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2019年01月22日08:38

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いいオハナシ、見事な動き、なのに“感動の嵐”とならないのはなぜ? リー・アンクリッチとエイドリアン・モリーナ共同監督「リメンバー・ミー」(2017)。

僕がこの映画を劇場で見なかったのは、僕の手近では吹き替え版しか上映していなかったから。それだけの理由です。わざわざ映画代を払って、あるいは夜間に劇場へ駆けつけるほど、ピクサー作品は僕の中で重要ではなくなった、という意味でもあります。

とはいえ、冒頭の水面の波立ち、この動きには惚れぼれしました。さすがピクサーと姿勢を正したほどです。でも、数分でその気持ちは消えました。ほれぼれしたタッチはそのまま続くのですが、その魅力だけでは僕のテンションが10分と持続しないのです。ちょうど手塚治虫の「ある街角の物語」などで、コマ止めの“手抜き”に怒ったのと逆の状況です。←だから手塚作品が、その後手抜きを覆す内容で迫れば、文句なかったのに。

物語は、音楽を禁じられた一家の話で、少年が歌おうとすると一家総出で反対する、という設定。これにイマイチ説得力が感じられないという部分はありますが、とりあえず不問にして見続けました。でも結局、その説得力の無さは、同様の説得力の無さで家族との和解へと進みます。何も死者の世界へ行く必要ないやろ、という気分でいたら、それはすべて少年の“夢”だった、みたいな。徹底的に合理的な物語でした。

僕は作品に“説得力”を求めますが、それはイコール合理的展開ではありません。非合理でも見ている僕を納得させればそれでいい。もっと言えば、僕以外の全世界の人々が納得しなくても、僕さえ納得できればそれでいいのです。それが世界一わがままな映画ファンのひとりである僕の基本姿勢ですから。

それと少年の曾祖母ココ(これが原題)が認知症というあたり、僕の母親との体験が甦ってきて、こんなふうに元気になるといいなぁと羨ましかった。僕は母親の娘時代の思い出の映画である「会議は踊る」をテレビで見せても、なんら反応しなかった母親にがっかりしたものです。

結局、今回の「リメンバー・ミー」で最もよかったのは、冒頭のディズニー・ロゴでの音楽がメキシコ風だったことですかね。それじゃ「ボヘミアン・ラプソディー」と同じじゃないか。←こっちは音が歪んでない分、マシだけどね。

はい、えー話でしたね。浜田は最近その逃げ口上だけで、“カット”はまずしませんから、僕が代わりに僕の心の中でこの映画をカットしておきます。サイナラ、サイナラ、サイナラ。
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