昨日、先月タイを周遊して今月初旬に帰国した友人からメールが届いた。
バンコクの寺院内で万歳をするようなポーズで誰かに撮ってもらった写真が付いていた。
彼とは毎月、「今月の1枚」と題する画像交換をしている仲で、写真の面白さを競っているものだから、単純に悔しい。私には1枚も送るべき写真がなかった。
ふて腐れたというわけでもないのだが、昨日、私は返信しないまま放っていた。
今日、夕刊で開高健の命日=悠々忌ということを知った。
彼は開高健を「師匠」と呼ぶほどの崇拝者ゆえ、これでメールを無事書き出すことができる。
「えー、本日は悠々忌です。」
不調を抱えているので11月の写真はない。その代わりと言っちゃなんだが、入院中に読む本の第1号に開高健の『夏の闇』を既に選んでいる、と書き添えた。
昼イチ、紅茶を淹れてボトルに入れた。
着たらまるでアンパンマンみたいになるダウンジャケットとボトルを持って駅前へ。
ホームレス彼女はいた。
「もしよかったらこのダウンを着てくれないか?」
と言って紅茶のボトルとともに差し出した。
それからしばらくの間、話をした。
「まさか死にたいという願望があるわけないよね?」
「いったいいつまでこの生活を続けるつもりなの?」
私が彼女に訊きたいことは、要はこの2点だ。
死ぬ気はない、ということを聞いて安堵したものの、二つめの質問に対する答えは曖昧模糊としていて、いかようにも解釈できる内容だった。
しばらくの間は市役所に相談へ行っても相手にしてくれないだろう、と思いながら会話を交わしていたのだが、次の策が頭に浮かんで来ない。
この寒空の下で幾日も夜を明かすことは、たぶんできない。いや、できるの?
私がやっているのは偽善でしかないので、すみません、とただ思うばかりだった。
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