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2023年05月15日20:31

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「おとなの始末」(落合恵子)

 5月15日月曜日。
 今日は51年前に沖縄が本土復帰した記念日。
 高校の文化祭でA全くらいの大きな模造紙に沖縄の地図を描き、そこに米軍基地を書き入れたことを懐かしく思い出す。当時、進歩的な普通科高校では(たぶん教師主導で)時宜に適った社会問題を扱う気風があった。今は昔の物語だ。
 
 13日の午後3時前、山中湖のマンションにたどり着いた。豪雨と濃い霧で丹沢山系の山中は運転していて息が詰まるほどにスリリングだったので、事故をおこさず来られたことだけで嬉しかった。
 日が暮れて途中のスーパーで買ったちょっと上等な幕の内弁当。草だんごが付いていたのでコーヒーを淹れていただこう。が、マンションにコーヒードリッパーのフィルターがない。コーヒーは持ってきていた。
 やむなく鍋で湯を沸かし、そこにコーヒーを淹れ、スプーンでかきまぜて粉が沈殿するのを待って飮んだのだが、口の中に豆の粒が残って閉口。
 真水のシャワーを浴びてから、その前日買った落合恵子さんの『おとなの始末』を読み始めた。落合さんが70歳で書かれた「個人的終活論」。
 読み出して10分も経たないうちに、巷間売れている終活ハウツー本とはまったく違う人生哲学であることがわかって知的昂奮を覚えた。
 真摯な姿勢で自己を見つめ、それを基に読者へ「我考える、ゆえにあなたも考えよ」と、人生をどう結着させるべく70歳の生きたらいいかを説いている。落合さんが過去に感銘した詩や、実際お会いになった先達、それは岡部伊都子だったり石垣りんだったり茨木のり子だったりと錚々たるかたとの会話を引きながら、我考える、を率直に吐露されている。
 落合さんがフクシマ以前から反原発や広義の意でのフェミニズム問題に深く関わっていらっしゃったことは知っている。一度だけだが、短い原稿を依頼してそれを受け取りにご自宅にうかがい、彼女の前で拝読するという体験もした。
 しかし自分が知っている以上に、熱量のある女性だった。
 雨の音が室内にいても聞こえる夜の9時。湖から1キロほど登った高台に位置する森の中のボロマンション。粗末な室内に落合恵子が私の前に座り、テーブル越に「おとなの始末とは何か」「仕事の始末」「人間感性の始末」「社会の始末」「暮らしの始末」「わたしの始末」をしゃべってくれるのである。彼女のような才媛がわざわざ大雨の中、辺鄙きわまる庵にやって来て、ホンネで人生の意義と素晴らしさと虚しさと引き際の美学について、考えられた末の言葉を選んで語ってくれるのである。こんな幸せってあるだろうか。
 本ってとても簡便なコミュニケーション・ツールだ。この新書は760円+税だが、失礼なことに私はブックオフで110円で購入した。で、この夜と翌日の夜の2夜にわたって、70歳の私が考えていることを聞かせてくれたのだ。
 翌日はマンションの理事会と総会で、5時間近くを費やした。
 総会終了後、村唯一の大型スーパーへ出向き、「30品目のバランス弁当」と「富士宮焼きそば」を購入。前者は夜ごはん、後者は今日の朝ごはん。コンビニと違って地元のスーパーはいろんなお惣菜やお弁当が売っていて、しかも手作り感が多少ともあるので、コンビニ弁当にいや残る工場既製品的な匂いが少ない。富士宮焼きそばなんてキャベツの芯らしきものが上にたまたま乗っていて、なんじゃこれなどと茶化しながらレジカゴに入れたくらいだ。
 食べ終わってまた水シャワー。マンションの水道は地下の井戸水をくみ上げたものなので、なんとなくあたりが柔らかい。が、冷たいことには変わりない。
 石油ファンヒーターと石油コンロのふたつで室内を暖房しているため、震えるようなことはない。
 落合恵子さんの新書は午後11時半に読了。もう一冊、文庫本を持参していて、その本も100ページくらい読み進んでいたのだが、本を読む気力が失せた。
 タブレット端末で何曲かの動画を見た。ゴスペラーズの「街角〜on the corner」に感動し、夜のしじまに独りの素に立ち戻っている自分、というシチュエーションに酔った(笑)。歳を食うとこういう歪んだナルシズムはなくなるだろう、などと若い頃は想っていたのだが、違ったな。
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