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地球伝承 〜 古代から未来へ 〜コミュの白鳥とタタラ、ヤマトタケルノミコト

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発起人二人のやりとりを編集しました

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▽AKKIY⇒管理人

 さて、下記は、鳥とタタラ、ヤマトタケルノミコトについての谷川健一さん著作です。

 散文的ですが、心情に訴えるものがあり、傾聴に値する説明です。
               記
ヤマトタケルが三重の村についたとき、足が三重に腫れてまがったという話は、足見足神社の近くの神域をたがやすと生まれながらに唖の子ができるという話と共通なものがある。
すなわち、そこには鉱毒による不具者が暗示されているのである。
 唖の話はこれだけでは終わらない。これらのほか垂仁天皇(すいにん)の唖の皇子ホムツワケの話が「記紀」に伝承されている。・・・さてこのホムツワケも二俣の小舟に乗せて遊ばせたが、ひげがながく垂れる年頃になっても唖のままであった。ただ空高く飛ぶ白鳥の声を聞いた時、口をぱくぱく動かしたという。これは白鳥がたたらの作業をする人たちの神であったことを思わせる。・・・松本信広氏はマルセル・グラネが『古代中国の舞踊と伝説』の中で、古代中国ではたたらのふいごが一本足に連想されたと述べた文章を、その著『日本の神話』の中に引用している。羽ばたきをすること、はねをふるうことを、古語で「はぶく」という。「羽振鳴く」(はぶきなく)とか「羽振鶏」という語がすでに『万葉集』にもみえている。この「はぶき」は古代にはふいごの意味にも使用されている。つまり、ふいごの動作が鳥の羽ばたく姿を連想させたのであろうか。いずれにしても、奥州白石(しろいし)のヤマトタケル伝説のように、白鳥の飛び立つ場所がそのまま、たたら製鉄の跡と重なり合っていることは注目に値する。
 さて、ホムツワケの父の垂仁帝は人をして白鳥を追いかけさせ、越の国の和那美(わなみ)の港で網を張って鳥をつかまえさせた。しかしそれでも充分には物を言わなかった。
占ってみると、出雲の大神の祟りであることが分かったので、曙立王(あけたつ)とその弟 菟上王(うなかみ)をつきそわせて、出雲の大神を拝ませた。するとホムツワケは物を言うようになったので、垂仁帝はそれにちなんで鳥取部(ととりべ)、鳥甘部(とりかいべ)、品遅部(ほむじべ)、大湯坐、若湯坐を定めた、とある。・・・『古事記』には、開化帝の条に「曙立王は伊勢の品遅部の君、伊勢の佐那造(さなのみやっこ)の祖」とある。この佐那は伊勢の多気郡多気町にある。(佐那の西にある)丹生(にふ)は有名な伊勢白粉(おしろい)の原料である辰砂の産地である。こうした鉱山や金属精錬の氏族にかこまれている佐那は、その地名からして、さなぎ(鉄鐸)と関連をもっている。・・・丹生のみならず佐那からも水銀が採れた。・・・伊勢品遅部はこの丹生鉱山の採掘と関連があったと推測される。彼らはおそろしい水銀中毒になやまされたにちがいない。・・・尾畑(喜一郎)氏は(『古代文学序説』の中で)曙立王の裔の伊勢佐那造が唖神のさすらいの物語を伝承したとし、彼らが朱砂、水銀とは密接不離の間柄にあったとみている。・・・果たして宋ならば、彼らは自分たちの神である白鳥に願いをかけることで、足がなえたり、物が言えなかったりする病いから癒されることをもとめたのではなかったか。・・・唖の皇子であるホムツワケが白鳥を見てはじめて物を言うようになったという話とも連動していったのではなかろうか。・・・伊吹山、玉倉部(たまくらべ−岐阜県不破郡関が原玉)、そして尾津(おづ−伊勢国桑名郡尾津)、三重の村とたどるヤマトタケルの最後の足あとを印した土地は、ことごとく銅や鉄や水銀などの精錬に関連をもつ。こうしてみると、ヤマトタケルの最晩年の悲劇、それは古代の金属精錬集団の反映にほかならなかった。
(「古代人のコスモロジー」『最後のヤマトタケル』谷川建一 作品社 P198)


