mixiユーザー(id:17922359)

2019年09月19日11:32

55 view

小説を書く事には丁度良い時期に島田に行きました

思えば、僕がそこに行った1977、8年は、「光と陰」の両方が混在していた時期だから、両方の面を僕はしっかり見る事が出来た。小説も、随筆も、その両方を書かなぃと一本調子の文体になり、成立しないものである。光だけは上べだけの調子になるし、陰だけは読みにくくなるわけだから。


  僕の数年後に行った身障者たちはミニコミで、職員を強く叩くなど、陰の面ばかり書いていた。気持ちは判るが、僕の見方とも違うわけで、何が違ったのか、長年考え続けた。小説を書き進めて、判ってきた。「行った時期が違えば、見方も違ってくる」わけである。もし、僕も82年に行けば、同様の事を書いたと思う。当時だから、何かのミニコミ会に入って。ブラックホールにも思えたと。別に彼らとの考え方の違いでもないわけだ。彼らはきつい運動をして、体を壊して早く他界された人もいたし、行き続けている人たちも口を閉ざしている。陰の面ばかりでは、気持ちが重くなり、心の疲れも半永久的に持ち、何も書く気がしなくなる。察するまでもないわけである。

  逆に、職員たちがNHK紅白歌合戦の審査員になった1965年に行けば、光の面ばかり見るわけだから、僕も問題意識も持たず、そのまま忘れたと思う。

  身障で、学校卒業後は書く事が大好きになった僕。島田に行っても、その経験は文筆で生かしていく事しか能がない訳だ。だから、例のM氏からも「人体実験」の広めを頼まれたわけだし。偶然とは言え、丁度良い時期に行ったものだと思う。令和新党の新議員さんの事から、障碍者の仕事の問題が日本中で話題になっているが、書く事しかできない僕はちゃんと運命・歴史・天から仕事の種を与えられていたわけである。更には、島田とほぼ同時に行った高島平子供会からは、その延長としての「子供向け文」なるものが。2つが僕の仕事の大きな柱である。良かったし、その2つの種を仕事化させる力は、僕の自発意志。自発意志がなければ、何もできない事にも小説を書き始めてから気が付いた。やや脱線するが、全ての人間関係も当事者たちの自発意志で行なわれる。友情は勿論、男女の愛も。それに気が付かず、人と付き合えない人たちもかなり僕は見てきた。とにかく、自発意志は全ての基礎かも知れない。

3 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2019年09月>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     

最近の日記

もっと見る