意外なほど美味しいものだな、カップ麺は。
スーパーの麺売り場でさんざん迷ったあげく選んだ日清の「麺職人(芳醇味噌)」は、結構口にあった。もう一個買っとけばよかったかな、と後悔するくらいの味だった。また買いに行けばいいだけの話だけど、これだけ新型コロナの感染が拡大していると、スーパーに行くのさえためらわれる。
今日も詩人のノート画像をパソコンのディスプレイいっぱいに広げて凝視する、というところから一日がスタート。
冒頭の一行目からいきなり漢字二文字がわからない。
こういうときは何度も何度も見つめて前後の文脈から推測をしたり、意表をつこうとする詩人の感性を想像してみたり、過去に翻刻したときの似た文字を探したりして、考える。が、わからないことがままある。
そもそも作品ではなく創作メモというのは、解読するのが難しい。
諦めようか、と匙を投げかけた瞬間、吹雪という字がかすかに見えてきた。
間違っている可能性もある。
しかし、この創作ノートを読むのは過去、そして未来とも私だけだと思うと、たとえ誤った当て字になったとしても、私が「吹雪」と読めたのだからそれでいい、と居直る。毎日、こんなふうに居直ってみたり、考えても考えてもわからなくて落ち込んだりの日々が6カ月続いている。
この吹雪が何を愛するかと云ふ事は誰れにも分らない。
この吹雪が何を感ずるかと云ふ事も誰れにも分らない。
一人の人間がここにゐると云ふ広大なる題目については、誰れにも分らない。
以上である。
荒涼としてゐて無限に美しい也、無限に劣なる也。
以上、いま風と秋を視る。
ログインしてコメントを確認・投稿する