ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

地球伝承 〜 古代から未来へ 〜コミュの高橋克彦『竜の柩』に見る「竜族」と「牛族」

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
最初の数回のトピックは、このコミュの発端となった私の個人日記のコメントのやりとりから、切り取って編集してみることにします。
(この時、すでにAKKIYさんは私のことを「管理人」と呼んでいます)

********************************************************************

▽管理人様

初めまして。
ニギハヤヒで検索しました。
小椋一葉のニギハヤヒ関連の作品と小説家の高橋克彦に出てくる府中の大国魂神社に関心を持ち8月参拝しました。


▽AKKIY様

はじめまして。
古代史ファンて、居るところには居るもんですね。私の近くにはさほど居ないので、よく引き当ててくださいました。

高橋克彦が大国魂神社について何か書いていようとは、全く知りませんでした。ニギハヤヒがらみだとすると、私ひとりの妄想でもなかったってことかな。
高橋克彦の小説はまともに読んだことないのですが、“知”の裾野がえらく広いというか、その上、フィクションにかこつけているけど、基本線が(私と同様)通説に対して反逆史観ですよね。何者?って感じだけど、好きな人にはたまらんでしょうね。


▽管理人様

高橋作品と大国魂神社(「宵闇祭り」が登場)
.『おこう紅絵暦』(文春文庫)
宇宙・ホラー・古代史と分野が広く好き嫌いありますが、
小生は古代史特に竜蛇信仰関連で興味があります。


▽AKKIY様

竜族の古代史を徹底追及したのが、高橋『竜の柩』だと何かで読みかじりました。ひとつの宗教や文化の枠組でなく、複眼的に世界的視野で話を繰り広げているから、きっと『ダ・ヴィンチ・コード』などより普遍的なミステリーなのだと思いす。
但し、「竜族」VS「牛族」という枠組みの設定には、私は若干の疑問を持っています。この対立構造は、「アジア西域系の竜族」VS「インド系の牛族」という地域紛争が日本にも飛び火していた、というだけのレベルで、それ以上の普遍性はないと思っています。


▽管理人様

高橋作品『竜の柩』の「竜族」VS「牛族」は不思議におもっていましたが、下記の本で牛は中国南部では農耕民族の善神、竜は洪水をもたらす悪神、という図式を知り少し納得しました。
もっとも日本では竜は悪神ゆえに崇拝の対象とすることで逆に干天の慈雨をもたらし、鼠被害から米を守り、脱皮再生から豊穣の象徴、といった善神に昇格しており、かならずしも牛対竜、の対立ばかりではありませんが。(白川 静著「中国の神話」中央公論新社(「龍の文明史」安田喜憲 編 )