▽管理人⇒AKKIY

酉年の時の年賀状ソフトに、手塚治虫の『火の鳥』の図柄があったのでアップしました。何編だったか忘れたけど、この横笛のアンちゃんはヤマトタケルでしたよね。
ヤマトタケルは、何かと哀愁を誘う素材ですね。こういうフィクション・ストーリーの題材にはなりやすいキャラだけど、そのわりには古代史研究の表舞台には採り上げられない気がします。

やたらと卑弥呼の邪馬台国ばかりが古代ロマンのように言われた時代があったけど、知らない人のために言っとくなら、これってべつに日本神話(『記・紀』神話)の話じゃないんですよ。『魏志倭人伝』(正式には『三国志』の「魏書東夷伝倭人条」)という中国の史書に載っていたから、騒がれただけ。
戦後間もない頃はまだ、馬鹿みたいな天皇絶対≒神話絶対の皇国史観の空気が残っていて、神話をストレートに研究や論争の表舞台に上げるのは憚られたのか。あるいは、もう一方で、科学優越の思考が台頭してくる時期で、「神話」などというと「幼稚なお伽話」という蔑視の感覚もあったのか。だから、いちおう歴史書の体裁をとった『魏志倭人伝』を取り上げるのが、古代入門編として無難だったのかもしれません。
(私自身は邪馬台国に特別なロマンを感じていないので、こういう書き方になっちゃうけど、ファンの人にはすみません)

歴史ミステリーという意味では、ヤマトタケルは実に謎が多い存在です。兄弟殺しのテーマは『旧約聖書』のカインとアベルを想起させるし、無理難題の試練を与えられて東奔西走する様は、『ギリシア神話』のヘラクレスを連想させます。宴席で女装して騙し討ちするあたりは、スサノオのヤマタノオロチ退治とも若干かぶります。
あまりにもいろんなイメージが詰め込まれていて、なんでそうなるの?と首を傾げたくなる。勇壮なんだか女々しいんだか、悲劇なんだかチャランポランなんだか、よくわからない。
だから、神武天皇と同じ様に一人の英雄の物語ではなく、複数の人物のいくつもの逸話を一人のキャラクターに詰め込んだのだ、という説も、説得力を持ちます。
ちょっと乱暴な喩えだけど、今で言うと、国益のためにはアメリカの御機嫌をとって、イラクやアフガンの戦争に出かけなくてはならなかった衛星国家の軍隊の悲劇、みたいなシチュエーションを感じてしまいます。

コメント(1)

白鳥神話は、朝鮮半島にもあるとききます。

下記はケルト神話にみる白鳥神話です。
                 記

しばしば人間の前に現れるシイ(アイルランド人が幸福と平和に満ちた素晴らしい世界と呼んだ他界)の女たちは神々の使者であり、キリスト教における天使に対応する存在と言えるだろう。ただしケルトにおいては、ビザンティンでのようにその性格が問題にされることはなかった。それははっきりしていたのである。また、シイの女たちが大きな白い羽をもつ天使の姿で描かれなかったのは、彼女たちが思い通りに鳥の姿*1、とりわけ白鳥の姿*2を取ることができるからに他ならない。ファヌとその侍女のリーバンがクフーリンのところにやって来たのは、金の鎖でつながれた二羽の白鳥の姿でだった。ファヌは(海の彼方にある他界の王)アナナン・マック・リルの花嫁だったが、この海神は妻を自由の身にしてやり、彼女はクフーリンに夢中になった。彼女はクフーリンをシイに誘い、二人はそこでまる1月を一緒に過ごした。クフリ−ンの正妻であるアヴェールが心穏やかでなかったことは言うまでもない。同様にして、魅力的なアヴェール・フォーガルとその侍女もクフリーンとその養子のルーイーの前に、金の鎖で繋がれた二羽の白鳥で現れる。そしてまた、別のシイの女がダグザの息子である若きオェングスを求めてやって来た時も、二人は二羽の白鳥に変身し、寄り添って眠り、湖のまわりを三度巡ってから共にとびさっていったのだった。他界からの使者である鳥の姿をした女たちのテーマは、ケルトのさまざまな地方の民話の中に残されている。
(ヤン・ブレキリアン著 「ケルト神話の世界」 中央公論社P54〜55)
*1ここでは天国の入口の一つの部屋があって、鳥たちが歌っているという。
*2ブルターニュでは、白鳥は捕らえてはならず、これに違反した者は死の不幸を招くとされている。

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