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2018年01月18日09:13

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小説「死の川を越えて」 第43話


男は小さな紙片を渡すと、あっけにとられた正助を置いて姿を消した。正助は高鳴る胸を抑え、平静を装ってその場を離れた。
〈夢か〉。正助は兵舎に戻ると信じられぬ思いで先ほどの出来事を振り返っていた。異郷の果てで、ハンセンの同病者から草津と万場老人のことが語られるとは誰が想像できようか。正助は運命の巡り合わせの不思議を感じた。紙を広げると「火急の時に」と記され、「ハンセンの谷の白鬼」とあり、その下に暗号めいた数字と記号が記されていた。それが何を意味し、どう使うのか。この時、正助は特に気に留めることはなかった。ただ、「うーむ」と唸るのみであった。京城に待機している正助にとんでもないことが起きたのは、それからしばらくしてのことであった。 

二、枯れ木屋敷

 さやが住むふもとの里の屋敷は、通称枯れ木屋敷と呼ばれていた。数百年を経たケヤキが屋敷の黒塀の外へ大きく枝を伸ばしていた。確かな命をつなぐこの巨木は、屋敷の古さを象徴するように枯れた姿にも見えた。枯れ木屋敷の呼び名の由来は、この古木であった。さやは、離れの一室を当てがわれ、家の家事と農業を手伝っていた。家の人々は、万場老人縁の者ということでさやを温かく迎えた。正太郎を産んだことは、さやにとって人生の一大事であった。さやは元気な泣き声に感激し、赤子の体をくまなく見て、異常のないことを知り神に感謝した。
〈正さん、やったわよ〉。さやは心で叫んだ。そして、初めて正助と肌を合わせた湯の沢集落のことをを思い出した。同病であることは承知していても、それを確め合う機会であった。右の腕に正助と同じ大きさ、同じ色の斑点があったのだ。2人は運命の不思議さを感じた。呪わしいと同時に不思議な絆の証しにも思えるのであった。さやはあの時を懐かしみ、正助の身を案じた。
 京都大学の小河原の言ったことは真実と思えた。遺伝はしない。感染も少ない。さやは正太郎を抱いてそのことを実感するのであった。

※毎週火・木は、上毛新聞連載中の私の小説「死の川を越えて」を掲載しています。

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