1.概要
(1)中国の洪水神話
中国南方の苗系には伏羲・女媧の治水、洪水神話がある。
殷人がもし竜トーテム的信仰をとり入れていたとすれば、屈家嶺文化(前2270年前後)の稲作農業と関係がある。自然神を祀る「祀」も蛇神をまつるのが原義であった。
(2)龍と蛇
龍と蛇の根本的な違いは、龍には足があるが蛇にはそれがないことと龍には昇天志向があるが蛇にはそれがないことである。苗族や彝族の人々は殆ど足のない蛇を龍とよんでいるが、これは中国文化の「南北対立構造」による龍神文化という枠の中で自分たちの崇拝物を命名する際には、美称として龍という漢字を用いたがったことによる。日本においても寺院や神社の天井を除き日本の民話に登場する龍と蛇の区別は曖昧である。
(3)龍と鯉
龍と鯉はともに「魚」の部類であるが、蛇は「虫」の部類であり、龍と蛇は別物である。
陽である龍と陰である鯉は性質を異にしているが、「龍門」を飛び越えた鯉は龍になれる。龍と鯉は中国北方の龍神文化の中でつながっている。
(4)龍馬と対立する牛
龍と馬の関係は、「龍馬」という熟語が生まれるほど緊密である。龍馬の身体に翼があり、龍馬の昇天志向を示している。陽の馬と龍は、龍神文化の産物である。農業にとり、洪水が最大の災害であることから、中国南方において農業の守護神である牛はまた洪水を起こす元凶の悪龍を退治する任務を与えられている。
(5)鶏と蜈蚣(むかで)と龍
雲南省から福建省、上海までの広い分布がある「龍の病」「龍の角はオンドリの角」の伝承群からオンドリはムカデより強力であり、ムカデは龍よりも強力である、という公式が導き出せる。南方の龍は、強いもの、広く深く篤く信仰されている牛の姿、犬の姿、馬や猪の姿を借りたこともあったかも知れずその一回限りをたまたま見れば、龍は牛である、犬である等といった諸説が表出することとなる。
(6)鹿と猪と鳥の龍
内モンゴル自治区小山遺跡(8000年前)から土器に描かれた鹿と猪と鳥の頭をもった龍が発見された。森の中で生活し、縄文土器ときわめて類似した土器をつくった人々は、重要な食料となった猪や鹿や魚類を原型として、それらを融合して猪龍や鹿龍が蛇信仰とは別個に中国東北部の森の中で誕生した。長江流域の稲作民は太陽を運ぶ鳥を崇拝した。鳥信仰や蛇信仰は北方にも存在するが、太陽に関する信仰は南方独自のものである。龍が長江流域で明瞭な姿をとって出現してくるのは、5300年前の良渚文化の時代であり、北方の査海遺跡より2000年以上おくれていた。長江流域には蛇信仰が存在した。その蛇と龍が同一視されるようになったのは、龍が南方の稲作地帯に伝播してからのことである。その背景には4200年前の気候悪化と、それにともなって引き起こされた北方からの畑作牧畜民の南下があった。
(7)北方的な龍と南方的な龍の統合
北方の文化が南下するにつれて、文化統一の必要性から、北方に起源する文化的産物である龍という概念の拡大が行われ、北方的な龍と南方的な龍が生まれた。最後に、北方的な龍と南方的な龍がもう一度統合し、今日見られるような中国の龍に変わった。


▽AKKIY様

精力的な書き込み、ありがとう。
中国ものはAKKIYさんの専門ですね。お詳しい

高橋克彦の「牛族」観は、おそらくインド系の「牛頭天皇」信仰を念頭に置いたものだと思います。これが祇園の八坂神社をはじめとする各地の八坂神社や素盞雄神社の伝承に受け継がれているという話は、古代史マニアの間ではよく言われることです。したがって祭神のスサノオ=牛頭天皇は、出雲の始祖神ではなく、出雲を侵略した外来の悪神であるという、アンチ・スサノオ派の言い分があるわけです。
(私自身は、スサノオの本家は熊野大社や氷川神社のほうであり、八坂神社系は傍流・支流の混血系スサノオ族だと思っている)

さらに、この八坂系、素盞雄系の神社に伝わる「蘇民将来」伝説と、「出エジプト記」(『旧約聖書』)の「過ぎ越しの祭り」の類似性から、スサノオをユダヤ教の唯一神エホバと同一視するむきもあります。(※このへん詳しく解説すると長くなるので、関心ある人は「蘇民将来」「過ぎ越しの祭り」「牛頭天皇」などで、ネット検索してみてください)
したがって、アンチ一神教≒アンチ外来宗教と同じ立場で、アンチ・スサノオ神≒アンチ牛族の人達がいる。読んでないからわからないけど、高橋克彦の立場もこれと近かったんじゃないでしょうか。

高天原で乱暴狼藉をはたらいたからではなく、別の角度からのスサノオ悪神説です。まあ、ともかくスサノオという神は、良くも悪くも、いろんなところからいろんなことを言われる、スキャンダラスな神です。

ところが、ユダヤ・キリスト教に最後まで抵抗した土俗宗教に、バール神信仰というのがあって、これも牛トーテムと関連していたらしい。
偶像崇拝を禁ずるモーゼのリーダーシップに対する不満分子が盛りあがって、過去の信仰対象である牛の像を拝んでモーゼの怒りを買う、という場面がありました。 ということは、一神教側からもウシ神は悪者にされていたみたい。ただ、インドにおいては、宗派を超えて聖獣だったようです。

