ノイズレス、とはいかないものだ。
煩わしさ、生きて行くのに支払う心理的税金みたいなものから、
常時解放される、という事はそう無い。
ノイズへの感度も個人差があり、
敏感なら良いとも、鈍感なら良いとも、
言い切れないかも知れない。
平和な子供部屋というものが存在する場合、
その子供はやりたい事への純度の高さを維持出来る、
ノイズの少ない環境を得られている。
ハハオヤやチチオヤという大人が、
ノイズを引き受けているから。
(体質的にノイズ耐性を調整出来ない場合は別として)
大人になるという事は、
大なり小なりノイズを引き受けて行くという事、
純度の高い子供部屋から出られる状態、という事なのだろう。
そして大人になっても、
気晴らしや趣味の時間に、
心の中の子供部屋に入室する事はある。
心身にたまったノイズの層を洗浄する、
夫々の「大人の秘密基地」。
大人の大人は、
ノイズを受ける度、シラフでも働きながらでも、
ポンポン払い除ける術を身に付けているかも知れない。
子供っぽい大人は、
社会の中で自分の純度を揺るがされがちになり、
ノイズを強く憎み、苛立ちや他責の念を募らせ、
誰かに当たるか、自らを蝕む方へ向かうかも知れない。
ノイズに塗れた交差点を、青信号で渡る中、
赤青黄信号の人たちが混ざっている。
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