バーゲンセールの奪い合いよろしく、早い者勝ち、獲ったもの勝ちの玉座で、世界の雛形であり地球規模の「ひもろぎ(神籬)」である日本列島を、なんとか掠め取って自分達のものにしておきたいという、チンピラ“こそ泥”神道の言い分です。

また、漠然とイザナミと菊理媛の同神を唱える説は多いのですが、強いストレスによってイザナミが分身・分裂したのが菊理媛であると、ここまで精神分析ならぬ神霊分析した説は、まだ読んだことがありません。(したがって、私のオリジナルです)。
一方、イザナミ・菊理媛の本来同体説を否定するのは、瀬織津姫の研究者のグループに多いと見受けます。黄泉の国から帰還したイザナギの禊に立ち会ったのも菊理媛だった、という別伝があり、そこで禊の女神である瀬織津姫と重なり、イザナミのイメージは遠ざかります。
では、瀬織津姫とイザナミはどういう関係だったのか?という視点になってきます。黄泉の国の死と穢れのイメージが強いイザナミからは、強靭なクリーニングとリセットの女神である瀬織津姫は、たしかに結びつきづらいものがあります。でも、言い換えるなら、これは菊理媛と瀬織津姫の対抗・相補原理でもある、と私は思うのです。癒着・凝固した穢れ・汚れを解体・分解して、削ぎ落とし、濯ぎ流すのが、禊の女神:瀬織津姫の働きだとすれば、聖なるものの仲介をして繋ぎ止め、結びつけ、括りつける働きが菊理媛なのです。「禊祓い」に対する「鎮魂帰神」という、神道行法の二大原理です。

したがって、瀬織津姫にはあまり農耕や豊饒のイメージはありませんが(養蚕、機織りは関係深い)、菊理媛には若干、穀物神のイメージがありますね。実際、白山では「白」つながりとして、白狐や白蛇の信仰とも混交していたそうですから、稲荷や宇賀御魂の食物神のリンクが感じられます。(が、近い時代としては、白山信仰は被差別民のカラーが強いせいか、非農耕民のエリアに多いそうです)

あと私の直感ですが、瀬織津姫の霊場には「剣」「武」の個性を感じるのですが、菊理媛にはそれを感じません。しいて言うならば「舞」「芸」は感じますが。剣豪・剣聖としての女神に、参謀の軍師としての女神、といった印象でしょうか。これも相補原理かもしれません。
菊理媛は、月の大神&地の大神⇒豊受大神、宇賀御魂、稲荷、イザナミ…、の地母神系列でしょうけれど、瀬織津姫は違うかもしれない、と最近思うようになりました。瀬織津姫の「水」はあくまでも天の水です。天から注がれる水であり、それも月の女神のような優雅な癒しの水というより、豪放磊落な滝や集中大豪雨の場合もあるんですよね。これはむしろ天の中心たる天御中主(あめのみなかぬし)の荒ぶる(現ぶる)働きではないかと。つまり大地母神の系統ではなく、天(宇宙)の父神の勅使です。だからこそ、創造の原点であるゼロにリセットする=禊祓い、という威力を具えているのです。

神々の相克や封印は、先住系の国津神に対する上陸系の天津神の侵略、という構図で説明されることがほとんどですが、これはこの世の歴史レベルでのいたって平面的で近視眼的な分類でね。本当の天の神は、国津神以上に隠され、消され、封印されてきたのです。有史以降の神道、と言うより、世界のメジャーな宗教全般は、偽の天神、イミテーションの天の神によって牛耳られてきた、というのが私の視点です。
菊理媛⇒豊受大神
瀬織津姫⇒アラハバキ
このようなイメージをもちました。
灯りに集まる虫の如く「巨石」というタイトルに誘われてしまいました(^-^;)