大本の出口ナオ&王仁三郎の神であるクニトコタチノミコトは、別名、ウシトラの金神とも呼ばれていまして、ここにも「ウシ」のキーワードがあります。ところが、王仁三郎はクニトコタチノミコトの霊姿は竜体だとも言っています。 王仁三郎神学では、根源まで遡れば牛も竜も一体だということでしょうかね。

コメント(6)

※「蘇民将来」と「過ぎ越しの祭り」については、別にトピックを立てました。

「蘇民将来」伝説と旧約「過ぎ越しの祭り」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=11138699&comm_id=1384494

ややこしい話なので、少しずつ解説コメントを入れていきたいと思ってます。
 スサノオともゆかりの深い出雲に関連し、旧暦10月11日に行われる出雲大社の祭礼に登場する竜蛇神を新暦ではありますが、10月11日にちなみ紹介いたします。


                        記
          実在する出雲大社の竜蛇―セグロウミヘビ―
セグロミヘビ―出雲の人びとのいう竜蛇は、神迎え(旧暦10月11日に行なわれる出雲大社の神在祭、別名 御忌祭(おいみまつり))の神事の主役である。竜蛇さんは八百万の神のお使いで,毎年、神在祭り祭の前後になると、こちらに一匹、あちらに一匹と出雲の海岸に姿を現す。学名はベラミス・プラトゥウルス、おもにインド洋、南太平洋、南シナ海、琉球列島などに棲息する海ヘビである。大小はあるが、通常、体長は60センチほどで、背と腹は黒と黄色の鮮やかなツートンカラー。魚の尾ヒレのように平たくなった尻尾にも、黒と黄色の大きな斑模様があり、また前身は独特の六角形のうろこで覆われている。そんなトロピカルな海生の爬虫類が、はるばる島根半島くんだりまで遠征してくるのはなぜかなのか。「山陰特有の民俗 竜蛇さんのすべて」(上田常一著 松江、園山書店)という本によると、原因はどうやら対馬海流にあるらしい。南の海から暖流におって日本海に迷いこんだ海ヘビは、このあたりまで来て不意に寒冷水にぶつかる。そこでまごまごしているうちに、「お忌み荒れ」が始まって海が荒れる。その結果、遠い海流の旅人はついに力尽きて浜に打ち上げられてしまう。これが、この季節の出雲の浜に「竜蛇が上がる」プロセスだという。したがって、発見されるときには、よくて半死半生、たいていの場合はすでに死んでいる。竜蛇さんがありがたいのは、その色とうろこの形である。出雲人は、この海ヘビの体色に「天地玄黄」の玄(黒)と黄をみてとり、また独特の六角形のうろこに、ありがたい大社の神紋(亀甲)を思うのだという。
(山口文憲 著「日本ばちかん巡り」新潮社P243)

                    竜蛇信仰と海人
                    ー海人と海蛇ー
西日本ではスムが潜水を意味する言葉として今日も使用されて名残をとどめている・・・(隠岐島前の西ノ島宇賀(うか)にある済(すみ)神社)はもと済ノ浦(すんのうら)にあったという。済はスムあろう。済神社のご神体は寄ってきた海蛇であったという。 倭の水人たちは、毎日水にスンでは(潜っては)アワビやサザエを採り、魚を突いた。そのときに出会うセグロウミヘビを竜蛇神としてあがめ、祀った。その名残が今日、出雲大社や佐太神社をはじめとする出雲にみられる竜蛇信仰ではなかったかと思われる。・・・いずれにしても、出雲の竜蛇崇拝は、海人の信仰抜きには考えられない。・・・古代において活躍した安曇、宗像、墨江などの海人族たちは、もとは倭の水人として一括されうるものであり、身体にほどこした入墨の部位のほかは、ことさらな違いがあるはずがなかった。
(谷川 建一 著「古代人のコスモロジー」『水底の蛇身の女神』P74〜81 作品社)
『竜の柩』について、辞典的によくまとまっているWebページを見つけました。
http://act9.jp/fan/report/ai/ryuh/ryuh.html (AI『竜の柩』)
特に竜に関しては、古今東西の伝承を実によくまとめています。
http://act9.jp/fan/report/ai/ryuh/ryuhvs.htm (竜VS牡牛)
世界的に「竜VS牡牛」という対立構造があったのは、何となくわかりますが、でも「竜VS牡牛」というインデックスを付けるわりには、牡牛の側の記述が少なく、定義が曖昧な気もします。

