楽しいと感じていた幾つかを、
あまり欲しなくなった(欲せなくなった)。
代替となる新たな楽しみにも、気付いていない。
残っている楽しみも、ちょっと、擦り減っている。
奥の深い楽しみだから、そう簡単にゼロにはなりそうもないが。
年齢に応じて、
あれこれに手を出すエネルギーも落ちたかも知れない。
少なく、じっくり、繊細に味わう楽しみというのも、あるだろう。
しかし、嘗て簡単に楽しめていた事が楽しめなくなると、
「生きていたく無くなる」の反対側で自分を支える、
何か繋がりみたいなものが、
くたびれた輪ゴムみたく何本か朽ちてプチプチ切れて行く様な、
そんな気にもさせられる。
まあ、いずれは楽しくても楽しく無くても、
最後は同じ所へ行くわけだが。
「何か楽しい事ないかなァ〜」なんてつもりはない。
でも無理に意識して楽しみを見つけるという事も、
ヘマをすれば苦行にすらなる。
「何もしない」「ボーッとする」・・・・・・
社会と繋がっている時以外は、こういう風になる事が多い。
最近は、ともすれば社会と繋がっている時にも、
殺す必要無く無感情になっている時も無くはない。
終了後に、時間差で胸の中で蠢き、感情を確認する事はあるが。
ストレス発散って、おまじないみたいな言葉だけど大事だ。
解消出来なくても、発散すると、
ちょっとしたゴミ出しにはなり、心の部屋は広くなる。
ゴミが出る事を無くせなくても。
楽しみって昔、自分にとって、案外良いゴミ出しになっていた。
意味なんて、無くたって構わない。くだらなくて良い。
楽しい、を軽視したくはない。
何か最近、減ってるけれども。
でも・・・自分の中で意味を見失って、
楽しく無くなってる面もある気がする。
おまけ(ただ、聴きたくなっただけ)
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