僕の地元にも巨石信仰は多いのですが、単純に山の中だから巨石が多いという理由かと…そんな筈はないですから、ゆっくりと過去の議論を拝読させて頂きます(^人^)
「巨石神の方はどうやら東南アジア方面から黒潮に乗った海人系」、「洞窟神」は
北方系という説があります。
 今一歩、巨石神と洞窟神の違いがぴんときませんが、巨石神関連の記事として紹介いたします。※
 kenbon 様の指摘される山中の場合はどうなのか、という点も榎本 出雲 ・近江 雅和説では説明されていないように思います。

※洞窟神と磐座(巨石神)
 (大和朝廷が成立する以前とみてよい磐座のある神社と同様に古い祀り方の)洞窟神の方は出雲の「加賀のくぐり戸」、関東では榛名山の「伊香保神社」、茨城の「加波山」と「壺臘稲荷」、鎌倉の古い洞窟稲荷、東京都では品川神社の「阿那稲荷」と「王子稲荷」の狐穴がある。京都の蚕の社(秦氏系)には岩屋の中に稲荷が祀られており、近くの「天塚古墳」秦氏系)では前方後円墳の岩室に稲荷神が祀られている。また、九州方面では豊前の彦山の洞窟神が修験の霊山になっている。
 磐座を含めて巨石神の方は、高知県土佐清水市の足摺岬の巨石群、熊野新宮市の「ごとびき岩」、茨城県では筑波山東麓・飯名神社の御神体の巨石と岩船神社の巨石、日立市の大甕(おおみか)神社の巨石、出羽三山・湯殿山の巨石など、ご神体がむき出しの巨石である。『日本書紀』に出てくるアマテラスの「岩戸隠れ」の話も、イナリ神を太陽神に替えた物語だったと考えられよう。
 この二つの系統の流れは、洞窟神の方は紀元200年代に書かれた『三国志』の「魏志東夷伝」高句麗伝の条に「隧穴」「隧神」「木隧」を祀る、という文があって、「魏志東夷伝」のその他の東夷諸国の記事にはこのことがないので、洞窟祭祀の日本から一番近いところは高句麗が中心となる。高句麗から日本列島への流れは日本海側からで、太平洋側には目立たない。したがって、洞窟神系統は北方系の信仰で高句麗→新羅→山陰・北陸という流れと考えてみたい。要するに、色からいえば、高句麗・新羅の系統はシベリヤ・北満・蒙古系で「黒・赤」色が聖色で、中でも北方系の黒色が基調になっている。これに対してシルクロード方面の系統は「白・赤」色が聖色で、ペルシヤ系の白色尊重がとくに強い。「赤」はこの両者に共通の聖色である。一方、ペルシヤ・インド系が中国の甘粛、陝西、北支、内蒙古方面から百済を経由して飛鳥へと流れた系統は白色尊重である。ペルシヤ語の「カアフル」という言葉は「白色の象徴」という語で、この「カアフル」が香久山や香取という白色系の象徴語として「香(かほり)」で表記されている。蘇我氏時代の飛鳥仏教は白色尊重系だった。*
 一方、巨石神の方はどうやら東南アジア方面から黒潮に乗った海人系のもののように思われる。・・・原初のイナリ信仰も磐座祭祀系(小生 注:北方系の洞窟祭祀系か)と洞窟祭祀系(小生 注:南方系の磐座祭祀系か)の二系統があり、それぞれ北回りと南回りで入ってきたものと考えられる。高句麗は紀元前100年頃から中国文献に現れてくる。新羅、百済はずっと遅れて紀元後300年前後に現れてくる。この高句麗の成立が新羅、百済より400年も先行していることは、高句麗の洞窟祭祀は弥生時代に日本へ伝わったイナリだということになる。・・・
隧穴、隧神は「高句麗伝」のみに記され、新羅、百済伝にはないから、古代朝鮮においては高句麗だけにあった信仰で、それも仏教ではなかった。そして、新羅、百済には隧穴、隧神の神祭りがなかったことは、イナリ信仰の痕跡がないことも一致する。このことから帰納されるのは、日本の古代祭祀稲荷は朝鮮経由ではなく、高句麗からダイレクトに日本海側に上がった、という可能性が浮かんでくる。…現に北方系をしめす黒色の扁額や黒色の御幣をもちいている稲荷社が東日本では散見される。・・・日本に来た当初は遊牧民にとっても大切な牧草の多産を祈ったのであろうが、稲作が中心いなってくると「稲荷神」に変わったのである。・・・イナリ信仰の本質、原点はアラビヤ語でみた「知恵の教え」「火をともす」にある。イナリに関わる伝承を追求し、それを総合してみると製鉄と結び付く必然性があることも明らかになってくる。
P161〜162、167、171
(古代は生きている―石灯篭と稲荷の謎− 榎本 出雲 近江 雅和 彩流社)
面白いですね。確かに繋がります。
ミシャグチ信仰は確か黒が聖色だったと記憶していますが…何で調べたんだっけ(^-^;)
ミシャグチは岩窟信仰ですし、北方から山岳地帯に侵入する課程で変容したとも考えられますね?そう言えば小牧か犬山に「白蛇様」が居ましたが、古代蛇神であるミシャグチ信仰が南方系の聖色と名古屋手前で融合したとも考えられるかもしれませんね。