「竜=国津神」はともかくとして、「牡牛=天津神」という構造にいまだに抵抗を感じるのは、あくまでも「竜殺し」のテーマから、侵略者「牡牛」を定義づけるからでしょう。
日本神話をベースに「牡牛」をスサノオ系ととらえた場合、確かにスサノオの出自は天津神ですが、(その当時の)高天原を追放された異端の天津神なのであり、決して高天原(天津神)全体の利害を代表する執行者ではないからです。ヤマタノオロチ退治も、出雲の統治も、高天原代表としてやったことではなく、高天原の刺客としてやったことでもなく、スサノオ独自の新世界ヴィジョンなのであり、その後の「スサノオの出雲」も「反スサノオ系高天原」と対立し続ける構造であると、私は理解しています。
つまり、スサノオは自分を追放した高天原を捨て、天津神としてのプライドも自ら封印して、国津神:出雲へ帰化したのです。(これに対して天津神としてのルーツを捨てず、天津神としてのカラーを感じさせるのが、ニギハヤヒであり、聖徳太子でしょう)

ただ、結果論として、国津神の荒ぶる魂を制御するためには、天津神の中でも荒ぶる御魂を持つスサノオでなければ成しえなかった難行であり、荒魂をもって荒魂を制する、牙をもって牙を制する、ツノをもってツノを制する、そのツノの象徴として「牡牛」トーテムになったのではないかと推測します。

そもそも天津神と国津神を、「高貴な神々」VS「荒くれた悪神」とか、「侵略者」VS「先住民」という、単純二元論で決めつけること自体が、洗脳された思考法ではないのか。
出口王人三郎は、スサノオやクニトコタチのもとの姿を竜蛇形としていますが、一方、邪神の代表格のひとつとして、ヤマタノオロチを挙げています。ここでは「竜VS牡牛」ではなく、「竜蛇VS竜蛇」です。
このことは天津神についても言えるわけで、悠久の歴史と霊界史において、決して一枚岩の勢力だったわけではなく、万物流転・万霊流転の経過の中での、千差万別、玉石混交だったということではないでしょうか。
 「スサノオは自分を追放した高天原を捨て、天津神としてのプライドも自ら封印して、国津神:出雲へ帰化したのです。」
には、共感を覚えます。
 スサノヲは、天津でありながら、「蘇民将来」の説話といい、輝かしいイメージとは異なる「負のイメージ」、「神にはふさわしからぬ人間くささ」を感じさせます。

 そこがスサノヲのある意味で魅力ではないでしょうか。

 「竜VS牡牛」も牧畜民においてこそ「牛」の重要性があるのでしょうが、牛乳・チーズといった食文化はアジアにおいてはインドまでで、基本的に穀物を食文化とする東アジアおよび東南アジアにおいては「牡牛」は縁のない対象であったようです。*

 むしろ、東洋においては蛇は稲作が始まる前から(農耕社会における米を守る「宇賀神」となる以前から)、「脱皮」がイメージする「永遠の生命力」があり、この点においては、牧畜社会においても、そしてキリストの「復活」以前からその「脱皮」が象徴する「生命力と再生」ゆえに崇拝されてきた、と考えます。
 その意味では、「蛇VS牡牛」の構図は、かなり歴史的には後世に築かれたイメージのようにも思えますし、必ずしも「蛇VS牡牛」を高橋克彦氏の「竜の柩」にあるようなイメージで引きずる必要はないのかも知れない、ともおもうようになりました。
 尤も対立の構図としてみれば、「VS東洋の蛇VS西洋の牡牛」は、とらえやすいイメージであることは確かです。

