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2019年11月02日19:59

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筒井功さんの姿勢に学ぶ

 家の近くに流れる川は土手がコンクリートで固められ、鎌倉時代に合戦が繰り広げられた、というような歴史がありながら、遺構には見えない。が、それでも秋になれば風に揺れるススキが所々に何本か見え、かろうじて日本の原風景らしさがある。ススキが無数に生えているのなら家に持ち帰りたいが、それほどに多くないのが残念だ。

『村の綺譚 里の遺風』(筒井功著)をほぼ読み終わった。筒井さんは共同通信社の記者を(たぶん)早期退職し手、少年時代から関心があったサンカの取材に後半生を賭けた民俗学的ライター。
「わたしはつかえる時間の全部をサンカ取材に当てるつもりであった」
「取材の方法は、彼らが生きた足跡を追って、ひたすら現場を歩くことであった」
「足は軽自動車であった。年に100日以上も各地を走った。すべて車中泊である。一日の総経費は3000円までと決めていた。それが、わたしが使えるぎりぎりの額だった」
「高速道路は決して使わなかった」
「犬も歩けば式で、とにかく目星をつけた場所を訪ねてみるのである。だれかに会う約束を取りつけてから行くことは、まずなかった。着いたら、そこらへんで目についた地元住民に声をかける。それを繰り返しているうちに、さまざまなことを教えていただけるものである」
 私にはとても示唆的な手法だ。勇気を得る、という教えでもある。
「さして遠くない時代に、わが国にはこんなこともあったんだ、という一種の資料集になれば幸いである」と、序文を締めているのだが、そもそもノンフィクションにしても、文学にしても、さして遠くない時代にこんなことがあった、ということを書き残すのが使命だと私は思う。それがたとえ見てきたようなウソであっても、だ。ウソだとしても話半分は事実であることが多い。
 大正や昭和の社会史や侵略戦争、国体維持目的の弾圧や史実の歪曲など、筒井さんに限らず多くのかたが記録し、書物にまとめている。いまに生きる者は、そのなかでも信頼が置ける記録を選んで事実を受け取り、次世代へとつなぐのが義務である。それは本にまとめよう、ということではなくて、子どもがいれば子どもに語り継ぎ、友人がいれば友人に語り継ぎ、他方、自分が知りたいという事柄があれば可能な限り調べることが大切だと思う。
 筒井功さんの本2冊を立て続けに読んで、誠実に生きる姿勢のひとつを教えてもらった。
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