僕は巨石信仰は「其処に在る」ことが重要なのか?「其処に在った」ことが重要なのか?で意味が変わるのではないかと思います…何となく…ですが(^-^;)
「ミシャグチ信仰は確か黒が聖色」

ミシャグチは、石棒がご神体ときいたことがあります。
すると黒い石棒なのでしょうか。

「原初のイナリ信仰も磐座祭祀系(小生 注:北方系の洞窟祭祀系か)と洞窟祭祀系(小生 注:南方系の磐座祭祀系か)の二系統があり、それぞれ北回りと南回りで入ってきたものと」という榎本 出雲 近江 雅和説のイナリ二系統説は、まだよく咀嚼できていません。
 なお、イナリの赤い鳥居に、アラビア由来の南方性を感じています。

 さらに、巨石神と洞窟神の違いは何によるのかについてもよく理解できないままでいます。
ミシャグチ信仰は不明点が多くあります。融合の歴史ですから当然かもしれません。

巨石信仰については巨石自体が御神体になるので偶像崇拝はありません。ミシャグチ信仰も同様に岩窟自体が神聖であり、蛇はあくまで「使い」であったかもしれませんね?そうだとするとミシャグチ神→蛇→御神体の石棒。という偶像崇拝に変容した様が想像できます。

つまり、僕の疑問「在るのが重要か?在ったのが重要か?」はそこに起因します。「在る」の場合は偶像等の代替品で神を祀り都合上は移動、移設も可能ですが「在った」の場合は場所自体が重要であると言えますから、移動などは不可能(無意味)と考えられます。


ここでAKKIYさんの「巨石=電話」を採用すると(爆)定住型の民族が信仰した神は巨石=固定電話」で放浪型の民族が移住文化を持ち込んだ結果「偶像=携帯電話」となります。石に意味があるのか?場所に意味があるのか?

古墳の石室からも当時は既に巨石を運搬、移設する技術があったと考えられますから、巨石自体よりも場所に意味があったと考えるものです。
47捕捉

巨石信仰には明らかに移設不可能な立地も存在します(山中や渓谷など)その場合「ここで祈る」ことに意味があると考えられるので、移設する技術の発達以前からの霊場である可能性に期待するものです。
 巨石=固定電話:ピラミッドも巨石と考えると移動不可能な巨石はレイラインを結ぶ線上に通信用、夏至の方向を示す座標軸として「聖地に在る」ことが重要であったのではないでしょうか。ピラミッド山頂は、鏡のように反射する岩でおおわれていた、とききます。

 偶像=携帯電話:「偶像が聖体」であることが重要で、「移動可能」で「在る場所」は無関係であったのではないでしょうか。

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