 *(ご参考)「魚の発酵食品」
 インドの場合、地域によって米が主食の地域と小麦を中心とした穀物(時期によっては、雑穀もかなり食べられていた)を主食とする地域に分けられるが、どちらもその穀物と豆、そして搾乳の文化による乳製品をセットとした食の体系となっている。
 東南アジアも、一時期、・・・搾乳の文化を受け入れようとした気配はある。しかし、それは定着しなかった。水田耕作を中心とした体系だと、農耕用の水牛などの家畜を飼うにしても、搾乳をして食料とするほどには大量に飼えない。水牛は農耕用にかわれるものの、インドで聖なる動物である(つまり、殺されず、ミルクは利用される)牛を大量に飼育するという方向性はなかった。牛を聖なるものとするヒンドゥー教自体、一時期は入っていても、長期的には定着していない。環境に適合しなかったというべきだろう。
そこで、タンパク源として見出されたのが、魚であり、その発酵食品であった。石毛(直道)氏がいうように、水田漁業という形で、稲作とセットになった。その保存の術として、魚醤、ナレズシ等の食品が生れた。その旨みを好ましいと思う嗜好が育った。
中国など東アジアで発達した、米など穀物と大豆というセットは、やはり、その高温多湿の地で、麹を使った発酵をコントロールするのが難しく、定着には至らなかったのだろう。
というわけで、東南アジア全体に米と魚の発酵食品というセットという構造が出来上がったのだろうと思われる。
(「世界の食文化4」『ベトナム・カンボジア・ラオス・ミャンマー』森枝卓士 著   農山漁村文化協会P256〜258)

 
 
 追伸
 蛇への悪神・善神信仰は、西洋においてキリスト教以前からのものと考えています。
 そして、キリスト教におけるイエスキリストのみが神の子であるがゆえになしえた「奇跡」である「復活・再生」をキリスト教以前の蛇信仰においても「脱皮・再生」が持っていたために、蛇・竜・悪魔という三点セットとして嫌悪すべき存在である、とキリスト教において位置づけられたのではないか、と下記内容にて推論したものです。

                          記

        「新約聖書にみる竜蛇のイメージと竜蛇信仰の伝播」(仮説)

1.キリスト教では、絶対神と竜蛇に代表される悪魔との善悪対立の二元論である。
ではなぜ竜蛇が悪の象徴とされたのであろうか。推論ではあるが、竜蛇信仰がキリスト教の教義において受容できないものを包含していたためではなかろうか。復活(再生)とは神の子イエスにのみに許されるものであり、竜蛇信仰の中核をなす再生は決して認めるわけにはいかないものであり、それゆえに竜蛇は悪の象徴としてイメージされたのではないか。新約聖書(「ヨハネの黙示録」『女と竜』12−9 P686〜687 発行所 日本聖書協会)で〈竜、蛇、悪魔とかサタン〉の三者は同一視されている。邪悪な竜蛇というイメージはキリスト教を通じて現在に継承されている。
2.世界のいずれかに起源を持ちそこから各地に竜蛇信仰が伝播したのか、それとも世界各地で普遍的なものとして竜蛇信仰が発生したのかは不明である。
3.かりに蛇ということばの語源が、古代文明発祥の地のシュメールから朝鮮古語日本古語にもたらされたとすれば、竜蛇信仰もことばと共に伝播したことが考えられる。
さらに蛇のいないポリネシア(ハワイ・ニュージーランド・イースター島)にも脱皮型の話が伝承されていることは、竜蛇信仰が各地で多発的に発生したものではなく伝播によるものである可能性を示唆している。
4.伝播にせよ、世界各地で普遍的に発生したにせよ、脱皮にみる神秘性、再生不老不死、毒牙への畏敬等が善悪を問わず受容されたからこそ、現在も竜蛇信仰が東西に根強く生きているといえる。                                以上
このテーマについて、現時点での私のまとめとして、別トピックを立てました。

▽トピック 〜竜蛇神と竜牛神の「機織りの仕組み」〜
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=20030619&comment_count=0&comm_id=1384494

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

地球伝承 〜 古代から未来へ 〜 更新情報

地球伝承 〜 古代から未来へ 〜のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング